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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.14 (2009年6月公開)

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中部大学 専任講師 玉田 敦子さん

河合塾の授業は知的な刺激にあふれている。アカデミックな世界に初めて触れたことが学問の道を志すきっかけにもなりました。

  • 中部大学
    専任講師

    玉田 敦子さん

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    ドルトンスクール

科学への関心を高めてくれたドルトンスクール

・・ドルトンスクールに通われていた当時の思い出から聞かせてください。

2歳からドルトンスクールに通ったのですが、楽しい思い出ばかりです。祖父母も父も医師で、家庭がとても厳格だったので、私は親の前ではおとなしく、いわゆる「いい子」「おりこうさん」を通していました。けれども、ドルトンスクールは自由で開放的な雰囲気にあふれており、思い切り羽を伸ばすことができたのです。その象徴的なエピソードがあります。遠足の時に、先生が右手はスクールで一番ワンパクな男の子、左手は私と手をつないで歩いていました。ずっと「私がいたずらされないように守ってくれているのだ」と思っていたのですが、成人してからその先生に聞いたところ、私も「要注意児童」で、二人同時に「監視」していたそうです(笑)。それぐらい元気な女の子でした。そんなドルトンスクールでの様子を見て、母の私を見る目も大きく変わった気がします。親にとっても、家庭とは異なる子どもの側面に早めに気づく意義は大きいと思います。

・・ドルトンスクールのどんな点が楽しかったのですか。

ドルトンスクールでは、4名の子どもでグループを編成して、「思考訓練」が行われていました。課題にとりくんでいるときは「勉強」ではなく、知的な遊びを楽しんでいる感覚で、あっという間に50分の授業が終わったように感じるぐらい、楽しい時間でした。私は「作業が速い」方だと思いますが、その処理能力はドルトンスクール時代に目覚めたものだという気がします。その他、フリープレイの時間に、人形劇用の人形を縫って上演したり、料理を作ったりなど、子どもが関心を持つような活動が豊富でした。

科学への興味の喚起を重視していることもドルトンスクールの素晴らしいところだと思います。当時から科学の授業があり、日時計を作ったり、科学館にプラネタリウム見学に行ったりしていました。そのため、私も「科学大好き少女」になり、ぬいぐるみに「宇宙」という名前をつけていました(笑)。

また、先生に勧められて、かこさとしさんの「かがくの本」シリーズや『きょうのかがくのおはなしなあに』を購入。科学に関する話題が見開き2ページ単位で載っている本で、3歳頃から毎日、寝る前に、両親が読み聞かせしてくれました。年長組に入った頃からは、その本を自分で読めるようになり、自然と読書習慣も身についていきました。母が迎えにくるまでの時間を利用して、待合室に置いてあった本はすべて読みつくしてしまったほどです。

そうした経験から、私は文系学部に進んだのですが、テクノロジーに対する抵抗感がまったくありません。むしろ機械の構造、仕組みに強い関心があり、今でも家電やコンピュータのユニークな新製品が発売されると、つい買ってしまいます(笑)。

・・ドルトンスクールにはどんなタイプの子どもたちが多かったのですか。

相撲博士や天文博士など、特定の分野で大人顔負けの博識ぶりを見せる子どもが多く、刺激的な環境でした。世の中には、私の知らない世界がたくさんある。いろんなことを知ることによって、世界は広がっていく。子ども心にそんな感覚を体得することができたように思います。そこで私も、何か得意な分野を作ろうと、まずは地元・名古屋の地下鉄の駅を全部覚えました。けれども、その程度なら、ドルトンスクールの子どもたちは皆知っていることがわかり、次に東海道新幹線の全駅を覚えることにしました。それを先生の前で得意気に披露すると、先生も嬉しそうに聞いてくれて、張り合いが生まれて、もっといろんなことにチャレンジしようという意欲がわきました。長じて東京やパリに住んだ際にも、まず駅名を全部覚えることから始めるのが私の流儀でした(笑)。それは、自分なりの方法で、空間を把握し、外の世界をコントロールするということでもあったと思います。

小学校時代の友人とずっと一緒に人生を歩めたことはとても素敵なこと

・・小学校入学後も、ドルトンのアフタースクールに通われたのですね。

ええ。小学校1年生から4年生まで、週2回、放課後に通いました。その時間は私にとって貴重でした。正直なところ、小学校の授業内容はすぐに理解できてしまうので、ものたりなく、とはいえ、「そんなことわかっている」という顔をすると、周囲から浮いてしまい、いじめの対象になる危険性もあるので、おとなしくしているしかない。そんなストレスから解放される場がドルトンスクールだったのです。この時期、最も楽しみにしていたのは、やはり科学関連の学びです。生徒一人ひとり専用のビーカー、フラスコ、アルコールランプなどがあり、さまざまな理科実験を行っていました。

・・私立中学受験に向けてはどのような勉強をされたのですか。

小学校5年生から、週1回、河合塾小学グリーンコースのテストゼミに通いました。最上位の選抜クラスに入ることができたのですが、当初のテストは極めて悪い成績で、小学校では常にトップクラスだっただけに大変なショックを受けました。それまで家庭学習の習慣はまったく身についていなかったのですが、その後はきちんと予習してからテストゼミに臨むようにし、次第に成績も上昇。志望校に合格することができました。

また、たくさんの友人もできました。今でも私の健康診断をしてくれる女医の友人、私がフランスに留学した時、オックスフォード大学に留学中でよく遊びに行った友人など、交流が続いています。小学校時代の友人とずっと一緒に人生を歩めてきたことは、私の財産であり、とても素敵なことだと思っています。

現代文のテスキトを愛読。今でも「宝物」として持っている

・・中学、高校時代にも河合塾に通われたのですか。

夏期講習などには参加したことがありますが、再び通年でお世話になったのは高校3年生になってからです。ほとんど勉強していなかったので、このままではさすがに志望校に合格できないと考えたのがきっかけです。

・・印象に残っている授業はありますか。

大学教員になった今、改めて痛感するのは、生徒が引き込まれるような迫力のある授業を行う講師が多かったということです。私も大学で約150人の学生を前に授業をすることがあるのですが、全員を寝かせないで授業を行うのは大変です(笑)。けれども、河合塾の授業はそれを実現していて、皆が本当に真剣に受講していました。それは、受験を目前に控えているからという理由だけではなく、講師の語る内容自体が知的な刺激にあふれていたからです。

とくに現代文は、テキストに掲載されている文章が精選されており、しかも授業では、その文章のコンテキスト(文脈、前後関係、背景)が綿々と語られます。多様な現代思想を網羅的に把握している講師の方の教養の深さに圧倒されたのを覚えています。私にとっては、アカデミックな世界に初めて触れたのが河合塾の授業であり、学問の道を志そうとする契機にもなりました。現代文のテキストは大学入学後も愛読し、現在でも「宝物」として持っており、私の思考のベース、知的基盤になっています。

物事の仕組みを知りたいという欲求が研究テーマにもつながる

・・一橋大学社会学部に進学された後、大学院ではフランス文学を学ばれたわけですが、その経緯をお聞かせください。

河合塾の授業で、多様な分野の「知」の広がり、関係性に興味を持ったことから、より幅広い領域の学問に触れることができる社会学部を選択しました。

そして、大学2年生の時に奨学金を得て、フランスに2カ月間留学したことが大きな転機になりました。語学研修のかたわら、美術館・史跡を巡りながら、疑問に感じたのが、日本では国宝などはなかなか公開されていないのに、フランスではなぜ気軽に見ることができるのだろうということだったのです。そこには、国家の方針、施策の違いがあるのではないか。フランスはある意味では芸術・文化などの遺産を政策的に利用している面があるが、日本では芸術、文化は、趣味の世界に限定されたものであり、政治が利用しようとしないが、それはなぜなのか。そうした芸術や文化の「政治性」を追究したいと考え、フランス文学に転身したわけです。

・・フランス文学者といっても、文学を鑑賞するというよりも、その背景、仕組みの方を研究されているのですね。

それが「ドルトン精神」なのかもしれません。物事の仕組み、裏側を知りたいという欲求は、ドルトンスクール時代からしみついているように思います。

・・最後に、河合塾の後輩たちに向けてメッセージをお願いします。

大学受験では、合格という成果を挙げることが最大の目標になるわけですが、それがゴールというわけではありません。大学合格という夢を叶えたその先にどうするのか。常に夢を更新する作業が不可欠になります。私は、そのための基礎体力が河合塾で養われたと思っています。勉強をつらいものだと考えていたのでは、いつまでたっても成績は向上しません。やはり楽しいものだと思える段階まで進むことが大切です。たとえば、先ほど申し上げたように、現代文のテキストでも、受験に必要だからという感覚だったら無味乾燥な文章に感じられるかもしれませんが、知的な世界に触れているのだと考えれば、とてもワクワクしますし、学ぶ意欲も高まります。河合塾で今、そんな知的刺激を享受しているのだという思いを新たにして、頑張ってほしいと思います。

Profile

玉田 敦子 (Atsuko Tamada)

玉田 敦子(Atsuko Tamada)

1972年三重県生まれ。幼少時~小学4年生までドルトンスクール名古屋校で学ぶ。小学5・6年生は小学グリーンコースに通い、南山中学校(女子部)に合格。高校3年生では高校グリーンコースに通塾。一橋大学社会学部へ進学。1998年慶応義塾大学大学院文学研究科仏文学専攻修士課程修了。2005年パリ第4大学大学院フランス文学専攻博士課程修了。2006年より中部大学中部高等学術研究所研究員に、2009年より同大学全学共通教育室専任講師として幅広く活躍中。

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