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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.28 (2010年8月公開)

  • 医師・医療関連
  • 河合塾KALS
医師 海老原 一彰さん

夢とは最初は漠然としたものでいい。<br />その夢を目標に変えるために<br />まず行動を起こすことが大切です。

  • 東京医科大学茨城医療センター
    医師

    海老原 一彰さん

    出身コース
    河合塾KALS

医療福祉機器メーカー勤務、留学などを経て、28歳で医学部の学士編入試験に挑戦

・・医師をめざそうと考えたきっかけから教えてください。

姉が理学療法士だったこともあって、高校時代から医療に興味があり、医師の仕事に漠然と憧れの気持ちを抱いていました。一方で、モノづくりの世界も好きだったため、医療と工学を関連づけた勉強ができる学部はないか、いろいろ調べてみました。すると、早稲田大学理工学部機械工学科に、医用生体工学の研究室があり、人工心臓の研究をしていることを知りました。まさに自分の希望にぴったりの学部だと思い、入学しました。3年次から、当初の志望通り、医用生体工学の梅津光生研究室に所属し、卒業研究では、補助人工心臓のポンプに取りつける人工弁の研究に取り組みました。

大学卒業後は、やはり医療機器メーカーに進みたいという思いが強く、介護保険制度の導入に向けて、介護用ベッドの開発に力を入れていたパラマウントベッド株式会社に入社。約2年半、技術開発部で新製品の開発・設計、既存製品の改良などに携わりました。けれども、そのうちに、患者さんが寝た状態の快適さを追求するベッドよりも、患者さんの行動を支援できる車椅子などの移乗機器に関心が移っていったのです。もともとスポーツが好きで、高校時代は剣道部に所属していた私は、それ以前から、車椅子バスケットボールの試合もよく見に行っていました。ハンディキャップのある方々が溌剌とスポーツを楽しんでいる様子に接して、この方々がもっと自由に動けるような機器を開発したいという意欲が生まれました。そこで、パラリンピックのスポンサーで、車椅子部門の立ち上げを構想していたオットーボック・ジャパン株式会社に入社。主に子ども用の車椅子の開発に携わり、技術面だけでなく、営業やマーケティングなども担当しました。その中で痛感したのは、車椅子に関しては欧米の技術がかなり先行しているということです。よりよい製品を開発するためには、欧米の最先端技術に触れることが重要だと考え、留学を決意しました。

・・留学先はどちらですか。

オットーボック・ジャパンを1年で退職して、まずアメリカのワシントンの語学学校で4カ月間、英語力をブラッシュアップした後、ピッツバーグ大学の車椅子研究所(ヒューマン・エンジニアリング・リサーチ・ラボラトリーズ)に入りました。この研究所で、約1年間、インターンとして、現地の大学院生と一緒に研究することができました。

アメリカの医療を見て感動したのは、リハビリテーション専門医の制度が確立されていることです。しかも、エンジニアや、理学療法士・作業療法士などのセラピスト、および医療機器メーカーが協力しあって、1つのチームとして患者さんのリハビリテーョンをサポートしています。日本でも同様の仕組みを充実させたい。そのために、自分自身でリハビリテーション専門医をめざそう。そう決意して帰国。もう28歳になっていたのですが、改めて医学部に挑戦することにしたのです。

先輩合格者が残していった過去問の蓄積が圧倒的な強み

・・河合塾KALSに通おうと考えられた理由は何ですか。

当初は、一般受験生と同じように、センター試験と2次の学科試験を受験しなければならないのだろうなと、ある程度、覚悟は決めていました。当然、受験勉強から離れて久しいので、相応のハンデがあります。私のような社会人が医学部に再挑戦する際には、どのような方法をとるケースが多いのか、調べてみたところ、学士編入制度を設けている医学部があり、河合塾KALSにその専用の対策講座が設置されていることを知ったのです。

・・河合塾KALSの教育システムや授業で印象に残っていることを教えてください。

テキストも授業も、出題傾向に即した、きわめて実践的な内容でした。一般入試の過去問なら市販もされていますが、学士編入試験の問題を個人で入手するのは困難です。河合塾KALSには、先輩合格者たちが残していってくれた過去問の蓄積がありますから、それが圧倒的な強みですね。

また、ありがたかったのは、社会人が仕事の都合にあわせて、いつでも好きな時間に受講できるように、授業がDVDに収録されていたことです。私は働きながら通っていたわけではありませんが、他の人より少し遅れて12月に入塾しました。医学部学士編入試験の対策講座はすでにスタートしていたのですが、それまでの授業をすべてビデオで受講することができ、とても助かりました。

受講生同士、および受講生と講師の方の距離が近く、気軽に話しかけることができ、アットホームな雰囲気だった点も魅力です。また、志望校や学習の個別相談が受けられるチューター制度もありました。チューターは受講生OB・OGが中心で、全員が学士編入で医学部合格を果たした方でしたので、きわめて具体的で役に立つアドバイスをいただくことができました。

多様なバックグラウンドを有する友人たちの話に大いに刺激も受けました。ただし、バックグラウンドが異なる分、ニーズも多様な面もあります。たとえば、私は数学や物理にはそれなりの自信があるものの、生物に関しては高校で履修していないため中学レベルの知識しかありませんでした。そこで、生物は基礎レベル、数学や物理はハイレベルな授業を受講することにしました。そうした一人ひとりの事情に応じた指導が展開されていることも、河合塾KALSの大きなメリットだと思います。

医学部学士編入試験の実態に即した実践的な授業

・・医学部の学士編入試験では、どのような科目が課されるのですか。

生命科学、小論文、英語が課されるのが一般的です。生命科学は大学の教養科目レベルの知識が問われます。小論文は、医療倫理など、医学界のタイムリーなテーマが中心です。河合塾KALSは小論文指導も充実しており、与えられたテーマで書いた小論文を丁寧に添削指導していただきました。よく出されるテーマに関連するテレビ番組や新聞記事を見るように勧められたりもしました。英語も、いわゆる受験英語とは異なり、「ネイチャー」「サイエンス」などの科学雑誌に掲載されるような医学関連の英語論文を和訳して、自分なりの意見をまとめるという形式が主流です。それに対応して、授業では、実際に医学論文を和訳するトレーニングを積んだほか、定期的に生命科学用語の単語テストが課されていました。また、河合塾KALSには代表的な科学雑誌のバックナンバーが揃っていたので、空き時間に読むように努めていました。

・・アメリカに留学されていたのですから、英語はそれほど苦労されなかったのではないですか。

英語に抵抗感はなかったのですが、専門用語が頻出する論文は、なかなか簡単には読み進めることはできません。ですので、事前に日本語版の雑誌で当該箇所の内容を頭に入れてから読むようにしていました。

目標とするリハビリテーション科の研修が充実している病院を選択

・・高知大学医学部に入学されたわけですが、大学時代の思い出を聞かせてください。

河合塾KALSに入った翌年の9月に、学士編入試験で2つの国立大学の医学部に合格。高知大学医学部の3年次に編入学しました。

大学時代には、勉強のかたわら、部活動にも熱中しました。その1つが剣道部で、現在5段の腕前です。もう1つがボランティア部の活動です。実は、高知大学の学士編入試験の2次試験では、病院でのボランティアが課されました。実際に病院のロビーで、どう患者さんと接しているかを評価される試験です。その際、かつて車椅子の開発に携わっていたこともあって、タイヤの空気がもれていたり、ネジがゆるんでいたりする車椅子が目につきました。そこで、大学入学後、ボランティア部に入り、病院内の車椅子のメンテナンスを行いました。

・・大学卒業後の経歴をご紹介ください。

先ほど申し上げたように、私の目標はリハビリテーション専門医になることです。そのため、初期研修でリハビリテーション科のプログラムを設けている病院を探しました。東京医科大学茨城医療センターを選んだのは、地元に近かったことと、隣接する茨城県立医療大学がリハビリテーションのセラピストを養成する大学で、そこでの研修が選択できることが決め手になりました。現在はまだ2年目の初期研修医で、さまざまな診療科をローテーションで回っている段階ですが、3年目からの後期研修ではリハビリテーション科への入局を希望するつもりです。

受講生同士で自主的に開いた「集団討論」で視野が広がった

・・現在の仕事に、河合塾KALSで学んだことが役立っていると感じられることはありますか。

最大の財産は人間関係ですね。年齢も経歴も多様な友人に出会ったことで、視野が広がりました。実は、学士編入試験の2次試験では集団討論が課されることもあります。その対策として、受講生同士で自主的に集まって、集団討論のシミュレーションを行っていたのですが、自分とはまったく異なる専門分野を基盤としたユニークな発想に接することは、とても刺激的だったのです。現在でも、医師として全国各地に散らばった当時の友人たちとは連絡をとりあっています。皆が頑張っている様子を聞くと、自分のモチベーションも高まりますね。

・・最後に、後輩へのメッセージをお願いします。

まだ将来の夢が明確に定まっていない人もいるでしょう。私も、高校時代、医療に興味はあったものの、何をやりたいのか、漠然としていた気がします。そんな時に大切なのは、自分で調べるだけでなく、友人たちに相談し、その意見に真摯に耳を傾けることだと思います。自分一人で考えていると、どうしても考えが狭まってしまうからです。そうした相談ができる人脈を築くことが重要です。

もう1つ大切なポイントは、ちょっとでも興味を持ったら、それを学ぼうという行動を起こすこと。もちろん、失敗することもあるでしょう。いざ飛び込んでみたら、自分には適性がないことがわかったり、すぐに興味を失ってしまったりすることもあるかもしれません。けれども、その時点でいくらでも軌道修正はできます。私自身の経歴がそれを証明しています(笑)。夢とは最初は漠然としたものでいい。その夢を目標に変えるためには、まず行動を起こすことが肝心。そう私は考えています。

Profile

海老原 一彰 (Kazuaki Ebihara)

海老原 一彰(Kazuaki Ebihara)

1975年茨城県生まれ。県立下妻第一高校卒業後、早稲田大学理工学部機械工学科に入学。1998年同大学卒業後、医療・福祉機器メーカーでの勤務を経て、リハビリテーションに関する欧米のシステムを学ぶため、2002年に渡米。ピッツバーグ大学の車椅子研究所でインターンとして研究に携わる。リハビリテーション専門医をめざすことを決意し、帰国後、河合塾KALS医学部学士編入コースに通う。2005年高知大学医学部に3年次編入。2009年同大学卒業後、東京医科大学茨城医療センターで臨床研修中。

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