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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.53 (2012年11月公開)

  • 教育・研究者
  • 高校グリーンコース
  • 大学受験科
京都大学特定准教授 金 広文(キム・クァンムン)さん

目標と現状に大きなギャップがあり、<br />険しい茨の道であっても、<br />あきらめずに頑張り続けることができました。

  • 京都大学
    特定准教授

    金 広文(キム・クァンムン)さん

    出身コース
    高校グリーンコース
    大学受験科

母校の朝鮮学校で初めての国立大学合格者に

・・河合塾に通うようになったのはいつ頃からですか。

私は在日コリアン3世で、小学校から高校まで朝鮮学校で学びました。中学1年生頃までは成績が悪く、通知表は5段階評価で、算数以外はほとんど2でした。これは勉強が大嫌いだったこともありますが、学校でのいじめや小児ぜんそくのため、年間平均30~40日も欠席するような状況が4~5年間続いたことが原因です。

このままではいけない。頑張って勉強しようと決意したのは小学6年生の頃でしょうか。そのきっかけになったのが両親のアドバイスです。いじめられていることを相談したときに、「悔しかったら勉強しなさい。成績が上がれば、誰もいじめなくなるはずだ」と言われ、その気になったのです。また、不登校状態だったときに、家にいても何もすることがないため、仕方なくNHKの教育番組を見ており、歴史や地理に興味が生まれたことも、勉強しようという意欲がわくきっかけになった気がします。

その後、頑張った甲斐があって、次第に成績が向上し、大学進学を視野に入れるようになりました。けれども、朝鮮高校のカリキュラムは、日本の普通科高校とは大きな差があり、大学入試に対応できるようなレベル・環境ではありませんでした。そこで、高校3年生になって、河合塾名古屋校の高校グリーンコースに通うことにしたのです。

・・河合塾を選んだ理由は何ですか。

朝鮮高校で成績優秀な同級生は皆、河合塾に通っていたからです。高校グリーンコースの1年間では自分がめざすレベルに達することはできませんでしたが、高校卒業後、さらに1年間、岐阜校の大学受験科で学び、岐阜大学工学部土木工学科に合格することができました。母校の朝鮮高校にとって、私が初めての国立大学合格者の一人でした。

疑問点を整理した上で授業に臨み、分かるまで質問する学習スタイルが身についた

・・河合塾時代の思い出をお聞かせください。

最も印象に残っているのは、国語の牧野先生です。自分なりの哲学、思想を持った先生で、メッセージ性が感じられる授業でした。私は国語が大の苦手科目だったのですが、牧野先生が授業の導入部分で語られる、思いがけないほど過激で破天荒な話題が面白く、興味を持って授業を受けることができました。

それから、河合塾で予習→授業→復習の基本的な学習スタイルが身についたことも大きかったと思います。当然のことながら、単に講義を聞いて知識を記憶しようとしても、すぐに忘れてしまいます。事前に自分で十分に考えた上で、疑問点を整理しておくことが大切です。疑問があれば、それを解消しようと、授業での集中度も高まるからです。さらに、授業中にどうしても理解できないようなら、授業直後に分かるまで質問し、家に帰ってからも完全に自分のものになるまで復習するように努めました。受験生なら誰でも実践しているような、当たり前の反復学習のサイクルなのですが、河合塾に入る前の私は、それすらも身についていなかったのです。授業後にしつこく質問に訪れる私に、懇切丁寧に対応してくださった先生方にとても感謝しています。

・・そのほか、河合塾に通ってよかったと感じていらっしゃることはありますか。

河合塾は、先生もチューター(進学アドバイザー)の方々も、「生徒のために役に立つことだったら、何でもやる」という意識が強い予備校だと思います。私が大学受験科のときにお世話になったチューターは、特にそういう気持ちの強い方でした。クラスの親睦を図るため、秋にチューターの方が1泊2日の学習合宿を企画してくださいました。それによってお互いに切磋琢磨する人間関係が築かれ、その後の勉強にも勢いがついた気がします。

さらに、河合塾はアットホームな雰囲気があり、他コースにも数多くの友人ができたことも有意義でした。私は、東大京大選抜コースの優秀な生徒たちは、どんな勉強をしているのか、大いに関心があったので、積極的に話しかけるようにしていました。具体的な勉強方法だけでなく、受験に対する考え方、話題の豊富さなど、さまざまな刺激を受けることができました。

開発途上国でODA業務、調査・コンサルティング業務などに携わる

・・土木工学科を選んだ理由は何ですか。

受験生当時、父が土木関係の仕事に従事していたことも影響していますが、もともと幼い頃から、街全体の景色に興味を持っていたようです。幼稚園の卒業アルバムを制作するときも、回りの子どもたちが人や動物の絵を描いている中で、私一人だけは、車と道路、信号、そして背景の街並みといった都市全体の絵を描いていたほどです。

・・大学時代に力を入れたことを教えてください。

大学入学後、河合塾岐阜校で学生スタッフとしてアルバイトをしました。すると、同じ土木工学科の先輩から、「土木工学の研究分野は、コンクリートや構造物などのハードウエアだけではない。都市計画、政策評価など、国のグランドデザインにつながる分野があり、しかも岐阜大学はその分野の研究レベルが高い」という話を聞いたのです。調べてみると、確かに、当時、岐阜大学学長を務められた故加藤晃先生や、森杉壽芳先生など、国際的な第一線の研究者が多いことが分かりました。私もぜひそうした研究がしたいと考え、そのお一人である宮城俊彦先生(現・東北大学教授)の研究室に所属することにしました。

学部時代は、宮城先生の指導のもと、都市経済モデルに関する研究を進め、名古屋大学大学院に進学してからは、林 良嗣先生(現・環境学研究科・都市国際研究センター長・教授)の研究室にて自動車関連税の道路及び陸上総合交通システム整備への効果に関する研究を行いました。

・・大学院修了後のご経歴をご紹介ください。

博士課程を終えた後、日本学術振興会研究員(リサーチアソシエイト)として、未来開拓学術研究推進事業「フィリピンにおける大都市地域および地方部の整備、開発、保全に関する研究(東京工業大学)」に参画し、フィリピンで、都市シミュレーションモデルの開発や経済統計を整備する研究を行いました。それが縁となって、その後もさまざまな開発途上国において、調査・コンサルティング業務、ODA業務などに携わってきました。その中で強く感じたのは、持続的な活動を展開するためには何らかの組織が必要だということです。そこで、NPO法人「AREES(Association of Regional Econometric and Environmental Studies)=アジアにおける地域計量経済と環境の研究機構」の立ち上げに世話人として参加しました。このNPO法人は、ガバナンスや国情が異なる東南アジア諸国の研究者や実務者との国際ネットワークを構築し、まだ整備途上の国の経済統計の整備や、知識移転を積極的に推進することを目的にしています。

そして、2009年11月、これまでの国際的な活動の経験を、次世代の若者たちに伝えるために、京都大学特定准教授に就任しました。京都大学工学部地球工学科では、2011年度、学部1年生から卒業までのすべての授業を英語で行う「国際コース」を開設しました。私は同コースで、国際建設マネジメントや海外インターンシップなどに関する講義を担当しています。日本人学生と外国人留学生が一緒に学んでおり、相互に刺激し合うことでシナジー効果が生まれることを期待しています。今後、この「国際コース」をより充実させていくためには、海外の優秀な高校生から選ばれる大学をめざすことが重要になると考えています。

・・これまでの活動の中で、河合塾で学んだことが役立っていると感じられることはありますか。

今や日本は、グローバルな規模で競争しなければならない時代に突入しています。その中で重要になるのは、異なるバックグラウンドを持つ人々と、緊密なコミュニケーションを図ることです。そのためには、自分自身が個性的で魅力的な人物になり、相手に関心を持ってもらえるように努力することが大切です。河合塾時代、多様な個性を持つ講師や友人たちと出会い、積極的に交流を図り、自分を高めようとした経験が、今に役立っていると感じています。

大学合格がゴールではない。入学後何をするかが重要

・・これから大学受験へと向かう後輩へのアドバイスをお願いします。

偏差値の高い大学に合格することをゴールだと考えてほしくありません。そんな感覚では、入学後、息切れを起こしてしまいます。重要なのは大学に入学してから何をするかなのです。そのためには数年後、数十年後の自分の望ましい姿をイメージすることが大切です。そうすれば、その目標に向かって頑張る意欲がわいてくるはずです。もちろん、現時点で、目標とする姿と現状に著しいギャップがあるかもしれません。それでも、あきらめずに、希望を持ち続けてほしいですね。どんなに険しく、茨の道であっても、めざす道が見えているのなら、それは幸せなことです。その道をめざすという姿勢自体が貴重なものだからです。私自身、河合塾に入った当初は、とても国立大学に合格できるような学力レベルではありませんでした。それでも目標を見失わずに頑張り続けたことが、その後、さまざまな活動をする上での自信にもつながっています。

また、近年、日本の若者が内向きになっているといわれていますが、グローバル社会を生き抜くためには、大学選びの際に、日本の大学だけにこだわらず、海外の大学も選択肢に入れる意識が求められると考えています。

・・最後に、保護者へのメッセージをお願いします。

私は、大学受験科に通っていた1年間、勉強以外のこと、たとえば喫茶店で友人としゃべっているだけで、「予備校生のくせに、遊んでいていいのか」と、白い目で見られているような気がして、肩身の狭い思いをしました。自分の立ち位置がよく分からず、先行きにも不安を感じた1年間でした。けれども今思い返すと、いい経験になっていると感じます。誰でも、すべてが順風満帆というわけにはいかず、必ず何らかの挫折が訪れます。優秀で、挫折の機会がなかった人ほど、大学入学後や社会に出てから、初めて挫折に遭遇し、心がぽっきり折れてしまうケースが少なくありません。それよりも、小さな挫折を早めに経験しておいた方がいい(笑)。その方がたくましい人間に育ちます。保護者にはぜひ、それぐらいのおおらかな気持ちになっていただき、受験生に対して、1回や2回の失敗は温かく見守ってほしいと思います。

Profile

金 広文(Kim Kwangmoon)

金 広文(キム・クァンムン)(Kwangmoon Kim)

1969年愛知県生まれ。高3から河合塾名古屋校高校グリーンコースに通う。1988年愛知朝鮮高級学校(高校)卒業後、河合塾大学受験科岐阜校に通い、1989年岐阜大学工学部土木工学科に入学。1993年同校卒業後、名古屋大学大学院工学研究科に入学。1998年同大学院博士(工学)取得後、東京工業大学、豊橋技術科学大学、国際協力銀行(JBIC)/国際協力機構(JICA)などで職務経験を経て、2009年11月より、京都大学大学院工学研究科・特定准教授として学生の指導にあたる。

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