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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.30 (2010年10月公開)

一人ひとりの意思を尊重する河合塾の指導は
現代医療のキーワードである
「テーラーメイド医療」に通じるところがあります

医師
高松 潔さん

大学受験科

医師 高松 潔さん

回り道のようだが、確かな学力が鍛えられる指導

・・医師をめざそうと考えられたのはいつ頃からですか。

高松 祖父が眼科医、父が外科医だったので、小さい頃から医師をめざすのが当然といった雰囲気のもとで育ちました。一方で弁護士にも興味があり、現役の時は東京大学理科Ⅲ類と早稲田大学法学部を受験しました。早稲田大学には合格したのですが、やはり第一志望校に不合格だったことが悔しくて、河合塾でもう1年頑張ろうと決意しました。

・・河合塾を選んだ理由は何ですか。

高松 現役生の時に受けた河合塾の模試の解答・解説が、とても丁寧で、的を射ていたので、わかりやすい授業が期待できると考えたからです。

・・河合塾の授業で印象に残っているものはありますか。

高松 小論文の授業ですね。それまでの私の文章は、テクニックに走っており、上っ面の体裁は整っているものの、深さが感じられないと指摘されました。小論文で何よりも大切なのは、感動する心であり、経験したことを咀嚼し、自分の言葉に昇華させたうえで書かなければならない。そのためには、さまざまなジャンルの本を読み、いろんな経験を積む必要があると指導されました。浪人生に受験と直接関係ない勉強も大切と言っているわけで、思い切った指導だと思いますが(笑)、そんなおおらかさが河合塾の魅力でもあります。一見、回り道のように感じられるかもしれませんが、長い目で見ると、確かな学力が鍛えられる指導だったと思います。

このときの経験は今でも役立っています。医師の実務は意外に文系的な面があります。診療よりも、カルテや論文を書いている時間の方が長いし、診療のときにも患者とのコミュニケーション力が要求されるからです。私は産婦人科の医師ですから、女性週刊誌などにも目を通し、若い女性患者との話題にもついていけるように努めています。そうした意識を持てるようになったのは、河合塾時代の経験によるものだと思います。

「志望校に迷っているなら、全部受験して、合格してから考えればいい」

・・成績は順調に伸びていったのですか。

高松 比較的順調で、模試では成績上位者の名簿に載るようになっていきました。当時は実名ではなく、ペンネームにすることが可能で、自分のペンネームが掲載されているのを見ることが励みになっていました。もっとも東京大学理科Ⅲ類には届かないと断念し、理科Ⅱ類に志望変更。東京大学理科Ⅱ類のほか慶應義塾大学医学部、早稲田大学と中央大学の法学部、東京理科大学の電子工学科を受験し、すべて合格することができ、最終的に慶應義塾大学の医学部に入学しました。

・・いろんな学部を受験されたのですね。

高松 第一志望は医学部だったのですが、弁護士の道も捨てがたいし、コンピュータにも興味があったので、電子工学科もおもしろそうだと迷っていたのです。そんなとき、チューターから「迷っているぐらいなら、全部受ければいい。今の段階で無理に選択肢を狭める必要はない。受かってから、どうするか考えればいい」と言われ、目からウロコのような気がしました。

・・とはいえ、文系、理系両方の科目を勉強しなければならないわけですから、大変ですね。

高松 一般的な予備校なら、おそらく私のような出願作戦は厳禁でしょう(笑)。それを許してくれるところが、先ほど申し上げたように、河合塾のおおらかさなのです。多分、チューターは私の性格を見抜いていたのだと思います。飽きやすい性格なので、特定の科目だけに集中していたら、伸び悩むタイプだったかもしれません。いずれにしても、河合塾の1年間が、最もさまざまな科目を勉強した時期であったことは間違いありません。効率的でないように思われるでしょうが、いろんな科目を勉強することによって、学力に広がりが生まれたと感じています。

受験はいくらでも巻き返しが可能。トライする気持ちを失わないでほしい

・・そのほか、河合塾時代に印象に残っていることはありますか。

高松 素晴らしい友人たちに恵まれたことです。現在でも、当時の友人たちとは、年2回、「ベルの会」という親睦会を開き、交流が続いています。弁護士、医師、銀行員、官僚、大学教授、新聞記者など、ちょっとした異業種交流会になっています。それぞれの夢を叶えて、第一線で活躍している友人たちを見ると、自分ももっと頑張ろうという意欲がわいてきます。

・・慶應義塾大学医学部入学後の思い出も聞かせてください。

高松 中学からサッカー部に所属していたので、大学入学後もサッカー部に入り、6年間続けました。ポジションは当初はセンターバックだったのですが、センターフォワードを務めたりもしました。また、1年生の時から3年間、河合塾でグリーンコースチューターも経験しました。

・・グリーンコースチューターとして塾生を指導する際に、心がけていたことはありますか。

高松 現実的になりすぎないで、夢を持ってほしい。初志貫徹してほしいと言っていました。先ほどの「ベルの会」のメンバーも、将来、こんな仕事につきたいという夢を持っていた人ばかりであり、それが受験勉強の推進力になるのです。浪人生になると、つい現実的になり、安全志向で路線変更しようとしてしまうかもしれません。けれども、社会に出てからのミスは致命傷になることもありますが、受験は、もう1年頑張ることで、いくらでも巻き返しが可能です。トライする気持ちを失わないでほしいと願っています。

「華麗なる加齢」をめざして「女性を艶やかにする医療」に貢献したい

・・産婦人科医を志したきっかけは何ですか。

高松 当初は父と同じ外科医、もしくはサッカーの試合中に骨折した経験があることから整形外科医になろうと考えていました。けれども、天邪鬼な性格なのでしょうね(笑)。逆に、父と同じではおもしろくない。サッカー部の先輩が多い整形外科にも行くのもどうかなと思うようになっていったのです。産婦人科を選んだのは、人が生まれる前から亡くなるまでを扱う幅の広さが魅力的に感じられたからです。産婦人科には、周産期(お産)、生殖内分泌(不妊治療)、腫瘍(子宮がんや卵巣がん治療など)、女性医療(更年期障害治療など)の4つの柱があります。遺伝子の研究から、内科、外科に関連する分野まで網羅しているわけです。できるだけ多様な分野に携われる診療科を選ぼうとしたのも、河合塾時代に幅広く勉強した経験が影響している気がします。

そこで、大学卒業後は、慶應義塾大学医学部産婦人科学教室に入局し、子宮がんや卵巣がんなどの婦人科がんの治療を中心に修練しました。1992年にはドイツのベーリング社リサーチラボラトリーに留学し、腫瘍マーカー(がん発生に伴って産生される特異的な物質を、主に血液中で測定し、がん診断に役立てる検査)の研究に携わりました。婦人科がん手術では卵巣を摘出するケースが多く、それによって生じる更年期障害のような症状が起きますが、最近はこれらを含めて更年期医学の分野の研究にも力を入れており、ホルモン補充療法のガイドライン作成に携わりました。また、漢方療法の効果も検討しています。現在は日本更年期医学会の理事であり、2007年には同学会の学会賞も受賞しました。

・・今後の目標をお聞かせください。

高松 現在、日本人女性の平均寿命は86歳ですが、これはますます伸びる傾向です。いわゆる更年期である45~59歳の女性人口も約1300万人を数え、これから日本においても更年期、老年期の女性医療のニーズが高まっていくことは確実です。ところが、更年期障害などの女性医療に関連した疾患は生死に直接関係ないこともあって、周囲の理解が不足している面もあります。しかし、最近は、がん治療にしても、単に命が助かればいいというものではなく、例えば乳がんでもできるだけ乳房を残したり、婦人科がんでは術後の夫婦生活をスムーズなものにするように努力したりするなど、患者のQOL(クオリティ・オブ・ライフ。生活の質の向上)を重視する方向に変化しています。私もそうした女性たちの「華麗なる加齢」をめざして、「女性を艶やかにする」医療に貢献したいと考えています。

・・これまでの経歴の中で、河合塾で学んだことが生きていると感じられることはありますか。

高松 受験する大学を迷っていた時、すべて受験すればいい、合格してから考えればいいとアドバイスされ、吹っ切れたことが大きかったですね。志望校を指示されたり、限定されたりしていたら、視野が狭まっていたでしょうし、やる気をなくしていたかもしれません。今振り返ると、河合塾は、現代医療のキーワードであるテーラーメイド医療(患者個々の体質にあわせた医療)に通じるところがあったと感じます。一人ひとりの意思を尊重し、きめ細かく対応してくださったことに、とても感謝しています。

・・最後に、後輩たちへのメッセージをお願いします。

高松 繰り返しになりますが、夢をあきらめずに初志を貫徹してほしいですね。途中であきらめてしまうと、おそらく将来、何かにつまずいた時に、それを乗り越える力がわいてこないからです。それから、1回や2回の失敗は、長い人生の中ではほんの些細なことであり、いくらでも取り返しがつきます。10年後、20年後の未来を素晴らしいものにするために、トライし続ける気持ちを大切にしてほしいと思います。

高松 潔

Profile

高松 潔 (Kiyoshi Takamatsu)

1960年石川県生まれ。金沢大学教育学部附属高等学校卒業後、河合塾駒場校大学受験科に通う。1980年慶應義塾大学医学部に入学。卒業後、同大学医学部産婦人科学教室入局。1992年ドイツのベーリング社リサーチラボラトリーに留学。慶應義塾大学医学部産婦人科学教室診療医長、東京女子医科大学産婦人科学教室講師、国立成育医療センター婦人科医長などを経て、2007年より東京歯科大学市川総合病院産婦人科教授(現職)。慶應義塾大学医学部客員教授(産婦人科学)も務める。

大学受験科

高卒生および大学受験資格を有する方を対象とした大学入試合格を目標とするコース。クラスは志望大学やレベル別に分かれ、効率的なカリキュラムが組まれています。

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