「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.17 (2009年9月公開)
- 会社経営・起業家
- デザイン・アート関連
- 河合塾美術研究所
単なるテクニックの修得にとどまらず<br />第一線で活躍中の講師陣の感性、熱意、<br />制作の姿勢に大いに感化された
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武藤隆建築事務所
建築家武藤 隆さん
- 出身コース
- 河合塾美術研究所
チームで巨大な作品を仕上げる達成感を体験した高校の学園祭
・・建築の道に進もうと思われたきっかけは何だったのでしょうか。
母校(愛知県立名古屋西高校)の学園祭では、「マスコット」という名前のシンボル・キャラクターを制作するのが伝統になっていました。高さ約6m、幅・奥行き約3mの巨大な張りぼてです。幹事学年の2年生の時、私はその制作チームの代表になり、忍者をキャラクターに選び、約30名の生徒でチームを組んで作成しました。この経験から、大勢の人間が協力して、自分の考えを大きな作品に仕上げる達成感に魅力を感じるようになったのです。
そうした作業に携わることができる大学・学部、および職業にはどんなものがあるのか。河合塾で発行している情報誌などで調べ、建築分野が最も近いという印象を受けました。しかも、よく調べてみると、建築系の学科は工学部だけでなく、美大・芸大にも設置されていることがわかりました。学科試験中心の入試で、受験校が偏差値で限定されてしまう工学部よりも、感性でも勝負できる美大・芸大に魅力を感じ、挑戦したいという気持ちが強まっていきました。
・・河合塾美術研究所に通われたのはいつ頃からですか。
私が高校生の頃は、インターネットのWebサイトもなく、オープンキャンパスも開催されていない時代です。美大・芸大を受験しようと決意したものの、どんな入試が課されるのか、具体的な情報が不足していました。高校の美術の先生に相談したところ、「私は油絵が専門で、建築は門外漢だ。美大・芸大は、学科によって入試スタイルがまったく異なるから、私が指導することは難しい。河合塾の美術研究所に相談してみるといい」とアドバイスされ、高校2年生の冬休みの基礎科冬期講習から参加しました。
奈良美智先生をはじめ錚々たるメンバーが講師を務める
・・冬期講習ではどんな授業があったのですか。
基礎科は、中学生から高校2年生までを対象としており、まだ専門コースに分かれていません。さまざまな学科の志望者が混在しています。授業では、いくつかの課題を与えられてデッサンをしたのですが、油絵やデザイン系の学科志望者もいる中で、意外にも私のデッサンはなかなかいいとほめられたのです。それまで本格的にデッサンの勉強をしたことがなかっただけに、これは大きな自信になりました。これから1年間、頑張れば合格できるのではないか。そんな期待が膨らみ、高校3年生の4月から、日曜日に開講されていた通常の授業に通うことにしました。
・・美術研究所時代の思い出を聞かせてください。
建築物の写生が印象に残っていますね。外に出て、イーゼルを立てて、寺や神社などを描くのですが、炎天下や極寒の状況下で数日かけて仕上げるのはなかなか大変です。体力、根性も必要な世界なのだということを痛感しました。
また、奈良美智先生(日本現代美術の第二世代を代表するポップアート作家)をはじめとして、現在、第一線で活躍している方々が講師を務められていたことも美術研究所の魅力ですね。単にテクニックを学んだというよりも、そうした方々の感性、熱意、制作への姿勢に触れたことが勉強になった気がします。
さらに、私と同じ建築系志望の生徒がいたことも、励みになりました。いい意味でのライバルとして切磋琢磨することで、2人とも現役で東京藝大に合格することができました。
目的意識の明確な学生ばかりが集まる東京藝大
・・東京藝大の学生時代に、美術研究所の講師も務められていますね。
ええ。1~2年次は長期休暇中の講習だけを担当していましたが、3年次から大学院修了までは、通常の授業の講師も務めました。金曜日の夜に新幹線に飛び乗って、日曜日の夜に帰京する生活をおくっていました。最初の1年間は生徒として、大学入学後の6年間は講師の立場で美術研究所にかかわったため、当時のことを思い出そうとすると、境目があいまいというか、どの立場で経験したことなのかわらないこともありますね(笑)。
・・講師として、指導で工夫されたことはありますか。
せっかく現役の学生が講師をしているのですから、大学ではどんな勉強をしているのか、キャンパスライフの雰囲気はどうかなど、できるだけ体験を踏まえた生きた情報を提供するように心がけていました。大学の生の姿を知ることによって、あこがれの気持ちが芽生え、やる気を高めてほしいと考えたからです。
・・東京藝大の雰囲気は一種独特なのではないですか。
当時の私は東京藝大しか知りませんから、大学はすべてこういう雰囲気なのだと思っていました。ところが、その後、さまざまな大学で講師を務めるようになって、やはり特殊な風土だったことがわかりました。最も異なるのは、東京藝大には目的意識が明確な学生ばかりが集まっているということです。他大学のように、偏差値で大学を決めたり、親や高校の先生に勧められたからといった理由で入学している学生は皆無です。全員がその道のトップになりたいという強烈な目標を持っています。とても恵まれた環境だったと思います。
とくに、寮生活は刺激的な場でした。美術や音楽を専攻している学生と寝食をともにし、多様なジャンルの話を聞くことが楽しみでもありました。私はヴァイオリニストの葉加瀬太郎と同室で、よく酒を酌み交わしました。彼は学生時代からステージに立って脚光を浴びていましたから、自分も頑張ろうという意欲がわきましたね。
・・卒業制作ではどのようなテーマに取り組まれたのですか。
学部時代は、ちょうど中部国際空港(セントレア)設置構想が浮上していたため、その設計を提案しました。高校の頃からのビッグスケールのものを作りたいという思いが、どこかに残っていたのかもしれません。この作品は最優秀賞を受賞し、藝大資料館が作品を買い上げてくれるという栄誉に輝くことができました。大学院では名古屋市の街づくりをテーマに選び、こちらも最優秀賞であるサロン・ド・プランタン賞を受賞しました。
・・大学院修了後はどのような活動を中心に行ってこられたのですか。
大学院修了後、約10年間、安藤忠雄建築研究所で修行を積みました。建築の世界は、ビジネスと割り切って仕事をしている人もいて、儲けるために手間を省き、時には大問題になるような建築物も生まれてしまいます。一方で、芸術に徹するあまり、経済的ではないものの設計ばかりに走ってしまう人もいます。その点、安藤先生は、芸術性と経済性を両立させることができる数少ない建築家の1人であり、とても勉強になりました。私なりに充実した日々をおくっていたのですが、次第に安藤事務所のアイデアなのか、私の感覚なのか、麻痺していることに気づくようになったのです。個性の同化といったらいいのでしょうか。必ずしも悪いことではないのですが、安藤先生が作りたいものがすぐにイメージできるようになっている自分に怖さを感じて、思い切って独立することにしました。
この問題は、私にとって永遠のテーマなのかもしれません。自分では脱却したつもりでも、ほかの人が私の作品をみると、安藤先生の影響が残っていると指摘されたこともあります。特に独立して4年目頃までは、意識的に離れようとするあまり、かえって似てしまう面もありました。たとえば、コンクリートの打ち放しを多用するのが、安藤先生のトレードマークのように言われていますが、私はあえてその手法を用いないようにしていたのです。そこで、5年目頃からは、同じ手法の中で異なる特色を出せばいいと発想を転換しました。その頃から少しずつ殻を破れたような気がしています。
入試は才能ではなく努力で克服できる
・・美術研究所の後輩たちにアドバイスをお願いします。
今、美術研究所に通っている人たちは何の心配もいりません(笑)。おそらく全員が大きな夢と目的意識を抱いているでしょうから、それを大切にして、頑張ってほしいですね。
・・とはいえ、美大・芸大は競争率も高く、なかなか合格するのが難しい面もあります。
確かに絶対現役で合格しなさいというのは酷かもしれません。実際、東京藝大などには、何年も浪人して入学している学生が少なくありません。けれども、それは大きなハンデではありません。芸術やデザインの分野は、大学入学後、あるいは社会に出てから、いくらでも巻き返しができる世界でもあるのです。
そして、入試を突破できるレベルに到達できるかどうかという意味でなら、数年間頑張れば、必ず合格ラインに届くだけの力を伸ばすことが可能です。将来、その世界で才能を発揮できるかはまた別の問題ですが、少なくとも入試に関しては、才能ではなく、努力で克服できます。最後まで粘り強く頑張る姿勢が大切になります。
・・保護者の方々へのメッセージもお願いします。
私はいくつかの大学・専門学校で講師を務めているのですが、最近、将来に何ら希望や目的意識を見出せない学生が増えているように感じています。突出した迫力ある学生が姿を消し、できるだけ周りにあわせようという学生が増えてもいます。これはモノに恵まれすぎていることが要因かもしれません。私が成長する時期には、ウォークマン、テレビゲーム、パソコン、携帯電話など、新しいモノの誕生にリアルタイムで直面し、新鮮な感動を味わうことができました。最近の若者は、最初からモノを与えられすぎていて、その実感がないのです。ですから、保護者の方々には、ぜひ自分の子どもに感動体験を与える機会を作ってほしいと思います。種をまいて花を咲かせることでもいい。絵を描くことでもいい。さまざまな感動体験の積み重ねが、将来の夢や目的意識に結びついていくと、私は考えています。
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武藤 隆(Takashi Muto)
1967年愛知県生まれ。名古屋西高校2年在学時から河合塾美術研究所に通い、東京藝術大学美術学部建築科に現役合格。90年に同大学卒業。卒業制作にて最優秀賞(東京藝術大学資料館買上)受賞。92年東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修士課程修了。修了制作にて最優秀賞(サロン・ド・プランタン賞)受賞。1992年~2002年安藤忠雄建築研究所を経て02年武藤隆建築研究所を設立、現在に至る。建築設計、まちづくり、大学講師など多方面で活躍中。<br /><br />
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