本文へジャンプ | メニューへジャンプ | 共通メニューへジャンプ

「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.40 (2011年10月公開)

個性派がそろった仲間たちと
切磋琢磨する関係を築けたことが
受験勉強を乗り切る大きな力になりました。

一般社団法人共同通信 記者
髙尾 益博さん

大学受験科

一般社団法人共同通信 記者 髙尾 益博さん

河合塾の友人たちと「ゲーム形式」で勉強

・・中学・高校時代の思い出から聞かせてください。

髙尾 中学から一貫校(巣鴨中学校・高校)に通いました。ほとんどの中高一貫校に共通することでしょうが、高校2年生までに教科書を終えるカリキュラムになっており、日々の勉強をこなすだけで、かなりハードだったため、塾には通っていたものの、消化不良だったように思います。高校3年生のときは東大文科三類に絞って受験したのですが、残念ながら不合格でした。それなりに一生懸命勉強していたつもりだったのですが、今、振り返ってみると、学校から与えられるものを淡々と消化していただけで、自主的に工夫して勉強をしようといった姿勢が不足していた気がします。

・・河合塾を選ばれた理由は何ですか。

髙尾 高校時代に受けた河合塾の模試「東大即応オープン」で、一筋縄ではいかない問題が多く出題され、洗練されていると感じたことが最大の理由ですね。これだけの良問をつくるということは、河合塾の先生方は、入試問題を深く研究しているに違いないと思ったのです。そこで、自宅から近く、自転車でも通える河合塾立川校に入りました。

・・河合塾時代で印象に残っていることを教えてください。

髙尾 当然のことながら、河合塾にはさまざまな高校の出身者が集まってきます。高校まで6年間同じメンバーと過ごしていた私にとって、それがとても新鮮に感じられました。とくに立川校の東大文類コースには、最初から現役合格を断念して高校ではほとんど勉強しなかったと断言する人など、個性派がそろっていました。自分とは異質の感覚、考え方に触れることが楽しく、積極的に話しかけて、たくさんの友人ができました。中にはアフロヘアの人もいました。当時、10名ほどの仲間とよくやっていたのが、「ゲーム形式」の勉強です。制限時間を守って過去問を解き、最も得点の低い人が全員にジュースをおごるという形式です(笑)。そのほか、私は国語が苦手だったので、得意な友人に教えてもらったり、逆に、私が得意な数学を友人に教えたりしたこともありました。受験勉強は、基本的には個人で進めるものだと思いますが、時々こうしたチームでの勉強を織りまぜることで、よい気分転換になりました。河合塾時代の友人たちとは、結婚式に出席したりなど、現在でも交流が続いています。

得意な英語が、もう一段階ステップアップできた画期的な授業

・・印象的な授業はありましたか。

髙尾 栗林徹先生の英語の授業が画期的でしたね。「英語は見ればわかる」が持論の講師で、「文法や英単語は覚える必要がない」と明言されていました。逆説的に聞こえるかもしれませんが、英語学習の本質をついた教えだと思います。私はもともと英語が得意だった方で、正直なところこれ以上得点力を伸ばすのは難しく、現状維持で十分と考えていました。けれども、この授業を受講したことで、もう一段階ステップアップを図ることができました。

・・文法や英単語を覚える必要がないというのは、どういう意味なのでしょうか。

髙尾 英単語に関しては、「長文の中にわからない単語は必ず出てくる。そのときに、無理に思い出そうと天井をながめているのではなく、その単語をよく見て、分解すれば、おおよその意味はわかる」と指導されました。たとえば、respectは、re(再び・戻って)と、spec-(よく見る)で構成されていますから、再びよく見るほど「尊敬」しているという意味になりますし、その場所自体を指して「点」という意味にもなります。そうした英単語の構造に対する感覚を持っていれば、わからない英単語が出てきても恐れることはないわけです。私は、先生の教えを信じて、最後まで「英単語集」で勉強することはなく、ひたすらこの感覚を磨くように集中しました。

文法では、「文章のSVOC(主語・述語・目的語・補語)を考えるな。そんなものは意識しなくても、文章を見ただけでわかるようになれ」と指導されました。文法にこだわっていると、かえって文章の意味はわからなくなってしまいがちです。「おおよその文章の構造がわかれば、後はハートで読むもの」と言われたことを強烈に覚えています。

・・苦手科目はありましたか。

髙尾 国語が苦手でした。評論文はそれなりに理解できるのですが、小説文がまったくダメでした。実は、私は文系でありながら、数学が得意で、東大以外の過去問はほぼ満点でした。東大の問題だけはさすがに満点は難しかったのですが、それでも6~7割は得点する自信があり、入試でも大きな武器になりました。物事を論理的に考えることが好きだったからでしょうが、その反面、心情を読み取る必要がある小説文を苦手にしていたわけです。このままではいけないと思い、少しでも失点を防ぐために、過去問を大量に解き、河合塾の講師やフェロー(学習指導員)に添削指導をお願いしました。また、「東大即応オープン」の過去問集も活用しました。東大の入試問題に準拠しているうえに、設問ごとに考え方のポイントが示されており、だんだん解法のコツがわかっていきました。

・・そのほか、河合塾に通ってよかったと感じていらっしゃることはありますか。

髙尾 チューターの親身な指導に感謝しています。合格校を確保したうえで本命の東大入試を受けた方が、余裕を持って臨めるから併願作戦も重要だと諭され、それも当然必要なことだと納得しました。得意な数学を生かそうというチューターのアドバイスで、センター試験利用入試も含めて数学の配点の高い私立大をいくつか受験し、合格することができました。その勢いに乗って東大文科一類にも合格しました。

「社会情報研究所」で学ぶことでジャーナリズムの世界に興味を抱く

・・東大時代にとくに力を入れたことは何ですか。

髙尾 高校では陸上をやっていたのですが、大学入学後、ラクロス部に入りました。東大では「運動会」と呼ばれるいわゆる体育会系のクラブで、1部リーグに所属。入部の動機は「日本一」を目標に掲げているところに魅力を感じたからです。3年の時は、控え選手でしたが、関東学生リーグで準優勝することができました。ラクロスに熱中しすぎたこともあって単位の取得はおろそかになり、結局1年留年してしまいましたが……。

・・ジャーナリズムの世界に興味を持つようになったきっかけは何ですか。

髙尾 東大には、ジャーナリズムやメディアの分野を専門的に学び、24単位以上取得すると修了証が授与される研究機関「社会情報研究所」(現・「情報学環」)があります。私は、現在市議を務めている河合塾時代からの友人に誘われて、2年間学びました。下村健一先生(元・TBSアナウンサー)、猪股征一先生(当時・信濃毎日新聞専務)など、現場の第一線で活躍中の先生方の講義を聞くうちに、自分もジャーナリズムの世界に行きたいという気持ちが高まっていったのです。

・・大学卒業後から、これまでの経歴を紹介してください。

髙尾 卒業して、文化放送に入社し、5年8カ月勤務しました。まず報道部に配属され、最初の2年間は事件や裁判を担当、後半の2年半は国会や官庁回りを経験しました。その後、営業部に異動になりました。放送局は、番組を制作する編成部門と、営業部門を行き来する人事システムになっています。営業部の業務も新鮮で、やりがいは感じていたのですが、若いうちに報道の最前線にチャレンジしたいという思いが強くなり、共同通信社に転職することにしました。当初は、遊軍として、いわゆる“何でも屋”の仕事をこなしました。ちょうど統一地方選挙の取材で忙しかった頃で、その延長で、現在は大阪市役所担当として記者クラブに詰めて取材しています。秋以降には大阪市長選や大阪府知事選も控えていて、動きが激しいので、毎日が充実しています。

・・今後の目標は何でしょうか。

髙尾 できれば政治部で仕事をしたいですね。文化放送に勤務していた際、首相や、各党幹事長などを取材しました。そのとき、高校の教科書や大学の講義で学んでいたこととは全く違って、政局や政策が動いていく様子を自分の目と耳で実感しました。それに触れられることが、記者ならではの醍醐味だと思っています。

子どもに自主性が見え始めたら、それを尊重することが保護者の役割

・・これまでの活動の中で、河合塾で学んだことが役立っていると感じられることはありますか。

髙尾 先ほどの栗林先生がよくおっしゃっていたのは、「何事にも死に物狂いで集中しなさい」ということでした。一瞬を無駄にせず、一生懸命取り組んでいれば、必ず後から成果はついてくるという意味だと、私なりに解釈しています。この言葉は、受験勉強においてだけでなく、仕事をするうえでも重要であり、今でも時々思い出しては、肝に銘じるようにしています。
また、先生の授業そのものを通して得た「本質を捉える」という発想の転換。これは政治部で日本の政治の仕組みの実態に触れたいという私の目標にも影響を及ぼしているのかもしれませんね。

・・後輩の受験生へのアドバイスをお願いします。

髙尾 受験勉強は大変ですが、できれば楽しんでほしい。楽しむことができた人が、最後に勝つ気がします。

・・確かに、それは理想でしょうが、なかなか難しいことでもあります。受験勉強を楽しむために、何かよい方法はありますか。

髙尾 一人の力には限界があります。先ほど申し上げたように、切磋琢磨できる仲間をできるだけたくさんつくることが大切です。仲間とのよい関係の中で、考え方のヒントが得られることも、ストレスの発散になることもあります。私にとって、そうした環境を与えてくれたのが河合塾だったわけで、とても感謝しています。

・・最後に、髙尾さんは中学受験も経験されたわけですが、小学生を持つ保護者に向けて、メッセージをお願いします。

髙尾 最初から勉強の習慣が身についている子どもなんていません(笑)。ですから、ある段階までは、ある程度、勉強を強制する必要があるでしょう。私も、小学生のとき、漢字の書き取りの宿題で、家で正座して、泣きながら書いていたことを覚えています。けれども、年齢が上がるにつれて、必ず勉強の必要性を自覚する時期が来ます。ただし、その時期やきっかけは、個々によって違うでしょう。私の場合は、中学入学後、少しでも上位の成績をとりたいという競争意識が生まれたことがきっかけでした。私の両親は、私にそうした“気づき”が芽生えたとき、勉強に関してほとんど口出しすることはなくなっていきました。保護者は、ある段階までは強制しなければなりませんが、自主性が生まれたと感じたら、できるだけ遠くから見守る姿勢が必要になると思います。

髙尾 益博

Profile

髙尾 益博 (Masuhiro Takao)

1981年東京都生まれ。巣鴨中学校・高等学校に通う。1999年3月に卒業後、河合塾立川校大学受験科に入塾。2000年東京大学文科一類入学。2005年東京大学法学部卒業後、株式会社文化放送に入社。2010年11月同社を退社し、一般社団法人共同通信社へ入社。現在大阪支社社会部で行政担当記者として活躍中。

大学受験科

高卒生および大学受験資格を有する方を対象とした大学入試合格を目標とするコース。クラスは志望大学やレベル別に分かれ、効率的なカリキュラムが組まれています。

「大学受験科」について詳しく知りたい方はこちら

このページの先頭へ