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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.19 (2009年11月公開)

  • 医師・医療関連
  • 河合塾COSMO
医師 多田 昌史さん

高校中退からの再出発<br />基礎からの丁寧な指導が支えになり<br />医師への道が開かれた

  • 名古屋市立東市民病院
    神経内科 医師

    多田 昌史さん

    出身コース
    河合塾COSMO

重度のアトピーの影響で、高校1年夏に中退

・・河合塾COSMOに通うようになった経緯を教えてください。

中学2年頃から重度のアトピーになり、体中がかゆくて身動きできない状態に陥りました。中学2年の秋からは休学を余儀なくされました。私立中高一貫校だったため、一応、中学は卒業できたのですが、結局、高校1年の夏に中退することになりました。

数年たって、何とか病状が落ち着いてきて、このまま寝たきりで過ごすわけにもいかない。何か見つけなければならないと考えるようになりました。そんな時、治療してくださった皮膚科の先生が素晴らしい方で、あんな人になりたいという思いが生まれ、医師を志そうと決めました。そのためには、大学の医学部に入らなければなりません。河合塾に大検を経て大学受験にチャレンジできる『河合塾COSMOコース』があることを知り、通うことにしたのです。通い始めたときには、もう20歳を越えていました。

・・その皮膚科の先生のどんな姿に感銘を受けたのですか。

私利私欲に走らず、常に患者のために何が大切なのかを考えている方でした。当時、60歳を過ぎていたと思いますが、天真爛漫で、その明るさに励まされ、救われた気がします。その後も交流は続き、私が医学部に入学した時はとても喜んでくださいました。あの先生との出会いがなかったら、何ら目標を見いだせないままに、迷い続けていたかもしれません。

ひたすら勉強に打ち込み、模試の偏差値が急上昇

・・河合塾COSMO時代の思い出を聞かせてください。

最も印象に残っているのは、牧野先生のゼミです。経済学、哲学、文学、歴史など、多様なジャンルの本をひたすら読んでいく授業で、視野が広がりました。かなり硬めでヘビーな内容の本も多かったのですが、牧野先生が噛み砕いてわかりやすく解説してくださいました。授業中に先生や生徒同士でディスカッションすることもあり、次第に思考が深まっていったように思います。

幸い、1年目に大検に合格することができ、2年目からは河合塾COSMOに通いながら大学受験科の授業も受講するようになりました。

・・大学受験科の授業で印象に残っているものはありますか。

私はきちんと学校教育を受けたのは中学2年の途中までですから、基礎学力が完全に不足していました。けれども、基礎から丁寧に教えてくださる河合塾の指導のおかげで、大学に進学することができ、とても感謝しています。

よく覚えているのが、大学受験科で初めて受講した「数学III・C」の微積分の授業です。まったく見たことがない記号が踊っているだけといった感じで(笑)、先生が語る中身が理解できず、ショックを受けました。その後は本当に夢中で勉強しました。今振り返ってみても、何をしていたのかほとんど記憶に残っておらず、ただひたすら勉強していたという感じです。

・・時間が経過したことも覚えていないぐらい勉強したということでしょうか。

そんな感覚かもしれません。

・・医師になりたいという志向はすでに明確だったわけですから、その目標を達成するために頑張れたということでしょうか。

いえ、それすらも意識していなかった気がします。目の前にある課題を、ひたすら片づけていっただけです。何かのために、とか、何かしたい、ということすら頭の中にありませんでした。ふと気がつくと、30~40程度だった模試の偏差値が、その年の終わりには64まで急上昇しました。もっとも、その頃は偏差値の意味すらもよく理解していなかったので、それがどういう意味なのか、あまりわかっていませんでしたが……(笑)。それだけ河合塾は、授業内容もテキストも精選されており、日々の授業を大切にするだけで、自然と受験に必要な学力が身につく場だったということだと思います。

スペシャリストとジェネラリストの側面を兼ね備えた医師をめざしたい

・・医学部に入る前に、いったん他大学に入学されているのですね。

ええ、医学部合格までには紆余曲折がありました。2年連続で医学部受験に失敗。いったん南山大学文学部哲学科に入学しました。大学に通いながら、通信添削指導を受けており、いわゆる「仮面浪人」だったわけですが、大学の授業には真面目に出席しており、単位もきちんと取得しました。このまま哲学科を卒業するのも1つの選択肢だとも考えていました。

哲学に興味を持ったのは、牧野ゼミの影響もありますが、それ以前からも比較的数多くの哲学書を読んでいました。多分、悩んだ時期があったからでしょうね。学校に通っていないと、これだけはやらなければならないという義務がまったくありません。すると、自分は何をすればいいのかを考えるようになります。それを突き詰めていくと、自分は何のために生きているのか、存在意義にまで到達していくのです。そのため、かなり早い時期から、プラトン、キルケゴール、ウィトゲンシュタイン、永井均などの哲学書を読んでいました。

それでも、もう1回だけ医学部受験に挑戦してみよう。これで不合格だったら、吹っ切って南山大学を卒業しようと覚悟して臨んだ入試で、名古屋市立大学医学部に合格することができました。

・・大学生活の思い出を聞かせてください。

1年次の教養課程は、南山大学で取得した単位が互換認定してもらえたため、家庭教師のアルバイトをしたり、南山大学で所属していた相生道(古武術)の活動をそのまま続けたりなど、余裕のある学生生活をおくっていました。2年次の基礎医学の授業も、同じような感覚で、あまり真面目に授業に出席していなかったところ、学年末の試験でほとんどの科目が不合格になってしまいました。数週間ですべての科目の追試を受け、合格しないと進級できないため、もう必死で、徹夜の連続でした。もしかすると、受験勉強の時以上に勉強したかもしれません。これに懲りて、3年次からは真面目に出席するようになり、4年次の臨床試験ではトップクラスの成績を収めることができました。6年次には、アメリカ・テキサス州のベイラー大学に留学し、ニューロジー(神経内科)のプログラムを専攻し、Honorの評価をいただきました。

・・大学を卒業されてから、これまでどのような活動をされてきたのでしょうか。

卒業後、市立病院と大学病院で研修医を務めた後、東京の病院で家庭医療のプログラムに携わりました。そんな時、東市民病院に設置されていたストロークセンターが機能の充実をめざすことになり、私にも声がかかったわけです。日本における単一の疾患としての死亡原因第1位は脳卒中です。しかも、いったん罹患すると、麻痺などが生じ、家族にとって労力的にも経済的にも負担の重い病気です。最近、血栓溶解療法が効果をあげていますが、この療法が用いられるのは発症後3時間までです。有効な治療、予防を行うには、救急や救急外来の体制を含めたシステムの整備が不可欠であり、そうしたシステムの構築をめざしているのがストロークセンターです。また、当院では、急性期のカテーテル治療にも力を入れていく予定で、有意義な活動に参画できるという気持ちが生まれ、平成21年度に本病院に移りました。

とはいえ、私は脳卒中のスペシャリストだけをめざしているわけではありません。ジェネラリストの側面も重視していきたいと考えています。とくに家庭医療(プライマリーケア)には大いに関心があります。家庭医療とは、医学分野の専門性にとらわれず、患者の治療・予防を総合的に幅広く担当する医療分野です。町でたくさんの診療科を掲げながら、一人で患者さんに対応している医師をイメージしてもらえばわかりやすいかもしれません。私は今でも、神経内科以外のさまざまな診療科の臨床の場を見学するようにしており、多様な病気に対応できる医師でありたいと考えています。

保護者には、子どもが自分のやりたいことが見つかるまでそっと見守ってほしい

・・河合塾の後輩たち、および保護者に向けてアドバイスをお願いします。

先ほども申し上げた通り、私は高校を中退し、自宅で何もしていない時期を過ごした経験があります。その時期に、両親は口出しせずに、私を信じて待っていてくれました。それがとてもありがたいことでした。それまでの私は両親の言うことをよく聞く、いわゆる「いい子」でした。そうした自己抑制型の子どもは、自己への報酬よりも、他人のために何かをやろうとする傾向があります。人の顔を見て、自分の行動を決める面があり、逆に言うと、自分自身で何をやりたいのか見つけられないことが多いのです。その分、ストレスもたまりがちで、私の場合、アトピーの原因にもなったと思います。そういったタイプの子どもに対しては、一方的に指示したりせずに、子どもを信じて、そっと見守っていてあげることも大切だと思います。

一方で、迷っている本人に対しては、「しなければならないこと」ではなく、「自分が楽しいと思うことは何か」という視点で考えてほしいと思います。それが将来の仕事を選ぶきっかけにもなります。もちろん、楽しければ何でもいいわけではなく、たとえば麻薬などはよくない好例です。できれば、自分は何をすれば誰かの役に立つことができるだろうかといった視点が加わることが理想ですね。

もう1つ、私が実体験を通して言えることは、努力に対して早急に結果を期待しすぎてはいけないということです。目標を持つことは大切ですが、多くの場合、目標そのものは勉強の内容それ自体とは無関係であり、目標を意識しすぎることは、むしろ雑音になってしまうと思います。さらには、ストレスの原因にもなるでしょう。他人のためではなく、自分自身が素直にやりたいと思える目標を明確にできたら、いったん目標を忘れてしまえるくらい目の前の課題に集中してください。ふと気がつくと結果が出ていると思います。

Profile

多田 昌史 (Masafumi Tada)

多田 昌史(Masafumi Tada)

1974年愛知県生まれ。東海中学・高等学校に通う。重度のアトピーのため、東海高校1年時に中退。医師を志し、大学医学部進学のため、1995年4月より1999年3月までの4年間、河合塾COSMOに通う。河合塾COSMO在籍時に大学受験科の授業も聴講。1998年には公開単科を併せて受講。1999年4月南山大学文学部哲学科に入学。2000年4月名古屋市立大学医学部入学。2006年3月卒業。2009年より名古屋市立東市民病院の神経内科の医師として活躍中。

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