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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.77 (2014年8月28日公開)

夢を叶えるためには、
けっして逃げずに踏みとどまって
愚直に努力し続けることが
大切だということを学びました。

週刊朝日
記者
原山 擁平さん

高校グリーンコース/大学受験科

週刊朝日 記者 原山 擁平さん

第一志望の早稲田大学の入試に、より直結した授業を求めて

・・河合塾に通うようになったきっかけからお聞かせください。

原山 中高生のころから、将来はマスコミ業界に進みたいと考えており、その業界に強いといわれている早稲田大学にあこがれの気持ちを抱いていました。模試の偏差値から見れば、まさにあこがれ、雲の上の存在だったのですが、高校1年生の面談で、思い切って担任の先生に「早稲田大学をめざしたい」と告げました。すると「逃げるのか」といわれたのです(笑)。当時私が通っていた福岡県の高校は国公立大学を、もっといえば九州大学を目指す生徒が多かったこともあり、高校の先生としては、高校1年生の段階で(入試に必要な科目の少ない)私大志望にするのは「逃げ」といった感覚だったわけです。私にとっては、早稲田大学をめざすのも十分に高望みなのにと思いながら、自分なりに合格への道を模索し、全国展開している河合塾なら東京の私大対策も可能なのではと考え、早稲田大学の入試により直結した学びを求めて、高校2年生の春休みから、河合塾高校グリーンコースに通うことにしたのです。

 実際、高校3年時のクラス分けでは「私大文系コース」に入りましたが、高校で扱うのは関西地区の私大入試対策が中心でしたので、自分の考えは間違っていなかったと感じながら、学習を進めました。

学問としての面白さを伝えたいというメッセージが感じられる授業

・・グリーンコースで印象に残っている授業はありますか。

原山 英語と国語のほか、青木裕司先生の世界史を受講しましたが、先生方の知識の懐の深さに感動しました。田舎育ちの高校生だった私が、初めて本物の「知」に触れた瞬間だったと思います。父がよく「中学の先生は質問しても平気で分からないと答える。高校の先生は分からない場合は、調べて翌日教えてくれる。大学の先生は何を聞いてもその場で教えてくれる」といっていたことを思い出しました。河合塾の先生方は大学の先生、つまりその教科を学問として研究している立場で教えてくださっていた気がします。とくに青木先生は、単にテキストの内容を解説するだけではなく、また大教室を爆笑で沸かせるだけでもなく、学問としての世界史を伝えたいというメッセージが、言葉の端々に感じられました。大学に入学したら、こんな先生方と同じような意識で学問に取り組まなければならないという覚悟を固める上で、良きロールモデルになりました。

・・当時(1990・91年度)は大学入試の倍率が最も高かった時代ですよね。

原山 そうですね。そうした社会背景もある一方、実は、高校生の私は、受験勉強以上に趣味の映画鑑賞に熱中していまして。「キネマ旬報ベストテン全集」に掲載されている名画を全部観るという勢いで、毎週日曜日は映画館に通ったほか、レンタルビデオで片端から借りて観ていました。「今でいう引きこもりになってしまうのではないか」と、私の母が本気で心配していたほどです(笑)。そのような生活で早稲田大学に合格するはずもなく、高校卒業後、1年間、河合塾の大学受験科に通うことになりました。

・・大学受験科の授業はいかがでしたか。

原山 高校グリーンコース時代の私は、今考えるとまだ幼く、先生方のレベルの高さに圧倒されつつも、本当の意味での「河合塾イズム」が体得できたのは、大学受験科に入塾してからでした。

原山 擁平さん

 河合塾の授業は、ある意味では、大学の教養科目に近いレベルだったと思います。それまでの私は、たとえば現代文の長文読解問題では、与えられた文章を読んで解くという意識しかなく、その文章を書いた著者の思想にまで踏み込んで興味を持つことはありませんでした。大学入試問題には、数多くの知の巨人たちの文章が取り上げられているわけですから、それはとてももったいないことです。河合塾の現代文の授業では、フランス文学者や社会言語学者、劇作家など、日本の知を担う方々の文章を扱うたびに、著者の思想の全体像と特色、その背景などが縦横無尽に解説されていきます。それによって、基礎教養の素地ができ、難解な評論文も読みこなせるようになっていきました。さすがに大学受験科時代は時間的な余裕がなく、そうした著者たちの作品を読むことはなかったのですが、大学入学後、貪欲に読み進めました。すると、そこに記述されていることの多くが、すでに河合塾の授業で説明されていたことに気づき、改めてきわめて高度な授業だったことを痛感しました。

すり切れるまで読んだ「合格体験記」が大いに参考に

・・苦手だった科目はありますか。

原山 英語に苦労しました。誰よりも時間をかけて努力しているつもりなのに、成績が伸びず、悩みました。大学受験科時代の夏休み前の全統模試では、完全に英語が足を引っ張っている状態でした。そこで、夏期講習ではあえて基礎レベルの英文解釈の講座を選択し、そのテキストを何回も繰り返し復習しました。それが功を奏して、夏休み明けの模試では、英語の偏差値をグッと上げることができました。また、英文解釈の授業を担当されていた先生が、英文の構造をまるでパズルを解くように分かりやすく解説してくださる名人芸の先生でした。それでも、自宅に帰って復習すると、また分からなくなってしまうのですが(笑)、あきらめずに粘り強く復習するうちに、だんだん構文が読み取れるようになっていきました。

・・夏休みの時点で基礎に立ち戻るのは勇気がいったと思いますが、大英断でしたね。

原山 その勉強方法をとることができたのは、合格体験記のおかげです。受験生のときは、どうしても不安が生じるもので、それを払拭するために、私は河合塾で配布された「合格体験記」をすり切れるまで読み込んでいました。合格した先輩たちの勉強法で共通しているのは、「常に基礎基本に立ち戻ること」「いたずらに他の教材に手を広げず、河合塾のテキストを信じて、繰り返し学習すること」でした。実際に合格した方々の言葉ですから説得力があり、それを守って勉強したことが効果的でした。もっとも、得意教科と言えるようになった国語や世界史に比べると、最後まで英語の対策メインの受験勉強でした。早稲田大学に合格できたのは、早稲田の英語の入試問題は難問が少なく、配点も他科目と均等だったことが、私にとってはラッキーだったと思っています。

 また、夏期講習のうち1週間は、あえて講習を選択せず、河合塾の自習室にこもったこともなつかしい思い出です。その頃自習室のオープンは朝7時でしたが、その直後に満席になるので、6時半には並ばないと席が確保できません。5時に起床して、自転車を必死に漕いで通いました。無事席を確保すると、「50分勉強して10分休憩する」というスケジュールを自分で決めて、この1週間で前期に勉強した全テキストを見直しました。1日12時間以上勉強したと思います。

・・そのほか、河合塾での思い出を聞かせてください。

原山 高校グリーンコース、大学受験科を通じて、同じ高校から10数名が河合塾に通っていました。その仲間で一緒に行動することが多かったのですが、高校時代まではどこか子供っぽさや幼さの残る、文字通りの“同級生”としての付き合いでした。ところが、大学受験科に通うようになって、自分の行く末に迷い、会話が深まったからでしょうか。“同級生”ではなく“一個人”として相対するようになったことで、友人の持つ本当の個性に気づき、意外な素顔に触れる機会が増えた気がします。たとえば、模試である著名な言語学者の文章が出題されたとき、それを話題にしていたら、ある友人がすでにその方の著書を数多く読んでいることを知ったり…。そうした自分と他者との違いを認識することで、自分は何者だろうと考えるきっかけになり、自我が形成されていった気がします。

マスコミ業界に進むために、大量の読書を自らに課した

・・早稲田大学を志望した理由を教えてください。

原山 私はいわゆる「ガンダム第一世代」で、小学生のころからアニメが大好きで、アニメーターになりたいと思っていました。けれども、残念ながら絵心がありません。そこで、その延長線上で、中学生になってあこがれたのが映画監督です。ところが調べてみると、映画を製作するには莫大な資金が必要でした(笑)。そのころ見たテレビ番組で、(後に東京都知事も務めた、作家の)青島幸男さんが、「本は原稿用紙とペンさえあれば勝負できる世界」と語っていました。当時、大友克洋さんの漫画に感銘を受けていた私は「大友さんの世界を実写映画にするのは難しいけれども、本なら表現できる」と思い、小説家になりたいという夢が膨らみました。もちろん、簡単に小説家になれるわけでもなく、それならまずは活字の世界に携わることが先決と考え、マスコミ業界に強い早稲田大学をめざすことにしたのです。

・・早稲田大学入学後、マスコミ業界に進むために心がけたことはありますか。

原山 大学時代、自分に課したのは、とにかく本を読むことです。マスコミの世界に進むのなら、図書館で借りるのではなく、購入して、価格に見合う内容なのか肌身で感じることが大切といわれていたので、それも心がけました。早稲田大学政経学部は、実際には商社や銀行、メーカーに就職する人が多く、イメージされているほどマスコミ業界に進んでいるわけではないのですが、それでも他大学と比較すると多く、同じマスコミ志望の先輩から勧められて、『噂の真相』『創』など、世間一般的にはちょっとマニアックな雑誌も読んでいました。それによって漠然としていた編集者の仕事が分かっていった気がします。また、最終学年では、ダブルスクールでマスコミ予備校にも通い、一般教養と作文の授業を受けました。採用試験では、河合塾時代に受講した小論文の授業で、文章表現の基本が身についていたことが役に立ちました。

・・大学卒業後の経歴を紹介してください

原山 擁平さん

原山 当時、かっこいい女性誌が数多く刊行されていたことから、最初は女性誌の編集者をめざそうと考えていました。ところが、すでに出版社勤めとなった大学の先輩から「ファッションに疎い人間には務まらない、問題外!」といわれて(笑)。再度自己分析して、週刊誌は好きで読んでいましたし、やりがいのある仕事に違いないとの思いで就職活動したところ、新潮社に入社が決まりました。入社後は写真週刊誌『FOCUS』の編集に4年半携わりました。この雑誌の休刊に伴い、営業部に配属されたのですが、そのときはむしろほっとした気持ちもありました。「事件」「人」を丹念に取材し、張り込みも辞さない日々は、やりたかった週刊誌の仕事ではあったものの厳しい仕事でもあったからです。けれども、不思議なもので営業の仕事をするようになってしばらくすると、やはり現場で仕事をしたいという思いが芽生えてきました。そこで今度は読売新聞社に転職しました。新聞記者はスクープをものにして初めて評価される仕事です。私は残念ながらスクープに縁がなくて。その後、幻冬舎に移り、書籍の編集者になりました。現在はフリーの立場で2冊の本を書いた後、再び記者の仕事がしたくなり、『週刊朝日』の取材・記事執筆に携わっています。

知の巨人たちの思想に触れたことが自分を見つめなおすきっかけに

・・河合塾で学んだことが、その後に生きていると感じていらっしゃることはありますか。

原山 予備校に通うのはけっして無駄なことではありません。ストレートに大学に入るよりも、はるかにいい経験ができたと思っています。日本の知の巨人たちの思想に触れたこと、友人たちの意外な素顔を知ったこと、それが自分を見つめなおすきっかけにもなりました。私にとって、自分が何者であるかを初めて考え、教えてくれた場所が河合塾だったのです。また、成績を上げるためには、愚直に努力するしかないことも学びました。逃げの姿勢からは何も生まれません。そこに踏みとどまって立ち向かうことが重要です。簡単に成果はあがらなくても、努力し取り組んだというプロセス自体に価値があるのです。その思いがあるからこそ、大学入学後、あるいは社会に出てから、様々な重圧がかかったり、修羅場に直面したときに、愚直に取り組むことで乗り切ることができた気がします。

・・最後に、河合塾の後輩たちにメッセージをお願いします。

原山 最近の若い人たちは、「入りたい大学」ではなく、「入れる大学」なのかどうかを優先して受験校を選択する傾向があると聞きます。それはもったいないことです。長い人生の中では、夢に向かって愚直に努力する時期が必ず必要であり、簡単にあきらめないでほしいと思います。もしいったん不合格になっても、予備校生であることを恥ずかしいと感じる必要はありません。今は夢を叶えるための雌伏のときであると、胸を張って過ごしてほしいですね。そして、河合塾で多様な知に触れて、自分を見つめなおしてください。それが人生の糧になるはずです。

原山 擁平さん

Profile

原山 擁平(Yohei Harayama)

1971年生。高校3年時に河合塾福岡校の高校グリーンコースと単科ゼミ(世界史)を受講。高校卒業後、河合塾福岡校大学受験科での1年を経て、翌91年早稲田大学政治経済学部経済学科入学。卒業後は、新潮社、読売新聞社、幻冬舎、幻冬舎ルネッサンスを経てフリーに。現在は『週刊朝日』(朝日新聞出版)の常駐フリーとして活躍中。著書に『セクハラの誕生』(東京書籍)、『官僚がバカになったから日本は「没落」したのか』(双葉新書)。

高校グリーンコース

高校生を対象とした志望大学現役合格を目標とするコース。学力や学習状況にあわせて受講できるカリキュラムで、高3になるとより実践的な講座も用意しています。

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大学受験科

高卒生および大学受験資格を有する方を対象とした大学合格を目標とするコース。クラスは志望大学やレベル別に分かれ、効率的なカリキュラムが組まれています。

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