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カンボジア教育支援活動

支援先の紹介

カンボジア・日本友好学園

河合塾は、カンボジア王国プレイベン州にある「カンボジア-日本友好学園」を通して、プレイベン州の小・中・高等学校に、学校用の机・イス、事務家具、文房具などの中古物資を届けています。

また、友好学園を拠点として、生徒交流活動を展開しています。

2002.12<学校風景> 中学校に加え、高校、図書館も完成しました。
<学園の正門>(2012年5月撮影)
校舎、図書館も増設され、年々充実してきて
いる。

2002.12<学校風景> 中学校に加え、高校、図書館も完成しました。
<高1生の校舎(左)と高2生の校舎>(2012年5月撮影)
1学年150~180人が勉強に励んでいる。

2002.12<学校風景> 中学校に加え、高校、図書館も完成しました。
<友好学園の生徒たち>
毎日、一生懸命に勉強。「勉強できるのが嬉しい」
と満足。

プレイベン州

首都プノンペンから南東90kmほどに位置して、南はベトナムと国境で接する州。有名なアンコールワットのあるシェムリアップ州(北西部)やプノンペンの近郊には、多くのNGOが入って活動していますが、この地域を支援している団体はあまり多くありません。

メコン川の氾濫原に位置して、1年のうち数ヶ月は洪水で水に浸かるところが多いため、お米を栽培して細々と暮らしいる農家がほとんどの貧しい地域です。

<対岸はプレイベン州> 国道1号線のメコン川越えは人も車もフェリーで移動
<対岸はプレイベン州>
国道1号線のメコン川越えは人も車もフェリーで移動

<友好学園近くの市場> 日々の生活に必要な雑貨や食べ物が所狭しと並んでいます。
<友好学園近くの市場>
日々の生活に必要な雑貨や食べ物が所狭しと並んでいます。

カンボジア-日本 友好学園

1999年、日本のNGOの2団体(カンボジア教育支援基金、カンボジア教育支援フロム佐賀)の資金供与で建てられた中高一貫の半官半民の学校です。1学年は約180人、全校生徒数が約1100人で、このうち約1/3が女子生徒です。

カンボジアでは、国の財政難から教員を含めた公務員の給与がとても少ないのが現実で、多くの教員は生活のためのアルバイトをしています。このため、学校の授業が半日(午前のみ)しか行われないことが日常的になっています。

友好学園では、上記のNGOが教員給与を補填して教員のアルバイトを禁止しているため、1日6時限の正規の授業数を確保している上に、日本人ボランティア教師が常駐し日本語の授業も設定されているなどの特色があります。このため、地域で評判の学校となり、遠くは40~50kmも離れた村の子供たちも入学してきます。こうした遠くから来る生徒たちは、親戚や同郷の子供たちで集まって、学校の近くに小さな小屋を建てて共同生活をしています。

2002.12<学校風景> 中学校に加え、高校、図書館も完成しました。
<授業風景>(2011年10月撮影)
河合塾から寄贈された机・椅子で勉強。

<寄贈した自転車と授業風景> 遠くから2時間以上かけて自転車で通学する生徒も少なくありません 。厳しい環境の中で一生懸命学業に励んでいます。
<音楽授業風景>(2012年5月撮影)
2年前から音楽の授業が始められ、
昨年、カンボジア国内コンクールで1等を
取った。

<寄贈した自転車と授業風景> 遠くから2時間以上かけて自転車で通学する生徒も少なくありません 。厳しい環境の中で一生懸命学業に励んでいます。
<日本語の授業>
日本人ボランティアが日本語の授業を
行っている。

<生徒の下宿> 学校の近くに、寄り添うように小屋が建てられています。1件の小屋に2~3人が住み、共同生活をしています。
<生徒の下宿>
学校の近くに、寄り添うように小屋が建てられています。1件の小屋に2~3人が住み、共同生活をしています。

『内戦当時、拷問や処刑を実行した者の中には10歳そこそこの少年兵がいた。彼らは「教育」を受ける代わりに、ポル・ポト派の兵士として訓練をたたきこまれた「無教育」な子ども達だった。二度と戦争をおこさないためには、子ども達の教育が最も重要である。…』

-コン・ボーン著「殺戮 荒野からの生還」より-

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