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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.25 (2010年5月公開)

  • デザイン・アート関連
  • 河合塾美術研究所
画家 池田 学さん

合格のためのパターンを教え込むのではなく<br />楽しく自由な表現を大切にする指導を通して<br />自分なりの個性が芽生えていきました


  • 画家

    池田 学さん

    出身コース
    河合塾美術研究所

「芸大コンクール」のレベルの高さに圧倒されて2浪目に河合塾に転校

・・絵に興味を持つようになったのはいつ頃からですか。

物心つく前から絵が好きだったようです。親戚に画家、デザイナーなど、美術に関わっている人が多いので、その影響もあったのかもしれません。私にとって絵はずっと身近なもので、小学生の頃は、スケッチ大会、読書感想画コンクールなどでよく入選していました。

中学2年生の時、地元の県立佐賀北高校に芸術コースが開設され、中学の美術の先生から受験を勧められました。もちろん、まだ画家になりたいという強い気持ちはなかったのですが、好きな美術の勉強がたくさんできるのもいいなと思い、受験することにしました。私は第2期生になります。入学後は、美術の授業が週8時限あり、部活動も美術部に入るのが義務づけられています。そうした環境のもとで、さらに美術の世界に魅せられていき、芸大をめざそうという決意が固まっていきました。

・・河合塾美術研究所に通ったのはどの時期ですか。

「予兆」 2008 190×340cm 撮影:久家靖秀 (c)IKEDA Manabu Courtesy Mizuma Art Gallery

「予兆」 2008 190×340cm 撮影:久家靖秀 (c)IKEDA Manabu Courtesy Mizuma Art Gallery

河合塾美術研究所では、年1回、「芸大コンクール」を開催しています。私は現役受験に失敗し、1浪目は他の予備校に通っていたのですが、このコンクールは予備校の枠を超えて、芸大受験生が多数応募する一大イベントになっています。私も腕試しのつもりで応募したのですが、河合塾美術研究所の生徒たちのレベルの高さに圧倒されました。芸大をめざすのなら、周りにハイレベルなライバルが存在する環境で学ぶことが必要だと考え、2浪目に河合塾美術研究所に転校しました。

既成概念から脱却した周りの生徒の作品に刺激を受けて、新しい方向性を見出す

・・河合塾美術研究所時代の思い出を聞かせてください。

「予兆(部分)」 (c)IKEDA Manabu Courtesy Mizuma Art Gallery

「予兆(部分)」 (c)IKEDA Manabu Courtesy Mizuma Art Gallery

1浪目に通った予備校は、いわゆる「傾向と対策」を重視していました。入試で課される実技課題だけに集中して1年間取り組み、合格するためのパターンを教え込むというスタイルでした。対して、河合塾美術研究所の指導法はまったく異なるものでした。とくに前半のカリキュラムはバラエティに富んだ内容で、自画像、ヌードデッサンなど、入試では課されないようなものにも挑戦します。正直なところ、最初は「こんな入試に関係ないようなことをやっていて大丈夫なのだろうか」と不安になったこともあります。けれども、やはり好きな世界ですから、次第にいい作品に仕上げようと夢中になっていきます。受験勉強という意識から離れて、純粋に没頭する中で、新しい色を創造したり、それまでとは違うアングルから対象を見たり、新たな発見、出会いがありました。後半からは入試に即した実技が中心になりますが、入試に直接関係ない取り組みを通して得たものを柔軟に取り入れることができ、それが結局、入試に大いに役立ったと感じています。

また、入塾当初に先生から「楽しんで自由にやりましょう」と言われたことも印象的でした。入試の課題だからといって、1つの作品を作るという行為自体に変わりはない。ならば、自由に面白い作品を作ろうという姿勢がなければいけない。そうか、そういう純粋な気持ちこそが大切なのだと、目が見開かれた思いでした。

・・印象に残っている授業はありますか。

「興亡史」 2006 200x200cm 撮影:宮島径 (c)IKEDA Manabu Courtesy Mizuma Art Gallery

「興亡史」 2006 200x200cm 撮影:宮島径 (c)IKEDA Manabu Courtesy Mizuma Art Gallery

入塾してすぐの授業で、自己紹介を兼ねて自画像を描くという課題が課されました。私は真面目に丁寧にリアルな自画像を仕上げました。ところが、他の生徒の作品を見ると、自画像の既成概念から脱却したものが少なくなかったのです。一部分をクローズアップしたり、極端なデフォルメを施したり……。自分の頭の硬さに愕然とするとともに、新しい方向性も見出すことができました。合格するためには、基本的なテクニックは不可欠ですが、それだけでは足りない。いかに自分の個性、遊びを画面上で表現することができるかがカギを握るのです。その部分が私には不足していたわけです。

周りの友人たちからは、その後もいいライバル関係を築くことができ、さまざまな刺激を得られました。石膏デッサンの課題の時などは、一番いい席を確保するために、朝早くから皆で門の前に並んで、開門と同時に教室までダッシュしたのも、なつかしい思い出です。授業が始まるまでは、石膏に向かってじっと瞑目し、イメージを膨らませていました。

・・2浪目で東京芸術大学に合格されたわけですが、1年間でどのような点が変化したと考えていらっしゃいますか。

「二の丸御殿(興亡史より)」 2007 53x42cm 撮影:宮島径 (c)IKEDA Manabu Courtesy Mizuma Art Gallery

「二の丸御殿(興亡史より)」 2007 53x42cm 撮影:宮島径 (c)IKEDA Manabu Courtesy Mizuma Art Gallery

周囲の個性的な作品に接することで、バリエーションは確実に広がっていきました。それまでの作品と比較した場合、傍目からはそれほど違いは感じられないかもしれませんが、私の中では劇的な変化がありました。新しいアイデアを取り入れようとしたり、遊び心を大切にしたりする姿勢が養われたことが大きかったと思います。

・・東京芸術大学ではセンター試験も課されますが、どのような対策を立てられたのでしょうか。

河合塾美術研究所では、学科試験の講座も用意されており、私はきちんと受講していました。芸大志望者の中には、合否の最大のポイントは実技で、センター試験の得点は関係ないと豪語して、まったく対策学習をしない人も少なくありません。けれども、実技が同じレベルなら、センター試験の得点がものをいうケースもあるはずだと思い、おろそかにしないようにしたのです。実際、大学入学後、同級生たちに話を聞くと、ほとんどがセンター試験用の勉強もしっかりやっていたようです。そもそも、センター試験を課すと明示されているのに、やらなくても大丈夫と思い込むこと自体が、甘えの感覚です。受験生である以上、真面目であることが大切だと思います。

細かいペン画を積み重ねて1つの作品を仕上げる

・・大学時代の思い出も聞かせてください。

「領域」 2004 42x59.5cm 撮影:宮島径 (c)IKEDA Manabu Courtesy Mizuma Art Gallery

「領域」 2004 42x59.5cm 撮影:宮島径 (c)IKEDA Manabu Courtesy Mizuma Art Gallery

受験生時代までは、モチーフやテーマなど、具体的な課題が提示され、それをどう料理するかという段階です。ところが、大学に入ると事情はまったく異なります。たとえば、「都市」といった漠然としたテーマだけが与えられ、後は完全に自由なのです。入学当初はとても戸惑いました。自分ならではの個性が発揮できる手法を模索して、4年間で油絵、日本画、インスタレーションなど、さまざまな手法を試したのですが、いずれもどこからか借りてきたスタイルに止まってしまい、オリジナルを生み出す域まで昇華させることができません。いわゆる「自分のもの」にならなかったわけで、悩みが深まっていきましたね。

一方で、2年間の浪人生活でがむしゃらに頑張ってきた分、大学生活がとても楽しくて、サークル活動にも熱中しました。サッカー部と山岳部に所属。クライミングやスキーも大好きで、雪山によく出かけました。山でははっとする美しい景色、面白い形に出会うことができ、それが頭の中に蓄積されていき、卒業制作では岩山の絵に挑戦することを決めました。けれども、借り物の技法を使っても、イメージからはほど遠いものになってしまいそうです。予備校時代から、石膏デッサンを描く時も、粘土で何かを作る時も、平面構成の場合でも、事前にペンで細かく描いてイメージを膨らませるのが、私の流儀でした。そこで、卒業制作の時も、岩山の写真を見て描いたペン画を持参して、担当教官に相談しました。すると、先生から「これをそのまま大きく描けば、面白いものになると思う」とアドバイスされたのです。「その手があったか」と思いましたね(笑)。ペン画は私にとって身近すぎて、それがそのまま作品に結びつくなんて、気づかなかったわけですが、最も好きで得意な技法ですし、独創性も生まれるのではないかという期待が膨らみました。以後、その技法を追い求め続けています。

・・卒業後の経歴をご紹介ください。

「存在」 2004 145x205cm (c) IKEDA Manabu Courtesy Mizuma Art Gallery

「存在」 2004 145x205cm (c) IKEDA Manabu Courtesy Mizuma Art Gallery

卒業制作展でいくつかのギャラリーから声がかかり、大学院時代に作品展も開催しました。プロの道を歩み始めたわけですが、知名度もなく、価格も安い状態で、独り立ちしたとは言えない状況が続きました。

大きなターニングポイントになった作品は、28歳の時の『存在』です。沢木耕太郎さんの『深夜特急』に影響を受けて、東南アジアを4カ月間、一人で放浪した時に出会った大木のイメージをもとに描きました。この絵を発表した時、ミヅマアートギャラリーのディレクターが高く評価し、その場で購入してくださったのです。現在はこのギャラリーに所属して、1~2年に1作品のペースで絵を発表しています。

・・今後、どのような表現活動をめざしていらっしゃいますか。

現在の技法はまだたくさんの可能性を秘めていると思いますから、さらに掘り下げていきたいですね。もっと巨大な絵にも挑戦したいし、逆に小さいサイズにも取り組んでみたい。あるいは違う素材に描いたらどうなるかなど、極める方向性はさまざまに広がっていきそうです。

ただ、1~2年に1作品のペースですから、なかなか楽な生活にはならないですね(笑)。けれども、たとえばシミ、ひび割れなど、自分のこだわりの部分を表現しようとすると、1日に10センチ四方を描くのが限界です。ちなみに私は、下書きはしない方針です。下書きをすると、単なる清書の作業のようになってしまうからです。何もないところから描いていくと、思いがけないアイデアがひらめくこともありますし、まったく関係ないもの同士を組み合わせることで、新たな面白さが生まれることもあります。そんなアイデアを大切にしたいので、作品制作の半分以上は考える時間になっています。

「楽しんで自由に描く」という意識を大切にしてほしい

・・現在の活動に、河合塾美術研究所で学んだことが役立っていると感じられる点はありますか。

「方舟」 2005 89.5x130.5cm 撮影:木奥恵三 (c)IKEDA Manabu Courtesy Mizuma Art Gallery

「方舟」 2005 89.5x130.5cm 撮影:木奥恵三 (c)IKEDA Manabu Courtesy Mizuma Art Gallery

あんなに毎日ひたすら石膏デッサンに取り組んだのは、大学入学後もないですね。その中で基礎力が養われたことが貴重な財産になっています。というより、私にとっては、現在の制作活動も、石膏デッサンも、道具、テーマは変わったものの、描く時の意識はまったく同じものなのです。あの石膏デッサンの経験がなかったら、今の私はないといってもいいでしょう。

・・最後に、後輩たちに向けてメッセージをお願いします。

私は、河合塾美術研究所で教わった「楽しんで自由に描く」という感覚を、今でもとても大切にしています。多少テクニックは不足していても、1つの作品に夢中になり、何とか楽しいものを作ろうとすれば、必ず画面から、その戦った形跡がにじみ出てきます。それが熱になり、人の心を惹きつけるものになるのです。もちろん、私自身の経験からいっても、その域に到達するのは、簡単なことではありません。けれども、その意識だけは、いつも心のどこかに置いて、大切にしてほしいと思います。

取材協力:Kagura Salon、サステイナブル・インベスター ミヅマアートギャラリー

Profile

池田 学 (Manabu Ikeda)

池田 学(Manabu Ikeda)

1973年佐賀県生まれ。県立佐賀北高校芸術コース美術科に通う。河合塾美術研究所東京校(現新宿校)を経て、94年東京芸術大学美術学部デザイン科に合格。98年に同大学卒業。卒業制作では、デザイン賞、平山郁夫奨学金賞を受賞。2000年東京芸術大学大学院修士課程修了。01年、作品「再生」が第4回はままつ全国絵画公募展大賞ならびに佐賀銀行文化財団新人賞を受賞。06年、08年ミヅマアートギャラリーにて個展を開く。09年にはおぶせミュージアム・中島千波館にて美術館での初個展を開催。海外の展覧会にも積極的に参加し活動の場を広げている。

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