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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.1 (2008年5月公開)

「本気で頑張れば、必ず道は開ける」
入試のハードルを超えるための猛勉強が
人生のあらゆる場面の支えになっています

江戸川大学教授/福岡ソフトバンクホークス 代表取締役
小林 至さん

大学受験科

江戸川大学教授/福岡ソフトバンクホークス 代表取締役 小林 至さん

野球部でレギュラーになれず成績も伸びなかった高校時代

・・野球を始められたのはいつ頃からですか。

小林 小学生の頃から地区の軟式野球チームに所属していました。残念ながら、中学に野球部がなかったため、バスケットボール部に入りました。けれども、練習がきつくて、さぼりがちになり、夏休み前に退部。シニアリーグの門を叩きましたが、練習場が遠く挫折してしまい、その後は卓球部で活動しました。高校に入学し、念願の野球部に入部しましたが、一塁手、外野手、投手と渡り歩くものの、結局、レギュラーにはなれずじまいでした。

・・現役の時は、大阪大学経済学部を受験されたのですね。

小林 高校3年の春の大学選手権に、大阪大学が出場しており、憧れを感じていました。大学でも野球を続けたいという思いがありましたが、高校でレギュラーになれなかった私には、野球有名校は敷居が高い。国立大学なら、選手層が薄く、試合に出るチャンスもあるのではと考えたのです。けれども、共通一次の成績は1000点満点で680 点。これでは合格ラインに届くはずもなく、撃沈しました。

・・河合塾を選ばれた理由は何ですか。

小林 どうせ浪人するなら、めざせ神宮!で東大をめざそうと……。そのためには、東大コースを設けている予備校に進む必要があります。けれども、試験が課される予備校に合格できる自信はありません。そこで、高校推薦制度があった河合塾を受けることにしました。河合塾のチューターには、「こんな成績で東大をめざすのか」と唖然とされましたが、「一生懸命頑張りますから」と拝み倒して、何とか入塾させてもらうことができました。

「テキストだけで合格できる」と言い切る講師陣に凄味を感じた

・・実際に入塾しての印象はいかがでしたか。

小林 浪人が決まってから「私の東大合格体験記」といった類の本をたくさん読みました。そうした本の中によく出てきたのが、河合塾の権田雅幸先生(地理)の指導の素晴らしさです。それが河合塾を選んだもう1つの理由でもあります。そこで、入塾してすぐに、権田先生を訪ね「高校で地理を履修していないけれども、1年間で東大に合格できる力をつけてほしい」と依頼しました。何とも厚顔無恥な話ですが(笑)、先生は平然と「わかった。私に1年間ついてくれば、確実に大丈夫だよ」とおっしゃいます。その言葉に勇気づけられました。次いで、受験する科目すべての先生のところを回ったのですが、どの先生も「河合塾のテキストは、それを完全理解しさえすれば、東大に合格できるようになっている。だから、テキストだけに集中しなさい。他の参考書・問題集をやる必要はない」と明言するのです。初めての浪人生活で不安一杯だったなか、これでどれだけ気持ちが楽になったことか。

・・その教えを守られたのですか。

小林 ええ。先生方の言葉は説得力にあふれていましたから。もう1つ、勉強方法としてアドバイスされたことは、予習の重要性です。「90分の授業なら、予習にその倍の時間をかけて、考え抜く習慣をつけなさい。復習はそれほど必要ない。なぜなら、東大の入試問題は記憶力では歯がたたない。未知の問題に対して、自分なりの論理を構築する力が問われているから、予習こそが有効だ」と。私はそれを忠実に守りました。あれだけ予習に真面目に取り組んだ塾生は周りにもいません。日本で一番勉強した受験生だったとも自負しています。

・・実際に、予習中心の勉強で成績は向上していったのですか。

小林 わずか数カ月後、7月の東大オープン模試でいきなりA判定が出ました。これには自分でも驚きました。同時に、自分の可能性を信じることもできました。根を詰めた勉強が続き、それなりに限界にきていたのですが、現実に成果にあらわれたことで、意欲が高まり、猛勉強を続けることができました。2学期以降の模試では、成績優秀者の常連になり、上位者に与えられる賞品ハンターになりました。賞品はシャープペンシルなど、たわいもないものでしたが、それも励みになりました。

東大野球部で70連敗それが逆に幸運を呼びプロへ

・・それで、見事に東大に合格し、野球部で活躍されたわけですが。

小林 2年春には神宮球場のマウンドに立つことができました。敗戦処理でしたが、感動でいっぱいでした。3年秋から先発の一角を担い、4年春からはエースになりました。残念ながら、勝利をあげることは叶わず、70連敗(それまでの記録は50連敗)の「金字塔」を打ち立ててしまいました。実は、この記録の前に最後に勝利したのは、1年秋の開幕戦で、私はまだベンチ入りしていませんでした。そして、次の勝利は卒業した翌年の開幕戦。つまり、私がベンチに座っている間は、ずっと負け続けだったわけです(笑)。

・・プロをめざそうと思われたきっかけは何ですか。

小林 大学卒業後は、社会人野球に進むつもりでした。もちろん、心の片隅には、できれば最高峰の世界で勝負したいという気持ちもありました。幸運だったのは、連敗記録更新の話題がマスコミで頻繁に取り上げられるようになったことです。当時、創部200 勝もかかっていたのですが、村田兆治さんや北別府学さんの200 勝とどっちが早いかと(笑)。NHKで『負け続けた男たち』というスペシャル番組が放送されるほどでした。こうしたなか、ことあるごとに、「プロに行きたい」と吹聴していたら、それが、ロッテの金田正一監督の耳に入り、入団テストを受けさせてもらうことができたのです。

入試は数少ないガチンコ勝負 重圧の中で頑張る経験自体が貴重

・・3年間のプロ野球生活を経て、コロンビア大学経営大学院に留学されMBAを取得。現在は江戸川大学教授、ソフトバンク取締役として活躍されています。そうしたこれまでのご経歴の中で、河合塾で学んだことが役立っていると感じられることはありますか。

小林 それはもうたくさんあります。私にとっては、河合塾に入ったことが人生を変える大きなターニングポイントになったと言っても過言ではありません。何よりも、本気で頑張れば道は開けるという自信が得られたことが大きかったと思います。実は、高校時代に「東大で野球をやる」と大言壮語したことがあるのですが、誰も信じてくれませんでした。当然です。レギュラーでもないし、成績も悪いのですから。でも、必死でやれば、夢が叶う。その経験があったからこそ、他の人から見れば無謀とも思えたであろうプロ野球への挑戦も、胸を張って明言することができたのです。

・・受験勉強の経験が、野球に生かされている面はありましたか。

小林 入試は、人生の中で数少ないガチンコ勝負です。社会生活では意外に明確に勝敗がつかないことの方が多いのですが、入試は、結果がはっきり出る。年に一度の一発勝負ですべてが決まるのは、残酷でもありますが、フェアな勝負でもあります。それに向かって、一生懸命頑張ることは、とても尊い経験でしたし、その後の人生の大きな教訓にもなりました。私は大学時代「球は遅いが、6大学で一番度胸がある」と言われていました。それは、河合塾時代に、ガチンコ勝負の真っ只中にいるという重圧をはねのけて、志望校合格にまでたどりつくことができた自信が支えになっていたからです。ピンチの時など、浪人の頃の苦しさが頭をよぎり、ふっと気持が楽になったことも一度や二度ではありません。一発勝負の入試と違って、野球はいくらでもやり直しがきくのだから、プレッシャーを感じる必要はないではないか。そんな思いでした。

・・最後に、後輩たちへのアドバイスをお願いします。

小林 入試のハードルを超えるための努力は、人生のあらゆる場面で教訓を与えてくれます。ですから、ぜひ逃げないでチャレンジしてほしいですね。また、受験勉強は孤独な戦いです。その中で自分をいかにコントロールできるかが明暗を分けます。そこでお勧めしたいのが、仲間をつくり、情報を交換し、お互いに励まし合うことです。私にとっては、河合塾時代の友人たちは、一緒に戦った仲間、いわば戦友のようなものです。今でも当時の先生方や友人たちと酒を酌み交わすなど、交流が続いており、大きな財産になっています。

小林 至

Profile

小林 至 (Itaru Kobayashi)

1968年1月、東京都生まれ。神奈川県立多摩高校を卒業後、河合塾を経て東京大学へ進学。1992年、千葉ロッテマリーンズに入団。史上3人目の東大卒プロ野球選手となる。退団後に渡米。1996年、コロンビア大学で経営学修士号(MBA)を取得。その後、2000年までフロリダ州のテレビ局で通訳、翻訳、解説などに従事。2001年、衆議院議員選挙に立候補するが落選。2002年より、江戸川大学助教授(2006年より教授)。2005年より、福岡ソフトバンクホークス取締役。

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