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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.43 (2012年1月公開)

多様な経歴の友人たちとの交流の中で
「いつでもやり直せる」ことを学びました

株式会社八香苑 代表取締役
杉浦 由直さん

河合塾COSMO

株式会社八香苑 代表取締役 杉浦 由直さん

「30歳までは遊べ」という先生の言葉に救われた

・・河合塾COSMOに通うようになったきっかけを教えてください。

杉浦 中学2年生の後半から不登校状態になり、高校へは進学しませんでした。けれども、大学には進みたいという思いがあり、大検※1を受検することにしました。高校を中退して河合塾COSMOに通っていた兄から、河合塾COSMOで「大検直前講座」を実施していることを聞き、参加することにしたのです。兄が楽しそうに学んでいる姿を見て、いいイメージを持っていたことも影響したと思います。

大検は中学を卒業した年の8月に合格しました。当初は、目的だった大検に合格したら、通うのをやめるつもりだったのですが、結局、大学に入学するまで3年近く通いました。

・・大検合格後も河合塾COSMOに通った理由は何ですか。

杉浦 河合塾COSMOにはたくさんのゼミがあります※2。私は、放課後、鍋を囲んで、和気あいあいと語り合っている様子に惹かれて、西城鉄男先生の「西城ゼミ」に入りました。その時、先生から貴重な助言をいただいたことで、その後も通い続けようという気持ちが生まれました。

当時の私は、アメリカへの留学を希望していました。日本の大学は、大検に合格しても、18歳にならなければ大学受験することができません。年齢制限のないアメリカの大学ならば、早めに入学できると考えたからです。それを聞いた先生は「何の目的意識もないまま、とりあえず早く大学に入れるという理由だけで留学するのか?まだ日本でやり残したこともあるやろ。」と諭されました。自分の甘さを痛感して、もう少し、自分なりに勉強して、本当にやりたいことを見つけて、その上で希望が変わらなければ、あらためて留学すればいいと考え直したのです。

・・「西城ゼミ」はどんなことを学ぶ場だったのですか。

杉浦 「自分を再発見する遊び」をテーマにしたゼミでした。「人生は遊びだ!遊ぶなら真剣に!」がモットーで、調理室でその季節の「旬」を調理して食事会を開いたり、山登り、路地裏散歩、短歌作りなど、楽しい思い出がいっぱいです。先生がよく言っていたのは「30歳までは遊べ」ということです。「それまでに自分でやりたいことを見つけなさい。焦る必要はなく、自分なりの方向性を探す時間は十分に残されている」という意味だと、私なりに解釈しています。河合塾COSMOにはさまざまな挫折を経験した生徒が集まっていますから、先生の言葉で気持ちが楽になり、救われた人も多かったと思います。

イベントの企画を通してコミュニケーションの楽しさに目覚める

・・印象に残っている授業はありますか。

杉浦 「バイオサイエンス」が印象に残っています。後に愛知万博の会場になった里山「海上の森」でキャンプをするなど、自然と触れ合うフィールドワークが豊富でした。

私は小さい頃から、自宅の庭でトマト、枝豆、オクラなどの野菜を作っていました。もともと自然への興味はあったわけですが、この授業を通して、「将来、農業をしてみたい」という思いが強まった気がします。

・・そのほか、河合塾COSMO時代の思い出を聞かせてください。

杉浦 さまざまなイベントを企画しました。たとえば、大検直前には体育館に希望者を集めて、「大検ウルトラクイズ」を開催。テレビの人気番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」を真似たもので、司会、音響など、生徒で役割を決めて、かなり大がかりなイベントになりました。私は、企画の他、先生方に問題作成を依頼する係もしましたので、しつこくお願いするうちに、先生方が廊下で私の姿を見かけると逃げていくようになったことを覚えています(笑)。

また、河合塾COSMOのOBである演劇人を招いて、オリジナル劇の公演も企画しました。公演の後でOBと生徒たちとの討論会も開催しました。さらに、校舎の近くで行われた「今池祭り」では、焼きそば、クレープ、ドリンクの屋台を出店しました。皆と協力して、1つのものを作り上げる作業を通して、コミュニケーションの大切さや楽しさに目覚めることができました。

河合塾COSMO時代の友人と共同開発した「紀州梅ラー油」

・・河合塾COSMOを修了した後のご経歴を紹介してください。

杉浦 農学部が第一志望だったのですが、2つの理由から名城大学法学部第二部に入学しました。1つは、イベント企画の経験などから、自分には物事を論理的に体系立てて考える力が不足していると痛感したことです。その力を高めるために法律を学ぼうと考えたのです。もう1つは、大学入学前に結婚し、子どもが生まれる予定になっていたことです。生活費を稼ぐために、昼間は働く必要があり、第二部を設けている学部の中から選択することにしたわけです。実際、昼間働きながら大学に通う生活をおくりました。

大学卒業後は、学習塾に就職し、約1年間、事務系の仕事に携わりました。その頃、農業に興味を持っていた母が、ラジオで梅農家募集の話を聞き、ぜひやりたいと言い出しました。けれども、年齢の関係で、そのための資金を調達するには後継者の存在が条件になりました。当初は兄が一緒に始めたのですが、うまくいかず、それならもともと農業に興味を持っていた私がやろうと一念発起。会社を辞めて、2001年4月から農業をスタートしました。

・・どんな作物を栽培されているのですか。

杉浦 三重県熊野市に約4ヘクタールの土地を取得。約800本の南高梅を栽培しています。収穫高は約100トンで、それを主に梅干しに加工して販売しています。3年前には株式会社にしました。

・・梅干しづくりにおいて、杉浦さんなりのこだわりはありますか。

杉浦 梅干しは日本古来の伝統食で、健康食品の元祖ともいえる食品です。それだけに、安全・安心なものであることが重要と考えています。私は、農薬を通常の半分以下に抑えて、化学肥料をできるだけ使わずに栽培しています。「特別栽培」と呼ばれる方法で、その認証も受けています。これからも健康を考える人のための梅作りを続けていきたいと思います。

最近は、新商品の開発にも力を入れています。その1つが「紀州梅ラー油」。韓国料理店を経営している河合塾COSMO時代の友人との共同開発です。一昨年の8月に販売を開始したところ、即日完売するほどのヒット商品になりました。

河合塾COSMOでの体験が農業への夢を復活させる原動力に

・・これまでのご経歴の中で、河合塾COSMOで学んだことが役立っていると感じられることはありますか。

杉浦 中学校を卒業した頃の私は、「高校に進学しなかったけれども、大検に合格して、自力で大学に入学できる」。もっといえば「自分一人の力で何でもできる」といった、若さゆえの奢りがありました。けれども、先ほど申し上げたイベントの企画などを通して、一人の力では何も生み出せないこと、皆と協力することの大切さ楽しさを学びました。河合塾COSMOでコミュニケーションの重要性や楽しさを学んだからこそ、現在の私があると思っています。

・・最後に後輩たちへのメッセージをお願いします。

杉浦 河合塾COSMOには、さまざまな年齢、経歴の生徒が集まっています。人と話すことが苦手だったり、中退や不登校などの挫折を味わった人もいます。普通に高校に進み、同年代の中で過ごしていたら味わえなかったであろう、さまざまな考え方に触れて、視野が広がったことは間違いありません。偏差値だけで評価するといった画一的な評価を受けないことも、心地良いことでした。その中で、自分もこの仲間たちの一員であることが実感でき、自分なりの居場所、立ち位置を見つけることができました。友人たちの様子を見て、「いつでもやり直すことができる」という勇気もわいていきました。それが、結婚・子育てなどの事情から、いったん断念した農業への夢を復活させた原動力にもなった気がします。

当時の仲間たちとは、現在でも年数回、親睦会を行っています。先日は中学3年生になった息子も連れて出席しました。そうした和やかな交流が続くことも、河合塾COSMOの魅力です。

杉浦 由直

Profile

杉浦 由直 (Yoshinao Sugiura)

1977年愛知県生まれ。中学卒業後、大検※1受検対策のため、1993年7月より河合塾COSMO名古屋校に通う。同年8月大検合格後も自分探しと大学受験対策として河合塾COSMOに通い続ける。1996年4月名城大学法学部第二部に合格。2000年3月卒業後、約1年間学習塾へ勤めるも農業への転向を決意し退職。2001年4月より南高梅の栽培に携わる。2008年株式会社八香苑(http://ume-en.com/)を設立。南高梅を栽培し、梅干しに加工して販売。 無添加減塩梅干「南香梅」や梅干を使った商品を開発。「紀州梅ラー油」などのヒット商品を生み出す。

(注)
※1大学入学資格検定。現在は高等学校卒業程度認定試験に移行。
※2 現在、基礎教養ゼミ、化学の「何故?」を考えるゼミ、芸術の可能性ゼミなどを開講。

河合塾COSMO

高卒認定受験または通信制・定時制高校から大学進学をめざすコースです。中学卒業以上の方、高校中途の方、通信制・定時制高校在籍の方を対象とします。個別学習に力を入れたカリキュラムが組まれています。

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