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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.6 (2008年10月公開)

チューターの温かさが
浪人時代の折れそうな心を
励まし、支えてくれました。

Jackson Vibe ギタリスト
橋谷 康一さん

大学受験科

Jackson Vibe ギタリスト 橋谷 康一さん

思考を重視する東大の入試問題に納得

・・プロのアーティストになられる方は、やはり、かなり早い時期から音楽、楽器に親しまれているものなのでしょうか。

橋谷 いや、僕はけっこう遅かったですね。小学生の頃は剣道少年でした。両親に私立中学受験を勧められ、6年生から塾に通ったのですが、そのために剣道の練習を休まなければならないのがとても不本意でした。でも、私立中学の入試問題は思考力が問われるユニークなものが多く、問題を解く楽しさを感じて、だんだん頑張って勉強するようになりました。もっとも、受験勉強に取り組んだのが遅めだったので、駒場東邦中学に合格できたのは、おそらくギリギリの成績だったと思います。けれども、入学後、中高一貫の進学校の刺激的な環境に身を置き、授業や宿題をおろそかにせずに、粘り強く勉強していったことで、その後、僕も次第に成績が伸びていきました。

・・現役の時はどの大学を受験されたのですか。

橋谷 東大文I一本に絞りました。暗記型の勉強が要求される他大学と異なり、東大の入試問題は思考力勝負です。数学などは解答用紙が白紙で、そこに自由に自分なりの答案が描けます。答えがあっているかどうかだけで合否判定される入試はつまらない。思考のプロセスを重視する東大の出題形式こそが、本物の学力を試しているようで、納得できるものに感じられたのです。模試で合格圏の判定を得ていましたし、入試本番でも手応えがあったのですが、結果は残念ながら不合格。自信があっただけにショックでした。

・・浪人する際、河合塾を選ばれた理由は何ですか。

橋谷 不合格の事実に呆然としていましたから、自分で考えて選ぼうという気持ちにはなかなかなれませんでした。すると、両親がいろいろ調べて、河合塾を勧めてきたのです。高校時代に受けた河合塾の模試の解答・解説が、わかりやすく丁寧だったことを思い出して、よし、もう1年頑張ってみようと思いました。

・・河合塾で印象に残っていることをお聞かせください。

橋谷 河合塾にはチューター制度が設けられています。塾生一人ひとりに担当のチューターがついて、進学アドバイザー、サポーターとして、受験に関するさまざまな悩みに対応してくれる制度です。この存在が、僕にとっては救いになりました。決しておすすめするわけではありませんが、僕の河合塾活用法は、コースの時間割通りにすべての授業を受講するのではなく、自分で必要だと考えた授業だけを受けて、後は自宅で勉強するスタイルでした。ある意味わがままで、マイペースの僕を、チューターが優しい目で応援してくれたのです。早めに帰宅しようとする僕を呼び止めて「最近の調子はどうですか」「何か悩んでいることはないですか」と、よく声をかけてくださいました。こんなマイペースの利用をしている塾生にも、きめ細やかにフォローしてくれる予備校なんだなと、ありがたい思いでいっぱいでした。どうしても暗くなりがちで、折れそうな心を、チューターが支えてくれたことに感謝しています。

また、英作文の授業も印象に残っています。直訳では意味がない。いろいろ工夫して言い換えて、相手に伝わるような文章にすることが大切だという指導が徹底していました。そのおかげで、たとえぴったりの英単語が思い浮かばなくても、意味がわかるように書けばいいといった柔軟な英作文力が身につきました。

12人編成のバンドならではの一体感に感動

・・音楽活動を始められたのは東大入学後ですか。

橋谷 長渕剛さんに憧れて、高校生の時にアコースティック・ギターを買って、自己流で弾いていましたが、本格的に始めたのは、東大で音楽サークルに入り、「スカスカクラブ」というバンドを組んでからです。音楽好きな友だちができるといいなといった軽い気持ちでした。「ギターが弾けます」と、ちょっと背伸びをして、バンドに入れてもらったのですが、最初の練習で、実はほとんど弾けないことがばれてしまい、皆、困り果てて……(笑)。指導してくれる人と一緒ならと条件をつけられ、クラスでギターが得意な学生を見つけて、何とか入れてもらえました。このバンドがもう、無茶苦茶かっこよくて、それから音楽への意識、考え方が一変しましたね。

・・どのあたりにかっこよさを感じられたのですか。

橋谷 一般的なロックバンドは、ドラム、ベース、ギターで構成されていますが、「スカスカクラブ」は、それ以外にトランペットやトロンボーンなどの管楽器も加わった12人編成でした。スカというジャマイカ発祥の音楽をベースにしたロックバンドで、大所帯ならではの一体感、迫力に感動したのです。

・・プロをめざそうと思われたのはいつ頃からですか。

橋谷 季節ごとの発表会や学園祭のライブは、大変な盛り上がりで、その楽しさをずっと味わい続けたいという思いが募っていったのです。当初、両親は就職しないことに頑強に反対していましたが、最終的には僕の希望を尊重してくれました。 ただ、僕としては「スカスカクラブ」としてプロ活動することを願っており、卒業後1年ほどはその形で活動を続けたのですが、企業に就職したり、司法試験をめざしていたりなどで、メンバーが忙しくなり、スケジュールをあわせるのが困難になっていきました。そこで、音楽活動だけに専念できるバンドを結成することにしました。それがジャクソン・バイブ(Jackson vibe)です。

河合塾生へのCMソングは僕自身が元気になれる曲

・・ジャクソン・バイブ(Jackson vibe)が志向する音楽とはどのようなものでしょうか。

橋谷 シンプルで、太く力強い音楽が好きですね。そこに人肌の温かみのようなものが感じられれば最高です。ジャンルにはこだわりはありませんが、どんな曲を作っても、結局は、そういう自分たちが好きな雰囲気になっています。そこがジャクソン・バイブ(Jackson vibe)らしいところだと思っています。

・・河合塾のCMソングも作られていますね。

橋谷 2007年に「桜」、2008年に「REVolUTION No.9 」という曲を作りました。依頼された時は、やはり縁があるのだなと不思議な感じがしました。僕も曲出しはしたのですが、採用されたのはボーカルのグローバー義和の作品でした(笑)。でも、完成した曲は、塾生への励ましの思いを込めた曲なのですが、それ以上に、僕自身が元気になり、頑張ろうという気持ちになれる曲に仕上がったように感じます。何だかんだいっても、浪人時代が最も勉強した時期であることは確かで、当時を思い出すと、また頑張ろうという意欲がみなぎってきます。

浪人時代に自己管理能力が身についた

・・現在の活動の中で、河合塾で学んだことが生きていることはありますか。

橋谷 音楽活動とはまったく関係がないように思われるかもしれませんが、意外に役立っているのですよ(笑)。先ほども言ったように、僕は自分のペースで受験勉強に取り組んでいました。そのためには、朝何時に起きて、どの順番でどの科目を勉強するのか、きちんと計画を立てることが重要になります。自分に甘えず、自己管理、スケジュール管理をする習慣が身についたことは、大きな力になりました。その後も、何かを達成しなければならない時は、浪人時代と同じやり方をすれば大丈夫という確信を持っています。たとえば、東大でバンド活動を始めて、ギターを教わった際にも、どうすれば最も効率よく習熟できるかを考え、期限を細かく区切って、その都度目標を設定する方法をとりました。これも浪人時代に身についた方法なのです。そうした計画性に基づいて、最後まで粘り強く頑張り抜く。その点については、僕は誰にも負けないと自負していますし、逆にいうと、僕にはそういう頑張り方しかできません。バンド活動のうえでも、その姿勢を持続させていきたいと考えています。

橋谷 康一

Profile

橋谷 康一 (Kouichi Hashitani)

1977年、東京都生まれ。駒場東邦高校から河合塾を経て、東京大学法学部を卒業。2003年にJackson vibeを結成し、『虹色の影』でデビュー。Jackson vibeのギタリストとして活躍している。河合塾2007年度・2008年度CMソング『桜』、『REVolUTION No.9 』も好評。

大学受験科

高卒生および大学受験資格を有する方を対象とした大学入試合格を目標とするコース。クラスは志望大学やレベル別に分かれ、効率的なカリキュラムが組まれています。

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