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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.56 (2013年2月公開)

社会の動きに対する目を
見開かせてくれた授業によって
ジャーナリズムの道に進もうという思いが
より強固になっていきました。

読売新聞 記者
中西 茂さん

大学受験科

中西 茂さん

強烈な個性を持った講師陣による刺激的な授業

・・河合塾に通うようになったきっかけから教えてください。

中西 高校生のころから、早稲田大学を志望していました。担任の先生からは「無謀な挑戦だ」と諭されたような成績で(笑)、不合格になってしまったのですが、どうしても早稲田大学に入学したいという思いが強く、河合塾名駅校に通って、再チャレンジすることにしました。

・・河合塾時代の思い出をお聞かせください。

中西 強烈な個性を持った講師が多かったですね。もちろん、受験に必要な知識はきちんと押さえたうえで、それ以外にも、世の中のさまざまな問題が取り上げられました。現在では、全国どこにいても共通の情報が入手できますが、当時はまだ、インターネットも携帯電話もない時代です。高校まで地方の街で過ごした私にとっては、河合塾の授業が、はじめて社会の多様な課題に真正面から触れる刺激的な場だったのです。

 漢文の授業も印象的でした。「特別授業」と称して、朝から夜まで一日中行われる授業があり、しかも出入り自由ということだったので、私も途中で友人と抜け出して、卓球場で遊んでから、再び授業に戻りました。今では考えられないような話ですが、古き良き時代でしたね。

 そんな個性的な講師の方々の授業を、生徒たちは皆、おもしろがって、愛していたと思います。最終回に、教室からあふれるほど塾生が集まった授業もありました。その教壇の上には、塾生が用意した元気の出る<飲み物>が置かれていました(笑)。

・・授業以外で印象に残っていらっしゃることはありますか。

中西 チューター(進学アドバイザー)はとてもありがたい制度でした。受験生時代はさまざまな悩みが生じる時期ですが、チューターが親身に相談にのってくださり、心強かったことを覚えています。

 また、私は、名古屋市千種区のアパートに住んでいたのですが、すぐ近くに河合塾の寮があり、友人たちがよく遊びにきて、いわゆる溜まり場のようになっていました。友人たちは受験勉強の気晴らしのために来ていたのでしょうが、入れ代わり立ち代わり来るので、私はいつ勉強していたのか分からないような状態で……(笑)。でも、そうした友人たちとの交流のおかげで、受験勉強で行き詰まらずにすんだ気がします。

『日本の歴史』を読破。日本史の成績が大幅にアップ

・・成績は順調に伸びていったのですか。

中西 はい。とくに大幅に伸びたのが日本史です。自分なりによかったと思うのは、中公文庫の『日本の歴史』26巻を買いそろえて読んだことです。実は妻が高校の社会科の教員なのですが、ときどき歴史の話題になると、「詳しいのね」とほめられるほどです(笑)。その後、特別に日本史を勉強したわけではありませんから、受験勉強で頑張ったことはけっこう忘れないものだということが分かります。

 早稲田大学の日本史の入試問題は超難問なので、日本史の成績が伸びたことは大きな武器になり、1年後、政治経済学部、法学部、第一文学部を受験し、すべて合格。政治経済学部政治学科に入学しました。

・・早稲田大学を志望された理由を教えてください。

中西 高校生のとき、自立心旺盛で、ちょっと生意気だった私は、「高校の授業料ぐらいは自分で稼ぐ」と両親に宣言して、3年間、新聞配達のアルバイトをしました。「新聞少年の日」に表彰を受けることになったのですが、そのとき、新聞社の支局長に「将来は新聞記者になりたい」と話したことを覚えています。そのきっかけになったのは、同じく高校生のとき、身近に差別問題に悩んでいる人がいたからです。当時から私は、理不尽なことには、誰が何と言おうと納得できない性格でした。そうした社会の問題に立ち向かうために、ジャーナリズムの世界を志すようになり、数多くのジャーナリストが輩出している早稲田大学を志望するようになったのです。

・・大学時代に力を入れたことは何でしょうか。

中西 新聞記者として教育問題を中心に担当し、「最近の大学生は勉強しない」と批判する記事を書いているわけですが、では自分はどうだったかというと、まったく勉強していませんでした(笑)。おそらく授業に出席している時間よりも、喫茶店で学生同士で議論している時間の方が長かったでしょう。朝日新聞が取材にきて、「授業に出席せずに、喫茶店でたむろしている大学生」という記事を掲載したほどです。ただ、少しだけ言い訳させてもらうと、この時間は私にとっては無駄ではなかった気がします。私がまったく知らなかった分野に興味を持っている友人たちとの議論に大いに刺激を受け、視野が広がっていきました。

 また、サークルは「シネマ研究会」に所属し、8ミリの自主映画を制作し、ぴあのフィルムフェスティバルなどに応募していました。100人を超す大所帯の会でしたが、当時の仲間の一人が室井滋さんです。彼女は、このサークルの作品に出演し、それが話題になって、プロの女優の世界に入っていきました。

小学校低学年から学習習慣を身につけないと、その後に大きく影響する

・・卒業後の主な活動を教えてください。

中西 大学卒業後、読売新聞社に入社し、それから約30年、ずっと記者職です。主に担当してきたのは教育問題です。2005年から続く読売新聞の連載企画「教育ルネサンス」も担当しました。家庭内暴力事件や、慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスの20年を追いかけた本も執筆しました。

 最近の最大の関心事は、北海道の学力危機です。小学校の学力テストの成績が低いことが問題になっており、それを改善するためのキャンペーンを展開中です。

・・小学生の学力を高めるためには、どのようなことが必要になるのでしょうか。

中西 小学生のうちは、できるだけ多様な経験をすることが大切というのが、私の持論です。けれども、その一方で、北海道の学校は子どもに対してあまりにも緩いという印象も持っています。学習習慣だけは小学校低学年から身につけておかないと、その後に大きく影響してしまうのです。

・・多様な経験と、学習習慣の確立を両立させるのは、なかなか難しい気がしますが…。

中西 古い言葉ですが、結局、「よく学び、よく遊べ」ということに尽きると思います。ゲームなどをダラダラやって、時間を浪費するのが最もよくないことです。メリハリをつけることが重要になるでしょう。

・・ご自身でお子さんの教育について心がけていらっしゃることはありますか。

中西 私は自宅で原稿を書くことがよくありますし、高校教員の妻も授業のための準備をしています。子どもは親の姿をよく見ていますから、まずは私たち自身が勉強している姿勢を子どもに見せることが大切だと考えています。

 それから、読書習慣をつけるように努めています。小学校2年生と3年生の子どもがいるのですが、上の子どもは最近、ロアルド・ダールがお気に入りです。せっかく興味が生まれたのですから、シリーズ全作品を購入して読むように勧めています。そうした自分なりに夢中になれる作品に出会えれば、自然と読書の楽しみが分かってくると思います。

1つの分野を究めると、その周辺のことについても理解が深まる

・・現在の仕事に、河合塾で学んだことが役立っていると感じられることはありますか。

中西 高校時代からジャーナリスト志望だった私にとって、社会の動きに対する目を見開かせてくれたのが、河合塾の授業であったことは間違いありません。あの授業によって、ジャーナリズムの道に進もうという思いがより強固になっていった気がします。

・・最後に、河合塾の後輩たちへのメッセージをお願いします。

中西 受験勉強をしているとき、ふっと「なぜこんな勉強をしなければならないのか」と、学びの意味を見失い、悩むことがあるかもしれません。そんなときは、いったん自分が楽しいと思えるものを勉強することをお勧めします。私の場合、日本史の文庫本を読んだのは、それが楽しかったからです。楽しいからこそ、深いところまで知ろうという意欲がわき、そうなると周辺のことについても理解できるようになります。これは仕事でも同じことがいえます。1つの分野を究めると、他の分野にも造詣が深くなるのです。私は、家庭内暴力について著書が書けるほど取材したことで、子どもが抱える多様な問題がよく分かるようになりました。興味を持った、楽しいと思えるような勉強を続けていけば、学びの意味も自然と見つかるのではないでしょうか。

中西 茂

Profile

中西 茂(Shigeru Nakanishi)

1958年三重県生まれ。1977年県立松阪高校卒業後、河合塾名駅校大学受験科に通う。1978年早稲田大学政治経済学部に入学。1983年同大学卒業後、読売新聞社に入社。約20年にわたり教育問題を担当。2011年より北海道支社の編集委員兼論説委員として活躍中。

大学受験科

高卒生および大学受験資格を有する方を対象とした大学合格を目標とするコース。クラスは志望大学やレベル別に分かれ、効率的なカリキュラムが組まれています。

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