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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.22 (2010年2月公開)

「自分の夢まで、自己採点しないでください。」
私が作った、この河合塾の広告コピーには
当時の実感が込められています

株式会社電通 コピーライター
岡野 敏之さん

高校グリーンコース/大学受験科

株式会社電通 コピーライター 岡野 敏之さん

受験勉強が「必勝法のあるゲーム」だったらおもしろくない

・・河合塾に通われたのはいつ頃からですか。

岡野 高校3年から高校グリーンコースに通いました。英語と日本史は駒場校、古文は横浜校、別の教科は池袋校と、教科ごとに異なる校舎の授業を受講していました。母校の筑波大学附属駒場高校の同級生の多くが、駒場校に通っていたため、高校の延長線上のような環境では勉強に熱が入らないと考え、あえてこのような受講スタイルにしました。

筑駒には、受験勉強に専念するのではなく、高校生活も謳歌しようという校風が根づいています。私も、最後まで卓球部の活動を続けましたし、高3の文化祭では、常設イベントを取り仕切るステージ班のスタッフ長の一人を務めました。イベントの準備で忙しく、受験勉強は疎かになった面もありましたが、この役割は全うしよう、1年浪人して志望校に合格すればいいのだからと割り切っていました。実際、現役では不合格になり、河合塾駒場校の大学受験科にお世話になることになりました。

・・河合塾の印象はいかがでしたか。

岡野 意外に思われるかもしれませんが、特に浪人の1年間は解放感でいっぱいでした。一般的な予備校の場合、合格までの路線が明確に決定づけられており、それに沿って、修得すべき知識のノルマをクリアしさえすればいいといった指導体制になっている印象があります。対して河合塾には、そこに勉強するためのスペース、環境は用意するものの、常に塾生自身の主体性が重んじられる雰囲気があったのです。だからといって、面倒見が悪いわけではありません。講師の方々もチューターの皆さんも、私の問いかけにはいつでも懇切丁寧に、そして真剣に応えてくださいました。けれども、そんなときでも常に「この後どう頑張るかを決めるのは君自身だよ」というメッセージが込められていた気がします。私は何事も他人から押しつけられると、とたんにやる気をなくすタイプでした。勉強法にしても、誰かにやり方を強制されるのではなく、自分で苦労して解き方を考え出した時に喜びを感じるところがありました。そもそも、受験勉強が「必勝法のあるゲーム」だったらおもしろくないし、クリアする価値もないじゃないですか。そんな少しひねた性格の私を、自由におおらかに見守ってくれたのが河合塾だったのです。

友人たちと一緒に開発した解き方は入試本番まで忘れることはない

・・印象に残っている授業はありますか。

岡野 現代文の授業が、以前NHK教育テレビで放映されていた「しゃべり場」がライブで進行しているような雰囲気で、印象に残っています。文章の解読法をシステマチックに伝授するのではなく、その文章のテーマについて、講師が自らの深い教養を基盤として縦横無尽にフリートークしていく授業でした。しかも、自分の考えを押しつけることはなく、時には「君はどう思う?」と話しかけられ、塾生と対等の目線で意見を聞くといった姿勢を持っていらっしゃいました。この授業のおかげで、問題文を楽しみながら読むというか、自分なりの意見を整理しつつ筆者の考えをくみ取ることを楽しめるようになったと思います。

日本史の授業も興味深かったですね。1つの用語について受験に必要な解説を加えて終わりではなく、なぜその出来事が起こったのか、時代背景、因果関係を明快にひもといていくので、歴史の流れを、具体例をもって俯瞰できるようになりました。マシンガントークの早口の講師で、ついていくのに必死でしたが、各授業が1つのエンターテインメントのようで、感動したことを覚えています。

・・そのほか、河合塾時代の思い出を聞かせてください。

岡野 大学受験科には全国各地から塾生が集まってきます。高校までの友人とは異なる風土のもとで育った友人たちと出会い、さまざまな考え方があることを知る最初の場が河合塾だったわけで、大いに刺激になりました。私にとって大きな財産であり、今でも当時の仲間を核とした交流が続いています。

授業が終わった後、自習室や、下北沢の飲食店などで、友人たちと一緒に勉強したことも懐かしい思い出です。皆で解法や暗記法のアイデアを出し合ううちに、思わぬ発見が生まれることもありました。受験勉強をこんなブレーンストーミングのような方法でやっていいのか、異論はあるかもしれませんが(笑)、その場で皆で苦労して開発した解法や覚え方などは、入試本番まで忘れることがなかったのも事実です。

とはいえ、必ずしも順調に成績が伸びたわけではありません。特に1学期は思うように成績が上がらず、2学期からはL1クラスからL2クラスにランクダウンすることになりました。その後、自分なりに頑張って東大に合格したのですが、いったんランクダウンした塾生が東大に合格したのは初めてと言われました。初めてというのは大げさとしても、レアケースだったのは間違いないでしょうね。

全科目、全分野を網羅しようとすると、プレッシャーになってしまう

・・一浪後、東大文IIIに合格されたわけですが、大学時代に最も力を入れた活動は何でしょうか。

岡野 河合塾のグリーンコースチューターを4年間務めたことです。最初の2年間は、「東大文類数学」のテストゼミを担当しました。実は、私が最も苦手だった科目は数学だったのですが……(笑)。でも、逆にそれがよかった面もあったかもしれません。テストゼミには、私と同様に数学が苦手な塾生も所属しています。彼らには「全統記述模試の数学で0点であっても、東大に合格した具体例が君たちの目の前にいる」と励ましました。実例ですから、こんなに説得力のある言葉はないでしょう(笑)。そもそも、当時の東大入試の二次試験では、440点満点のうち、約210点得点できれば合格ラインに届くとされていました。もし数学が苦手ならば、0点だけは避けて、4問のうち1問だけでも解けるようにすれば、他教科で十分にカバー可能なはずです。1問でいいと割り切れば、数学に関しては、1つだけ制覇できる領域を作ればいい。たとえば、確率の問題だけ、90分の入試時間を丸々使ってでも何とか正解すればいいわけです。苦手な数学にいたずらに時間を費やすぐらいなら、その分、得意教科でより高得点が期待できるようにする方がずっと効果的です。真面目に考えすぎて、全科目、全分野を網羅しなければ合格できないと思うから、かなりのプレッシャーになってしまうのです。私は2回の東大受験を経験し、勝ち方、負け方の両方を知っています。その経験を踏まえて、できるだけプレッシャーを感じずに勉強できるようなアドバイスを心がけていました。

・・広告業界に興味を持つようになったきっかけは何でしょうか。

岡野 子どもの頃から、テレビが大好きで、マスコミを志望していました。テレビ局と広告代理店の採用試験を受けて、最終的に電通に入社しました。

・・これまで主にどのような仕事をされてきたのですか。

岡野 コピーライターとしてさまざまな企業を担当してきました。入社3年目には、幸運なことにACCフェスティバル(全日本シーエム放送連盟主催)のグランプリも受賞することができました。

・・コピーを考える際の岡野さんなりの流儀はありますか。

岡野 仕事に入ると、どんな広告にすればいいか、1日中考えていて、電車の中やお風呂に入っている時などに、ふっとアイデアがわいてくることもあります。以前は、布団の中で思いついたことを書き留めるために、枕元にメモ帳を置いていたこともありますが、あまり意味がないのでやめてしまいました。翌朝改めて見ると、がっかりすることが多いからです(笑)。そこで今では、思いついたアイデアはいったん寝かせるようにしています。後でもう一度思い出せるようなアイデアでなければ、結局は使えないものなのです。

・・今後、やってみたいと考えている仕事はありますか。

岡野 特に決めていません。というより、その都度、偶然の出会いがある方が楽しいと思っています。ただ、これまでの仕事内容を振り返ってみると、競馬、たばこ、牛丼チェーン店など、自分の趣味嗜好の範疇に関わる業種に携わるケースが多いことがわかります。もっとも、予備知識がない方がシンプルなコピーを思いつくこともありますし、逆によく知っている商品だと実感が伴う場合もあり、それが一概にいいかどうかは微妙なところです。

実は現在、河合塾の新聞広告のコピーも担当させていただいています。コピーを作った時は、グリーンコースチューターを務めていた頃に、塾生にどんな声をかけていたのかを思い出しながら作りました。その意味では、あのコピー「自分の夢まで、自己採点しないでください。」は、私の実感でもあります。

自分の部屋に貼った「合格して当然」というスローガン

・・最後に、後輩たちへのメッセージをお願いします。

岡野 今、世の中で何が起こっているのか、アンテナを張ったうえで、その社会で何をやりたいのか、将来の目標を持つことが大切だと思います。この作業には2つの効果があります。1つは、将来像を考えることによって、志望大学・学部が明確になることです。もう1つは、社会の動きが受験勉強のヒントになることもあるということです。特に歴史は繰り返すもの。中東でなぜ自爆テロが頻発しているのか、その背景をさかのぼっていけば、エルサレムの覇権にまでつながります。十字軍の遠征が何年に起こったかを丸暗記するよりも、あの場所をめぐってずっと争いが続いていることが頭に入っていた方が、歴史の流れを把握することができるはずです。

また、受験生時代は、気持ちを強く持つことも肝心です。私は自分の部屋に「合格して当然」というスローガンを貼っていました。コピー的には不合格ですが(笑)、その先に進みたいならば、手前でくじけてたまるか、と自分を鼓舞するためのものでした。後輩の皆さんには、自分の夢を自己採点する、つまり自分の実力ならこれぐらいの大学…なんて考えないでほしい。大学受験は、あくまでなりたい自分への通過点。そこを絶対に越えていくんだと覚悟を決めたとき、人間って、自分でも知らなかったような力を発揮できるものだと私は思うのです。

岡野 敏之

Profile

岡野 敏之 (Toshiyuki Okano)

1968年東京都生まれ。筑波大学附属駒場中・高等学校に通う。高校3年生の時に、河合塾駒場校・池袋校・横浜校の高校グリーンコースに通塾。大学受験科を経て、1988年東京大学文科Ⅲ類に合格。1993年に同大学卒業後、株式会社電通に入社。1996年ACCフェスティバル(全日本シーエム放送連盟主催)グランプリをはじめ、朝日広告賞、毎日広告デザイン賞ほか数々の広告賞を受賞。東京コピーライターズクラブ会員。

大学受験科

高卒生および大学受験資格を有する方を対象とした大学入試合格を目標とするコース。クラスは志望大学やレベル別に分かれ、効率的なカリキュラムが組まれています。

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高校グリーンコース

高校生を対象とした志望大学現役合格を目標とするコース。学力や学習状況にあわせて受講できるカリキュラムで、高3になるとより実践的な講座も用意しています。

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