本文へジャンプ | メニューへジャンプ | 共通メニューへジャンプ

「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.51 (2012年9月公開)

異質でユニークな個性を持つ仲間たちとの
出会いによって、
多様なジャンルの表現に興味が生まれ、
世界観を広げることができました。

上出長右衛門窯六代目
上出 惠悟さん

河合塾美術研究所

上出長右衛門窯六代目 上出 惠悟さん

美術研究所の夏期講習の経験を通して、デザイン科から油絵科に志望変更

・・芸術の世界に興味を持つようになったきっかけを教えてください。


「上出長右衛門窯の食器」2011/撮影;松本博行

上出 私は明治12年創業の九谷焼窯元「上出長右衛門窯」の6代目として生まれ、職人さんたちが焼き物をつくる様子を身近に見て育ちました。幼稚園の頃には、将来の夢を聞かれると、必ず「お茶わん屋さんになりたい」と答えるような子どもでした。

とはいえ、その後ずっと、陶芸一辺倒だったわけではありません。大枠として芸術的なことを勉強したいという気持ちは変わりませんでしたが、その時々で興味のあるジャンルは変化しました。高校も、陶芸が学べる工芸科ではなく、工業高校のデザイン科に進みました。高校時代、『美術手帖』よりも『広告批評』をバイブルのように愛読していたほど、広告デザインの世界に興味があったからです。

・・河合塾に通われたのはいつ頃からですか。

上出 高校3年生の夏休みに、東京の河合塾美術研究所の夏期講習に通いました。河合塾を選んだのは、東京芸大の先端芸術表現科対策の授業が開講されていたからだったと思います。中学生のとき、同学科で教えている日比野克彦氏が、九谷焼とのコラボレーション作品をつくるために、実家にも訪れていました。その縁で、東京で開催された日比野氏の作品展も見に行きました。ちょうどその時に東京のオペラシティアートギャラリーの開館記念展を見たり、現代美術にも興味を感じ、それに触れる授業を受けてみたいと考えたのです。

 ただし、高校はデザイン科だったので、必然的に大学もデザイン科に進むものと考えており、美術研究所ではデザインのコースに入りました。そのコースのカリキュラムを終えた後、1~2週間、先端芸術表現のクラスに参加しました。このクラスには、彫刻、油絵などを勉強している、さまざまなタイプの人が集まっていました。それまでデザイン科の友人しかいなかった私にとっては、異質でユニークな個性を持つ仲間たちとの出会いがとても刺激的で、多様なジャンルの表現に興味が生まれ、世界観を大きく広げることができました。「上出はここに来て良かったな」という先生の言葉は今でも忘れません。

 このクラスの授業で興味が生まれたことから、現代美術の展覧会にも積極的に出向くようになりました。今でこそ、石川県には金沢21世紀美術館が誕生して、多様なアートに触れることができますが、当時はまだ、伝統的な公募展しか接する機会がありませんでした。地方にいると、どうしても刺激が少ないので、東京の夏期講習に参加してよかったと思っています。

・・最終的にはデザイン科を受験されたのですか。

上出 いえ。高校3年生の秋に、油絵科に志望変更しました。河合塾の夏期講習で、多様なジャンルの友人ができたことや、現代美術の面白さに目覚めたことから、デザインの世界に固執せずに、もっと自由な表現を求めて、自分の可能性を広げたいという気持ちが生まれたのです。

 それに、私は、それまでも広告ポスターの課題が与えられると、油絵のマチエールのような質感を追求してしまうようなところがありました。高校の時に、主に指導していただいた先生が、2人とも油絵画家だった影響もあったかもしれません。自分には油絵の方が向いているかもしれないと考え、思い切って油絵科に志望変更しました。

・・入試直前での志望変更だったわけですが、合否結果はいかがでしたか。

上出 油絵の基礎ができていないというか、そもそもそれまで本格的に油絵を描いたことがなかったので、入試で油絵の実技試験が課されない大学ばかりを受験しました。それでも、当然のように、すべて不合格で、河合塾美術研究所の名古屋校に入って、もう1年勉強することにしました。

自分のアイデアを描くだけでなく、見る側の視点も意識した表現を身につける

・・河合塾美術研究所時代の思い出を聞かせてください。

上出 私にとっては、これまでの人生で最も楽しい1年間でした。大学受験に対する大きな不安はもちろんありましたが、充実した毎日と日毎に感じられた技術の向上は、何事にも代え難い時間です。しかしそれ以上に、私にとって大切だったのは、価値観を共有できる仲間達との出会いでした。高校時代は体育会系の人とは絶対に話が合わないと感じていたのですが(笑)、河合塾では運動部に所属していたような友人でも、共通の話題で盛り上がることができました。絵を描くのが好きで、美術を志す者だけが集まっている環境が、とても居心地の良いものでしたね。

・・印象に残っている指導はありますか。

上出 先生方には基礎から丁寧に指導していただき、感謝しています。もちろん、油絵は完全な素人ですから、入学してすぐの作品はひどい出来映えでした。ところが、第2作目は、私なりのオリジナリティーを表現することができ、先生も友人たちも、その変化にびっくりされていたように思います。

・・その変化の要因は何だったのでしょうか。

上出 正直なところ、自分でもよく覚えていません(笑)。1つ言えることは、最初の作品のときは、自分だけ下手な作品で、馬鹿にされたらどうしようと、周りの目が気になり、萎縮した状態で描いていたということです。2作目からは、その気持ちを吹っ切ったのだと思います。

 また、先生方からは、入試に合格するために必要な技術があるということも教わりました。たとえば、「風景と人物」という課題が与えられたとき、私は、大きな画用紙の真ん中に、海辺の椰子の木をフレーム(背景)にして、女の子がピースサインをしているプリクラを模した絵を描きました。遠目に見ると、中央にポツンと原寸大のプリクラが貼り付けてあるような作品で、周囲は真っ白のままにしました。すると、先生から、「これでは表現が平板すぎて、場合によっては手抜きと誤解される可能性がある。単に白く残すのではなく、白い部分にも何らかの手を加えて、質感を表現すべきである。その一手間がプラス評価につながる」と指摘されました。このアドバイスはとても貴重だったと思います。若い頃は、ちょっとユニークなアイデアを思いついただけで自己満足してしまいがちです。客観的に他人からどう見えるかなんて、意識していません。けれども、それでは入試では合格することができません。表現力を養い、見る側(審査官)の視点も意識して、きちんと評価されるような表現を心がけることが大切になるわけです。それから後は、その点にも意識して作品に取り組むようになりました。

・・1年後、東京芸術大学油絵科に合格されたわけですが、短期間で実力を伸ばすことができた要因は何だと感じていらっしゃいますか。

上出 油絵を本格的に勉強する以前に、広告デザインや現代美術に興味を持ち、感性を広げていたことが役立った気がします。それを私なりに油絵の表現にフィットすることができたのだと思います。感性を広げる上では、いろんなタイプの仲間に恵まれたことも大きかったですね。

卒業制作で現代美術と九谷焼の融合に取り組む

・・大学入学後、力を入れたことはありますか。


「甘蕉 房 色絵椿」上出惠悟/2007/磁器

上出 大学3年生まで、自分で胸を張れるような作品はほとんどつくり出していません。というのも、大学1年生のとき「9・11事件」が起こり、さまざまな社会の問題について考えるようになったからです。今振り返ると、考え過ぎてスパイラルに陥っていたように思いますが、社会の問題に何ら答えを見出せない自分に嫌気がさし、その答えが見つからないままでは、表現なんてやる資格がないと思い込んでしまったのです。

 その一方で、大学1年生の終わり頃から美術館やギャラリーで展覧会の搬出入のアルバイトや設営のボランティアなどをしたり、トークショーを企画してゲストの出演交渉、運営などに携わったりしていました。様々な分野で活躍されている方の話や、芸術がどう社会と関わっていくのかということに興味を持ったからです。

 この時の経験は、それなりに充実したものだったのですが、大学3年生の終わり頃、いよいよ卒業制作に取り組むことになって、このまま何も成し遂げないまま卒業していいのかという思いが生まれました。そこで、一念発起して、自分なりの表現を模索するために1年間の休学を決意。実家に帰省して、九谷焼について一から勉強することにしました。自分の生まれ持ったアイデンティティである九谷焼と、現代美術を融合させた作品をつくりたい。それこそが私が残すべき足跡ではないかと考えたのです。1年後、復学し、卒業制作では、九谷焼でバナナを象った作品をつくりました。

・・卒業後の主な活動を聞かせてください。


「ミラノサローネ出展風景」
上出長右衛門窯×Jaime Hayon produced
by 丸若屋/2011

上出 卒業後は実家の窯元で働いています。幸運なことに、卒業制作のバナナは、雑誌の表紙を飾り、いくつかの展覧会で出品させて頂きました。けれども、マスコミに取り上げられるのは、私個人の名前ばかりで、それがとても不本意でした。もっと若い人も含めて、たくさんの人に上出長右衛門窯、さらには九谷焼の魅力を知ってもらいたいという思いが膨らんでいったのです。そのためには、それまで九谷焼に触れる機会がなかった人が目にするような作品をつくる必要があると考えました。そこで、プーマの自転車の新製品プロモーションの一環として、ハンドル、サドル、エンブレムなどを九谷焼でつくるという企画が舞い込んだときも、二つ返事で承諾しました。そのほか、スペイン人デザイナーのハイメ・アジョン氏とコラボレーションした作品も手がけています。今後も、枠にはまらず、積極的にさまざまなことにチャレンジして、九谷焼ファンを増やす努力をしていきたいと思っています。

受験勉強のときにも、表現を楽しむ心を忘れないでほしい

・・これまでの活動の中で、河合塾美術研究所で学んだことが生きていると感じられることはありますか。

上出 美術研究所時代、最も嬉しかったのは、秋に行われた「芸大模試」で、私の作品が最高点の評価を得たことです。それによって、自信と勇気を持って入試に臨むことができました。努力した成果がきちんとあらわれたという、このときの成功体験があったからこそ、現在の仕事でもチャレンジ精神で頑張ることができる気がします。

・・最後に、後輩たちに向けてメッセージをお願いします。

上出 受験勉強はもちろん真剣に取り組むことが肝心ですが、心のどこかに「表現自体を楽しもう」という意識を持つことが大切です。そうでなければ、萎縮した、堅苦しい表現に陥ってしまうからです。なかなか難しいことでしょうが、ぜひ表現を楽しむ心を忘れないでほしいと思います。

上出 惠悟

Profile

上出 惠悟 氏(KEIGO KAMIDE)

1981年、石川県にある明治12年創業の九谷焼窯元「上出長右衛門窯」の六代目として生まれる。石川県立工業高等学校3年次に河合塾美術研究所東京校夏期講習に通う。高校卒業後、河合塾美術研究所名古屋校本科に1年間通い、2001年東京藝術大学油画専攻へ入学。卒業制作の作品で現代美術界から高く評価され、以降、さまざまな企画や作品を発表するなど注目を集める。

出展:2009年 「医学と芸術展」森美術館(東京)、2010年「上出・九谷・恵悟展 九谷焼コネクション」スパイラルガーデン(東京)・「第1回金沢・世界工芸トリエンナーレ」金沢21世紀美術館(金沢)・「上出長右衛門窯×Jaime Hayon produced by 丸若屋」DESIGNTIDE TOKYO(東京)・2011年「幽谷」Yoshimi Arts(大阪)

河合塾美術研究所

河合塾美術研究所では、芸大・美大をめざす高3・高卒生、そのための基礎を学ぶ高1・2生を対象とした実技指導コースを設置しています。また、美術系高校受験のための中学クラスを併設しています。

その他に小学生を対象としたこども教室や社会人対象の講座も設置しています。(こども教室、社会人美術講座は名古屋のみの設置となります。)

「河合塾美術研究所」について詳しく知りたい方はこちら

このページの先頭へ