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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.38 (2011年8月公開)

ドルトンスクールの学びで
異文化に抵抗感のない子どもに育ったことが
海外留学を決意するきっかけになりました。

ヴァイオリニスト
澤井 亜衣さん

ドルトンスクール

ヴァイオリニスト 澤井 亜衣さん

「アート」の授業、街の見学など、楽しい思い出でいっぱい

・・ドルトンスクールに通うようになったきっかけから聞かせてください。

澤井 11歳年上の姉が、高校生のときに河合塾の高校グリーンコースに通っていました。その隣にドルトンスクールがあり、画期的な教育を行っているという評判を聞いた母が、資料をもらって帰ってきたことがきっかけでした。通ったのは4歳からの2年間です。

・・ドルトンスクール時代の思い出を教えてください。

澤井 楽しかった思い出ばかりです。先日、当時のアルバムを見返してみたのですが、父と一緒にネジのブロックで遊んでいる写真や、ストッキングの生地を使って編み物をする「ウィービング」の写真などがあり、なつかしく思い出されました。

大好きだった授業は「アート」です。お絵描きのほか、公園で拾ってきた小枝でオブジェをつくったり、建物工作に取り組んだりしたことを覚えています。「アフタースクール」(放課後に開講される自由選択プログラム。現在の「セレンディパティプログラム」)でも「アート」を選択し、椅子づくりや焼き物を楽しみました。特に印象的だったのは、机いっぱいに並べられた有名画家の絵の中から、自分で好きな絵を選んで、模写したことです。ピカソの絵を選んだ友人の作品が素晴らしくて、子ども心にすごい能力を持った人がいるものだと、衝撃を受けました。私が選んだのは日本人画家の絵だったのですが、漢字が読めなかったので、誰の作品だったのか覚えていません(笑)。

それから、ドルトンスクールには、教室の中だけでなく、街も大切な学びの場という考え方があり、「シティ・アズ・ア・クラスルーム」という授業が設けられていました。郵便局やうどん屋さんなど、いろんなところを見学するのが楽しみでした。教室に帰ってから、郵便局を再現して、スタンプをつくったり、郵便物の仕分けをしたりしている写真も残っています。

・・それにしても、幼稚園時代のことなのに、たくさんのことを覚えていらっしゃるのですね。

澤井 それだけ楽しかったということなのでしょう。逆に、小学校時代のことはあまりよく覚えていません(笑)。ドルトンスクールでは毎日、印象的な出来事があり、充実していたのだと思います。

「創作劇」が世界への興味を広げるきっかけになった

・・印象的な先生はいらっしゃいましたか。

澤井 マリヤンB .プレキシコ先生(元ニューヨークドルトンスクール校長。現・ドルトンスクール東京・名古屋スーパーバイザー)です。英語の本を日本語に訳して読み聞かせしてくださったことがあるのですが、幼いなりに、先生は日本語で話されているけれども、本当は英語の本だとわかっていた気がします。

今振り返ってみると、ドルトンスクールには、子どもたちに異文化への興味を持ってほしいという願いがあったように思います。さまざまな国の人々が登場する「創作劇」をつくったこともありました。私はスイス人の役だったのですが、事前に自分が演じる役の国のことについて、いろいろと調べました。劇の中で、挨拶だけはその国の言葉で話す決まりになっていましたから、スイスの公用語の1つであるドイツ語で「グーテン・モルゲン」、相手はハワイ人の役だったので「グッド・モーニング」と挨拶。もちろん、すべて外国語で演じるのは無理ですから、挨拶以外は日本語でした(笑)。

こうした経験が、私にとって、世界への興味を広げるきっかけになりました。特に興味を持ったのが英語で、小学校は当時から英語の授業を取り入れていた国立音楽大学附属小学校に入学しました。ドルトンスクールでネイティブの先生と一緒に遊びながら英語に親しんでいましたから、小学校の英語の授業にもスムーズに馴染むことができました。また、高校卒業後、ロシアに留学したのですが、ドルトンスクールでの学びによって、異国への抵抗感を持つことなく育ったことが、進学先の選択肢の幅を広げることにもつながったと感じています。

高校卒業後、ロシアに留学し、国際コンクールで第1位に

・・ヴァイオリンを始めたのはいつごろからですか。

澤井 3歳のときです。母が音楽大学出身のピアノ教師で、父もピアノを趣味にしていたため、小さい頃から音楽に親しんでいました。

・・ドルトンスクールの「音楽」の授業はいかがでしたか。

澤井 私にとって、「音楽」の授業とヴァイオリンの練習は別物といった感覚だったのですが、音にあわせて走ったりなど、リズム感覚を養う授業で、ヴァイオリンの練習にも役立っていたと思います。

・・高校卒業後、ロシアに留学されたとのことですが、そのきっかけは何だったのでしょうか。

澤井 高校生のとき、ニコライ・サチェンコ(1998年のチャイコフスキー国際コンクール・ヴァイオリン部門優勝者)のコンサートを聴きに行き、とても感動しました。そのことがきっかけで、「私もロシアで勉強したい」という思いが強くなっていったのです。留学先のロシア国立サンクトペテルブルグ音楽院では5年間学びました。

留学中の2005年には、第4回グラズノフ国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で第1位になり、プロの音楽家としてやっていける自信が芽生えました。音楽院卒業と同時にロシア国家演奏家の資格も取得しました。そのままロシアのオーケストラの団員になり、活動を続けるのも選択肢の1つだったのですが、実は、ロシアには外国人の団員はほとんどいません。労働ビザがなかなか下りないためで、たとえ団員になることができても、3カ月に1回は日本に帰国しなければならないのです。そのため、ロシアでの演奏活動を断念し、日本に活動の場を求めることにしました。

・・現在の主な活動を教えてください。

澤井 ヴァイオリン教室で後進の指導にあたっているほか、イベントなどで演奏活動を行っています。先日は、ドルトンスクールでも、年少の子どもたちを相手に演奏。子どもたちにわかりやすいように、ディズニーの曲を選びました。以前、年長の子どもたちを相手に演奏したこともあるのですが、そのときは、「ヴァイオリンをやっていて、楽しいことは何ですか」とか「ヴァイオリンはどうやって音を出すのですか」など、けっこう高度な質問をしてきました。ドルトンスクールには、そういう積極的なタイプが多いですね。でも、年少の子どもたちは、まだ単に音を楽しんでいる感じで、質問を思いつくところまではいきません。子どもはほんの数年間で、どんどん成長していくものだという新鮮な感動を覚えました。

幼少時に大切なのは、自分が興味を持ったことをトコトン追求すること

・・今後の目標は何でしょうか。

澤井 まずは、活動の幅を広げるために、オーケストラの団員になることです。

・・音楽家として活動するうえで、ドルトンスクールで学んだことが生きていると感じられることはありますか。

澤井 はい。音楽のことしか知らないようでは、演奏に幅や深みが生まれません。多様な分野に興味を持つことが、音楽家にとって不可欠な資質だと、私は考えています。その芽を育んでくれたのが、ドルトンスクールの「アート」の授業でした。現在でも、さまざまな芸術作品に触れるのが趣味で、よく美術館、博物館などに出向いています。

・・最後に、これから幼稚園に通う子どもを持つ保護者に向けて、メッセージをお願いします。

澤井 幼少時に大切なのは、周りから何かを強制されるのではなく、自分が興味を持ったことをトコトン追求することではないでしょうか。ドルトンスクールが、まさにそうした環境でした。その中で私は、自分なりの個性を見つけ、世界への興味を広げることができたと思っています。

澤井 亜衣

Profile

澤井 亜衣 (Ai Sawai)

1983年神奈川県生まれ。3歳よりヴァイオリンを始める。4歳から6歳までドルトンスクール東京校に通う。東京音楽大学付属高等学校卒業後、2004年ロシア国立サンクトペテルブルク音楽院に入学。翌年グラズノフ国際音楽コンクールヴァイオリン部門第1位を受賞する。在学中は積極的にコンサート活動を行い、2009年同音楽院を首席で卒業。同時にロシア国家演奏家資格を取得する。現在は、日本で音楽教室の講師とオーケストラやイベントにおける演奏活動などで活躍中。(右から1人目が澤井氏)

ドルトンスクール

"100人いれば100通りの教育方法がある"

ドルトンスクールでは子どもたち自身の興味や探究心を養い、「自ら学ぶ子ども」を育てるため、一人ひとりの個性と才能を伸ばす教育を行っています。[対象:1才児から小学6年生]

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