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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.32 (2010年12月公開)

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クインタイルズ・トランスナショナル・ジャパン株式会社 酒井 優さん

受験勉強で最も重要なのは苦手科目の克服。<br />現在の仕事においても、まず苦手な部分から取り組もうとする意識が染みついています。

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    酒井 優さん

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チューターが独自に実施するミニテストの添削で、人間関係の悩みまでも解消

・・河合塾に通ったのはいつ頃からですか。

中学1年生の夏期講習から、岐阜校の中学グリーンコースに通いました。最も印象に残っているのは、チューターの面倒見の良さです。授業が終わった後、チューターが独自にミニテストを実施し、添削指導をしてくださいました。それによって、早い段階から答案作成の作法が身についたほか、ちょっとした悩みを書いておくと、必ずコメントが返ってきました。当時、バスケット部に所属していた私は、メンバーとの人間関係に苦労していました。思春期にありがちな悩みだったのですが、「自分らしく生きれば大丈夫」といったチューターの温かい言葉に励まされたことを覚えています。

また、国語のテキストに掲載されていた原田宗典氏のエッセイを読んで、奇妙な味わいのある文章に魅せられ、『スバラ式世界』など、代表作を読みあさりました。文学に興味を持つきっかけになり、その後、読書が大好きになっていきました。

中学2年生で神奈川に転校することになり、残念ながら神奈川には中学グリーンコースが設置されていなかったため、いったん河合塾から離れたのですが、高校生になってから再び通い始めました。高校1・2年生の時は夏期講習・冬期講習のみの参加でしたが、高校3年生からは、横浜校の高校グリーンコースで数学の授業を受講しました。

生徒一人ひとりの答案ごとに、正解にたどりつく道筋をきめ細かく指導

・・数学の授業を受講したのはなぜですか。

今、申し上げたように、中学時代から文学に興味を持っていたので、国語、英語が得意で、どちらかというと文系型人間だったと思います。けれども、その頃、ヒトゲノムの解析が話題を集めており、自分もそうした最先端の技術に関わってみたいという気持ちが生まれました。そのためには、生物学系の学部に進む必要があり、そうなると数学が必須になります。ところが、当時の私は数学が大の苦手だったのです。何とか数学の力を伸ばしたいと思い、河合塾の高校グリーンコースに通うことにしたわけです。

・・高校グリーンコースの数学の授業はどのようなスタイルでしたか。

テストゼミに感動しました。自力で作成した答案を提出し、次の授業までに先生が丁寧に添削して返却してくださるのですが、間違っていた場合、単に模範解答を示して終わりといった指導ではありませんでした。「この変数をこのように置換してみたらどうだろう」「こういう考え方、アイデアを提案するので、その続きを考えてみてください」といったように、私の答案のどの部分をどう変えれば正解にたどりつくことができるのか、道筋が明解に示されていたのです。生徒一人ひとり異なる添削指導をされていたわけで、大変な労力だったと思いますが、おかげで、数学の問題を解く力がぐんぐん身についていきました。

ただし、高校グリーンコースに通ったのは高校3年の時だけだったため、数学III・Cの学習で手いっぱいの状態でした。数学I・A、II・Bの復習は不十分で、応用できるレベルにまで到達しませんでした。そのため、現役時も東京大学理科II類を受験しましたが、不合格に終わりました。そこで、横浜校の大学受験科に通い、一浪後、合格することができました。

・・浪人後は、順調に成績は伸びたのですか。

比較的順調だったと思います。数学の授業で強烈に覚えているのは、先生が「身につけなければいけない解法は限られている。それさえ完璧にしておけば、どんな難問であっても、応用範囲で対応できる。それは私の経験上、明白だ」と断言されたことです。高校では習わないような解法も多かったのですが、先生が教えてくださる解法は、いずれも入試問題を解く上で不可欠なツールのようなものでした。そのツールを手に入れたことで、数学の得点力は大幅にアップしていきました。

また、英語はもともと得意だったのですが、感性に頼っていた面もありました。構文、イディオムにそれほど注意を払わないままに、何となく正解にたどりついている感じだったのです。河合塾の授業で、英文を正確に読み解くトレーニングを積むことによって、さらに得点力が向上しました。

大学で希望通り遺伝子の研究に携わる

・・大学時代に力を入れたことは何ですか。

1・2年生の時は授業の予習・復習に忙しく、余裕がなかったのですが、3年生からビートルズのコピーバンドのサークルに所属。ボーカルやギターを担当し、学園祭などでコンサートも開きました。

また、横浜校で高校グリーンコースのチューターも務めました。中学グリーンコース時代をはじめとして、チューターにお世話になったという思いが強く、恩返ししたいと考えたからです。チューターとして気をつけたのは、私の勉強方法、勉強時間を押しつけないこと。生徒は一人ひとり学力も性格も異なるのですから、同じやり方で効果が上がるとは限りません。相手を尊重して、相談しながら、一緒に最適な方向性を見つけようという姿勢をとるように心がけました。

・・卒業論文ではどのようなテーマに取り組んだのですか。

農学生命科学研究科の栄養化学研究室に入り、希望通り、遺伝子の研究に携わることができました。卒論のテーマは、マウスの顔面の形態形成に関与する遺伝子の研究です。

・・卒業後の経歴を教えてください。

大学院修士課程に進んだのですが、在学中に医薬品の世界に興味が生まれたことと、研究者としてというよりは、社会人としての活躍に魅力を感じたことから、大学院を中退し、クインタイルズ・トランスナショナル・ジャパン株式会社に入社しました。

・・現在、どのような業務を担当されているのですか。

当社は医薬品関連サービス企業であり、私は新薬の治験データをモニターして、厚生労働省の承認を受けるための資料を作成する業務を担当しています。現在、主として遺伝子産物を制御する医薬品の開発に携わっており、これまでのバックグラウンドを生かすことができ、やりがいを感じています。

・・今後の抱負を聞かせてください。

従来の日本では、私が担当している業務は、医薬品メーカーが内部で行っていました。けれども、世界的に見ると、当社のような専門企業にアウトソーシングする流れになっています。実際、当社では60カ国で業務を展開しており、社員数は約2万2,000名にのぼっています。今後はそうした流れはさらに加速するはずで、近い将来、国の垣根を超えて、全世界共通の医薬品開発システムが構築される時代が来るでしょう。学生の時分から培った英語力を活かし、そうしたグローバルな環境のもとで活躍することが私の目標です。

幼少期においては保護者が勉強を強制することも必要

・・これまでの経歴の中で、河合塾で学ばれたことが生きていると感じることはありますか。

受験勉強で最も重要になるのがスケジュール管理です。その日、授業を受けた後、自宅に帰って、どの順番で勉強していけばいいのか。優先順位を自分で考えて、実行することが大切です。河合塾の大学受験科時代に、自分を律して、計画的な日々を過ごす習慣を身につけたことが、現在の業務にも生かされています。

・・具体的には、どのような優先順位で勉強するようにしたのですか。

大学入試においては、苦手科目の存在が大きなハンデになります。当初、私は苦手な数学を得意な英語でカバーしようと考えていたのですが、それには限界があります。そこで、数学への苦手意識を克服するために、毎日、数学の勉強から取りかかるように心がけました。その姿勢は完全に習慣化しており、現在の仕事でも、まず懸案になっていることから手をつけて、問題を先送りしないようにしています。

・・受験勉強を乗り切るうえで、後輩に心がけてほしいことはありますか。

繰り返しになりますが、ぜひ苦手科目の克服に努力してほしいですね。それが合格への近道だからです。もちろん、誰でも苦手なものを勉強するのは嫌なものでしょう。けれども、そこをぐっと我慢して、勉強を続けていれば、少しずつ成績が伸びていきます。それを励みにして頑張ってほしいと思います。

・・最後に、保護者の方々へのメッセージをお願いします。

私の両親は教育熱心で、幼少期に、遊びやテレビなど、いろんなものを我慢させられました。周りの友人たちが遊んでいる時に、机に向かっていたことも度々です。勉強すること自体、それほど苦ではなかったこともありますが、私は両親にそう教育されてよかったと考えています。将来、学問をベースとした仕事に就いて、第一線で活躍するためには、いかに早い段階から勉強する習慣が身についているかどうかがカギを握るからです。

・・勉強を強制するのではなく、学びに興味を持つきっかけを与えて、自主的に学ぶ姿勢を促す方がいいという考え方もあると思いますが、いかがですか。

確かにそれが理想なのでしょうが、現実にはなかなか自主的に勉強しようとはしないものです。とくに幼少期に自主的に勉強する子どもなんていないでしょう。最初は、ある程度、保護者が強制して、習慣づける方法でいいのではないでしょうか。

Profile

酒井 優 (Yu Sakai)

酒井 優(Yu Sakai)

1982年神奈川生まれ。中学1年時、河合塾岐阜校中学グリーンコースに通う。2年時に神奈川県へ転居。公文国際学園に進学。高校1・2年時には河合塾の夏期講習・冬期講習を受講。3年時には横浜校高校グリーンコースに通塾。大学受験科を経て、2002年東京大学理科二類に合格。大学院修士課程に進学するが、社会人としての活躍に魅力を感じ中退。2008年クインタイルズ・トランスナショナル・ジャパン株式会社に入社。現在、新薬の治験に関わる業務に携わっている。

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