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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.29 (2010年9月公開)

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中外製薬株式会社 研究本部 松田 穣さん

ドルトンスクールで<br />興味を持ったことをトコトン追求する中で自主性や発想力が育まれ、人生が豊かになった。

  • 中外製薬株式会社
    研究本部

    松田 穣さん

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    高校グリーンコース
    ドルトンスクール

大好きな恐竜の粘土工作を通して物理的なバランス感覚を体得

・・ドルトンスクールに通っていた頃の思い出からお聞かせください。

ドルトンスクールの最大の魅力は、子どもが興味を持ったことをトコトン追求させてくれることです。自分で発案して、計画を立てさえすれば、何にでも自由に取り組むことができます。ただし、先生方がレールを敷いてくれるわけではありません。たとえば、動物に興味を持った子どもがいた場合、「こんな本で調べてみよう」といった指示が与えられることは一切なく、「じゃあ、どんなことをするのが良いかな」と、子どもと相談しながら、一緒に考えてくれるのです。子どもと対等に接してくださる先生方に恵まれて、本当の意味で自主性を育てる教育が行われていたと感じます。

今、私は科学者として癌の治療薬を研究しています。一般的には、科学者は自分のやりたい研究に携わっているものと思われているかもしれませんが、意外にそうでもない面もあります。研究には莫大な資金が必要なため、予算を獲得するには資金提供者を説得しなければなりません。どうしても、自分がやりたい研究よりも、相手側のニーズが優先され、さまざまな制約が生じてくるのです。皮肉なことに、人生を重ねるにしたがって、やりたい研究がストレートにできなくなっていくわけで、興味のおもむくままに好きなことに熱中できたドルトンスクール時代を懐かしく思い出します。

・・松田さんはどんなことに熱中されたのですか。

恐竜が大好きでした。教室にあった恐竜の図鑑を見て、名前を片っ端から覚えて、粘土で工作していました。自分で作ってみると、立体感覚が体得できます。これだけ尻尾が大きいのなら、それを支えてバランスを図るためには、どのような胴体にしなければならないのか、物理的なバランス感覚が自然に身についていった気がします。そんな作業に、飽きもせず毎日何時間も取り組んでいました。

また、私は自分で詩を作って、節をつけてよく歌っていました。ある日、その自作の歌を正式な楽譜にしたいと思い、音楽の先生の前で数曲歌い、楽譜におこしてほしいと頼みました。先生は快く承諾し、一部を編曲した上で楽譜にしてくださいました。その上、ピアノで弾き語りをして録音したカセットテープも作ってくださいました。先生の編曲と伴奏によって、その完成度は巷の童謡をしのぐほどの出来ばえになっており、感動しました。通園の時、母が運転する車の中で、そのテープを繰り返し聴いていたことを覚えています。

「悪いことをするのはなぜいけないのか」子ども同士でディスカッション

・・そのほか、ドルトンスクールで印象に残っていることはありますか。

先生方は、いつも簡単に答えを教えることはありませんでした。そもそも簡単に答えが出るような問いかけ自体がなかった気がします。強烈に印象に残っているのが、子供たちが他の子供に迷惑をかけるようないたずらをしたときの事です。先生は皆に「ばれないとわかっていても、悪いことをするのはなぜいけないのでしょうか。それを皆で考えてみましょう」と言われたのです。才気走ったタイプの子どもが多いので、「今は科学捜査が進んでいるから、ばれないようにみえても、誰が悪いことをしたかは、指紋ですぐに特定されてしまう」などと、生意気なことを言います(笑)。そんな中で、ある子どもが「たとえばれなくても、自分に良心の呵責が残り、その後、つらい思いで過ごさなければならない。だから悪いことをしてはいけない」という意味のことを発言しました。先生は、その発言を正解とは言わず、「なるほど。私はそういう考え方が好きです」とだけおっしゃいました。おそらくほとんどの人は、こうしたテーマについて考えるのは、思春期になって、ドストエフスキーの『罪と罰』などを読んで以降のことでしょう。ドルトンスクールでは、かなり噛み砕いた思考過程ながらも、こんな深いテーマで、子ども同士がディスカッションしていたわけです。

・・大学のゼミでディスカッションしてもおかしくないようなテーマですね。

子どもを対等な存在として扱っていたとも言えます。子どもはどんな問題に対しても、それなりに真剣に考えているものです。ある意味では、大人よりもピュアに追求する姿勢があると言っても良いかもしれません。そうした子どもの性質を理解して、純粋に深く考えさせる教育が行われていたわけです。

もう1つ重要なポイントは、どの考え方が正解だと押しつけることがなかったということです。すぐに正解を示してしまうと、せっかく子どもたちが思考を広げようとしている芽を摘んでしまうと考えていらっしゃったのだと思います。

・・かなりレベルの高い教育が行われていたのですね。

とはいえ、ドルトンスクールの教育は、いわゆる英才教育とは一線を画しています。英才教育の多くは、幼少の頃から厳しい訓練を課して、知識や技能をたたき込んでいきます。それによって、驚異的な暗算力などが身につくわけです。そうしたパターン的な能力が養われても、生活する上で便利にはなるかもしれませんが、人生そのものが豊かになるわけではありません。対して、ドルトンスクールが最も大切にしていたのは、自分で発想して、自主的に行動する姿勢です。直接的に入試などに役立つような知識ではなく、人生の土台となる力を養成する場だったと思います。

人生のエピソードに関連づけて化学の話題が展開されるグリーンコースの授業

・・河合塾のグリーンコースにも通われたのですね。

高校2~3年生の時に通いました。印象的だったのは、化学の大東先生の授業です。ご自身の人生のエピソードに関連づけて化学現象の話題が展開される授業で、興味深く学ぶことができました。たとえば、先生は少年期に海辺に転居されたのですが、泳いだ後、海から上がると、地元育ちの子どもたちの服はすぐ乾くのに、自分の服だけがなかなか乾かない。不思議に思っていると、地元育ちの子どもたちは、すぐに服を真水で洗っていたことに気づいたそうです。海水など、不揮発性の溶質が溶媒に溶けた状態の液体が乾きにくいのは、「蒸気圧降下」という現象によるものです。教科書に載っている化学現象が、そうした実生活で起こっていることと結びつけられることで、理解が深まりました。

・・京大農学部を志望した理由は何ですか。

高校で理科は物理、化学しか選択していなかったので、生物を勉強しないままに人生を終えるわけにはいかないと考え、農学部を選びました。

世界で初めての研究ができることがサイエンスの魅力

・・大学、大学院時代はどんな研究をされたのですか。

大学四年生の時には、エリスロポエチンという、赤血球を増やす因子を研究している研究室に入りました。エリスロポエチンは我々の体内で自然に生産されている因子ですが、現在では人工的に生産することもでき、腎性貧血の治療に用いられたり、大量の輸血を必要とする外科手術の前に、輸血に備えて患者さん自身の血液を増産してストックする為に用いられたりしています。私が所属していた研究室は、そのエリスロポエチンを日本で最初に大量精製した研究室です。研究を続けるうちに、人体への興味が高まり、修士課程は東大医学系研究科に進学。機能の明らかになっていないモータータンパク質(細胞内でさまざまな物質を輸送する役割を持つタンパク質)の遺伝子を同定して、その機能を追求しました。当時はヒトゲノムの解析が完了した直後で、新たに発見された遺伝子にコードされているタンパク質の機能解析が競い行われていた頃でした。私がターゲットにしたモータータンパク質も、人体内に存在することはわかっているものの、機能は未解明のままでした。つまり、そのタンパク質の機能研究については、自分が世界で初めての人間になれるわけで、そこにサイエンスの面白さがあると感じました。顕微鏡でそのタンパク質を見ながら、今、この画像を見ることができるのは世界で私だけだと、ワクワクしたことを覚えています。

・・大学院修了後、留学もされたのですね。

スイスのバーゼルにあるFMI(Friedrich Miescher Institute)に留学しました。DNAを初めて発見した科学者・ミーシャーの名にちなんだ研究所で、スイスの大手製薬会社「ノバルティス」が支援しています。

修士課程までは病理とは離れた研究が中心でしたが、もっと実際に患者さんの役に立つ手応えが感じられる研究をしてみたいと思ったのが、FMIを選んだ理由です。ここで5年間、乳癌の治療薬につながる基礎研究に携わりました。帰国後は、中外製薬に入社し、これまでの経験を生かして、癌の治療薬に関連する研究を続けています。

・・現在の仕事にどんなやりがいを感じていらっしゃいますか。

基礎研究との違いは、患者さんの存在を実感できることです。扱っている薬剤が患者さんにどのような効果があったのか、日々、情報がリアルタイムで入ってきます。自分の研究が人々の役に立っていることがわかると、モチベーションも高まりますね。もちろん、難しい面もあります。薬品は実際に人体に投与するわけですから、単に病気に効能があるというだけではなく、対象者の体質などによって副作用が生じる危険性はないかなど、きめ細かく配慮する必要があるのです。そうした責任の重さも痛感しています。

幼児期に身につけた気質は一生受け継がれるもの

・・現在の仕事に、ドルトンスクールで学んだことが役立っていると感じていらっしゃることはありますか。

「三つ子の魂百まで」と言われるように、幼児期に身につけた気質は一生受け継がれるものだという気がします。私は、ドルトンスクールで自分の可能性を限界まで試せる機会を得ることができました。それによって、興味を持ったことに積極的に挑戦しようという姿勢が身につきました。

また、今、仕事をしていて、壁を感じることもあるのですが、そんな時はドルトンスクール時代のことを振り返るようにしています。自分はあの頃から、器用さが要求される作業は苦手だったけれども、1つのことにじっくり長い時間をかけて取り組むのは苦にならなかった。ならば、根気強さが要求される現在の研究も続けていけるのではないか。そんな勇気がわいてくるからです。

・・最後に、幼児期の子どもを持つ保護者に向けて、メッセージをお願いします。

先ほども申し上げたように、ドルトンスクールの学びは、入試などに直結する知識が修得できるわけではありません。けれども、自分なりの発想の切り口を持ち、自力で考えようとする姿勢が養われれば、人生は豊かになります。幼児期に自分の興味のあることに熱中した経験を持つことは、将来、どんな分野に進んでも、その分野を深く追求し続けることができるパワーにつながると、私は確信しています。

Profile

松田 穣 (Yutaka Matsuda)

松田 穣(Yutaka Matsuda)

1980年愛知県生まれ。3~5歳まで、ドルトンスクール名古屋校で学ぶ。私立滝中学校・高等学校と進学。高校2~3年時に高校グリーンコース千種校に通う。1998年現役で京都大学農学部に合格。同大学卒業後、東京大学大学院医学系研究科に進む。修士課程修了後、2004年にスイスのFriedrich Miescher Instituteに入所。乳癌に関する基礎研究に携わる。2009年スイスのバーゼル大学より博士学位授与。2009年4月、中外製薬株式会社入社。現在、癌の治療に関わる研究に携わっている。

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