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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.24 (2010年4月公開)

  • 会社員(情報・通信)
  • 大学受験科
ネットイヤーグループ株式会社 バイスプレジデント 倉重 宜弘さん

受験の本質とは<br />自分で意思決定する力を養成する場であり、<br />自立への第一歩である

  • ネットイヤーグループ株式会社
    バイスプレジデント

    倉重 宜弘さん

    出身コース
    大学受験科

第一志望の早稲田大学の入試で驚きのズバリ的中!

・・浪人してから、河合塾の大学受験科に通われたのですね。

私は丙午の翌年生まれで、人口が急増しており、競争の激しい年でした。「受験戦争」という言葉がマスコミによく登場し、社会問題になっていました。けれども、私が通っていた高校は進学校ではあったのですが、自由な校風で、受験一辺倒という雰囲気はなく、伸び伸びとした高校生活を送っていました。特に学校祭が盛んで、秋の学校祭に向けて春から準備を始める感じで(笑)、私も3年間、演劇や映画を上演したり、展示会に携わったり、積極的に参加していました。その分、受験勉強に取り組むのが遅れ気味になりました。けれども、高校生活を存分に楽しんだうえで、1年間浪人して志望校に合格できればいい。周りの友人もほとんどがそんな意識を持っており、私も現役の時は、学力的にやや難しいと思われた名古屋大学だけを受験し、いわば確信犯的に浪人生活に入りました。河合塾を選んだのは、愛知県出身ですから、やはり地元の予備校という親しみがあったからです。

・・河合塾時代の思い出を聞かせてください。

楽しい高校生活の雰囲気を引きずって、浪人してからもなかなか受験勉強に専念しようといった感覚に切り換えることができず、あまり真面目な生徒ではなかったと思います。浪人後、親元を離れて一人立ちしたいという気持ちが強まり、早稲田大学第一文学部を第一志望にしたのですが、最後の模試でもD判定でした(笑)。そんな私にいろいろなアドバイスをしていただき、ちょっと斜に構えたやんちゃ坊主だった私の伴走役となり、学力的にはギリギリだったと思いますが、最終的に合格にまで導いてくださったことに今でも本当に感謝しています。

・・合格できたポイントは何だったとお考えですか。

私が最も得意としていたのは小論文です。もともと読書好きで、読書感想文を書くのも苦にならず、むしろ他の人とは異なる視点を見つけて書くところに喜びを感じていました。小論文の模試で全国の上位に入ったこともあり、自信を持っていました。河合塾の小論文講座も役立ちました。一方で、コツコツ暗記するのが苦手で、特に世界史の成績は伸びませんでした。そこで、できるだけ世界史を避けて受験できる大学を選んで受ける作戦をとりました。実際、選択科目で世界史を選ばざるを得なかった大学の入試は不調に終わりました。

幸運だったのは、当時の早稲田大学第一文学部の入試教科が、英語、国語、小論文の3教科で、私にぴったりだったことです。しかも、入試当日、小論文の素材文を見ると、何と河合塾の小論文の模試で出題されたものと同じでした!また、英語でも、河合塾の模試の問題が数多く的中していました。一度取り組んだ問題だけに、これは大きなアドバンテージになりましたね。私がどこまで運だのみの人生なのかがわかりますね。

「人生を語る」講師の方々の授業を通して社会に対する目が見開かれた

・・そのほか、河合塾で印象に残っていらっしゃることはありますか。

実は私は、いわゆる学習塾に通ったのは、河合塾が初めてでした。それまで通ったことがあるのはソロバン塾だけです(笑)。大いに刺激を受けたのは、解法へのアプローチが、高校までの授業とはまったく異なっていたことです。現代文を例にとると、それまでの私は、長文の全文を漫然と読んで、自分なりに得た印象や感覚を頼りに問題を解いていました。対して、河合塾の授業では、設問に対するキーワードを探し、解答に最短でたどり着くためのロジカルな考え方を徹底的に教えてもらえました。これはとても新鮮でした。

とはいえ、授業は単にそうした合格のための解法テクニックを教えるだけの場ではありませんでした。そこに河合塾の真骨頂があると思います。講師の方々の多くは、授業の合間に、社会の動き、自分が生きてきた過程、人生に対する考え方について熱弁をふるいます。ここまで「人生を語る」人たちに出会ったのは、私にとって初めての経験であり、社会に対する目が見開かれるきっかけになりました。今となっては、自分にはそこが河合塾に通ったメリットだったかもしれないとも思います。私はそういう意味では本当に「先生運」「指導者運」に恵まれています。人生の転機に、大きな影響をうける先生や人物と本当にタイミング良く出会えている気がします。これは本当にありがたいことだと思います。

大学も再びエンジョイ

・・早稲田大学第一文学部を志望された理由は何ですか。

当時、マスコミュニケーションや、マスメディアによる告知と同義語のように扱われていたマーケティングに興味を持っていました。そのため、その分野の教育が充実している早稲田大学第一文学部を志望したわけです。

・・学生時代に力を入れたことを教えてください。

サークル活動ですね。母校に音楽科があり、本格的な音楽の授業を受けていたことから、音楽に関心があり、最初はグリークラブに入部しました。ところが、このクラブは名門で、練習がハードで、軟弱な自分には続けられませんでした。そこで半年後に、発足したばかりの「ストリート・コーナー・シンフォニー」というアカペラサークルに移りました。後にゴスペラーズやトライトーンなどのプロを輩出しているサークルです。学園祭で歌ったり、帽子を置いて路上ライブを行うと、相当なお金を集めることができました。バブル真っ盛りの、良い時代でしたね(笑)。

また、大学入学前から憧れていた中国に、2ヶ月間一人旅をしたこともありました。『地球の歩き方』や、「バックパッカー」という言葉が流行していた頃です。

さまざまなアルバイトも経験しました。特に思い出に残っているものの一つが、実は河合塾のグリーンコースチューターなんです。大学入学直後は、初めての独り暮らしで不安もあったのですが、そんな時、同じ河合塾出身という共通点を持つ他のチューターたちと知り合い、仲間ができたことは心強かったですね。

・・卒業後のご経歴をお聞かせください。

大学では社会学専修に入り、ゼミでフィールドワーク、統計調査、マーケティングなどの手法を学びました。当時ようやく普及し始めたパソコンを使って、データを分析しているうちに、修得した知識・技術を生かせる仕事に就きたいと考えるようになりました。

ちょうどその頃、銀行系シンクタンクの発足が相次いでおり、私もその1つである富士総合研究所(現・みずほ情報総研)に入社しました。マーケティング部門を志望していたのですが、システムエンジニア(SE)が不足していた時代で、私もしばらくはSEとしてプログラミングなどの仕事に携わり、その後、経営コンサルティングの部署に異動しました。その部署で、ベンチャー企業の支援などに携わったこともあり、黎明期から事業を成長させていく仕事にやり甲斐を感じ、入社10年後に、設立間もないネットイヤーグループに飛び込むことを決意しました。現在は、クライアント企業のインターネットを使ったマーケティングを総合的に支援する業務に携わっています。

受験は親子関係の最大の転換期でもある

・・これまでのご経歴の中で、河合塾で学んだことが役立っていると感じていらっしゃることはありますか。

私にとって河合塾は、子どもから大人になり、社会に飛び出そうとしている時期に、精神的な成長を促してくれる場だったと思います。世の中の仕組みの本当の姿や、社会の“裏”を読み取る力を教わり、本質的に社会を見ようとする姿勢が養われました。厳しく難しい社会だけれども、これからその社会に立ち向かって、しっかり生きていかなければならないのだというメッセージが、講師の方々の言葉の中に込められていた気がします。

それから、浪人時代は、表面上はのんびり構えていても、内心では過酷で辛い経験だったことは間違いありません。今でも大学入試の合格発表のニュースに接すると、当時の感覚がよみがえってきて、人ごとのようには思えません。それを乗り越えた経験は自信になっていますし、私の礎になっているかもしれませんね。

・・後輩たちへのアドバイスをお願いします。

受験の本質とは、自分で意思決定する力を養成する場という一面もあるかもしれません。偉そうな言い方かもしれませんが、「自立への第一歩」と言い換えても良いかもしれません。とくに近年は、日本経済が低迷し、思いもよらない企業が不調になるなど、先行き不透明な状況になっています。何に価値基準を置くのか、極めて難しい時代ですが、私自身は、結局は個人個人が自分自身の中にその価値基準を構築するしかないのではないかと思っています。だからこそ、将来、どの大学・学部に進み、どの職業に就くのかは、自分で意思決定をして、自分で道を切り拓いてほしいと思います。親や教師に言われたからと、言い訳を用意しているようでは、満足できる人生を送れるはずがありません。そして、自分で決めたことを、達成するための努力をする初めてのトライアルが大学受験なのかもしれないと、私は考えています。

・・最後に、保護者へのメッセージをお願いします。

今申し上げたことと通じるところがあるのですが、先日、テレビでショッキングなニュースを見ました。ある大学が、学生の就職活動をサポートするためにどのような指導体制を用意しているのか、親が何をすべきかを、親に対してレクチャーしているというのです。親もメモをとりながら真剣に聞いています。果たしてそれで良いのかと疑問に感じました。就職に関してまで親が口出しするようでは、子どもに意思決定力が身につくはずもないからです。私自身は、受験の際に、親から、経済的な理由で「浪人をこれ以上続けることは避けてほしい」と懇願はされましたが(笑)、めざす大学を指示されるようなことは、一切ありませんでした。ある程度、大人扱いされていたわけで、それはありがたいことだったと思っています。自分が親になった今つくづく感じるのですが、親は「いつまでも子どもを守り続けることはできない」ということから目をそらしてはいけないと思います。いつかは、自分で考え、方向性を見つけるように、切り換えていくことが大切になります。大学受験は、そうした親子関係転換の「テスト」でもあるのかと、私は思います。

Profile

倉重 宜弘 (Yoshihiro Kurashige)

倉重 宜弘(Yoshihiro Kurashige)

1967年愛知県生まれ。愛知県立明和高校を卒業後、河合塾名駅校大学受験科に通う。1987年早稲田大学第一文学部に入学。同大学卒業後、1991年、富士総合研究所(現・みずほ情報総研)に入社。システムエンジニアを経て、経営コンサルタントとして、マーケティング戦略、ビジネスプラン策定などのコンサルティングに携わる。2000年、ネットイヤーグループ株式会社に転職。現在は、同社のバイスプレジデントとして、企業のブランドコミュニケーションの支援、戦略性の高いWebサイトの構築などに携わっている。

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