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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.36 (2011年6月公開)

  • 会社員(金融・商社)
  • 大学受験科
三菱商事UBSリアルティ株式会社 マネージャー 大橋 英雄さん

大学受験の勉強を頑張るためには<br />多様なモチベーションが必要になる!<br />自分の世界観を広げる機会を大切にしよう

  • 三菱商事UBSリアルティ株式会社
    マネージャー

    大橋 英雄さん

    出身コース
    大学受験科

中学入試へのチャレンジは将来必ず役に立つ

・・小中学校時代の思い出から聞かせてください。

親族に中学受験をしている人が多かったため、私も自然な流れで、小学校4年生から進学塾に通うようになりました。もしかすると、これまでの人生で最も勉強した時期かもしれません(笑)。残念ながら、第一志望校に不合格になり、地元の公立中学に進んだのですが、今振り返ってみると、中学受験にチャレンジしたことは決して無駄ではなく、大学受験でも、社会に出てからも大いに役立っていると感じています。

・・それはなぜですか。

二つ理由があります。一つは、雑念なく勉強に集中できたことです。中学生、高校生になると、異性への興味が生まれますし、最近の小学生はゲームに夢中のようですが、当時はファミコンすらない時代でしたから……。早い段階で純粋に勉強する時間を持てたことは貴重だったと思います。もう一つは、小学校の学びは、中学校以降に学ぶ教科のベースになっていることです。この時期に、基礎基本の習得を徹底しておけば、その後の勉強はそれに肉づけしていけばいいわけです。

・・不合格になった要因は何だったと考えていますか。

合格圏内の成績だったのですが、本番に臨む際の必死さに欠けていたことが問題だった気がします。小学校時代は気持ちを高めることができるかどうかで、結果が左右されます。難関中学の受験者は皆、それなりに勉強しているので、最終的に差がつくのは、入試当日の気持ちのコントロールなのです。

その意味で、私は中学受験までは保護者が大いに介入すべきだと思っています。勉強自体は子ども任せで十分ですが、気持ちが揺れ動いているときのフォローや、勉強のスケジュール管理、入試当日の心構えを教えることなどは、保護者の責任でしょう。そして、中学受験を一つのイベントと捉えて一緒に取り組む過程を大切にしてほしいと思います。例えて言えば運動会前に親子で短距離走の練習をするように。そうすれば、中学受験に過度のストレスを感じないで済みますし、どんな結果が出ても、終わってしまえば気持ちを切り換えることもできると思います。人生の早い段階で失敗することは、子どもにとってむしろいい経験になる面もありますし、その後、いくらでも巻き返しのチャンスは与えられているのですから……。

世界観を広げるきっかけになった海外留学

・・高校時代の成績はいかがだったのですか。

高校入学当初は学内の能力別クラスで最上位でしたが、次第に成績が下降していきました。小学校4年生から中学受験、高校受験と、受験勉強が続いたため、バーンアウトして、勉強しようという意欲を失ってしまったのです。

・・再びやる気を起こすきっかけになったことはありますか。

小中学校までなら、純粋に受験勉強に専念することもできるでしょうが、大学受験に向かうためには、多様なモチベーションが必要になります。「なぜ勉強して、この大学に行きたいのか」自分なりに納得できる理由づけがたくさんあった方が、頑張ることができるのです。そのためには、さまざまな経験を積んで、世界観を広げることが重要です。私の場合、大きなターニングポイントになったのが海外留学でした。高校には交換留学の制度があり、それを活用して、高校2年生のとき、オーストラリアの高校で1カ月間学びました。衝撃的だったのは、自信を持っていた英語がほとんど通用しなかったこと。それまでの私にとって、英語は受験のツールでしかなかったのですが、この瞬間、コミュニケーションツールとしての英語の重要性に気づき、もっと英語力を鍛えようという意欲がわきました。世界を舞台に活躍したいという夢も芽生え、将来は商社で働きたいという目標が生まれたことも大きかったと思います。

知的な広がりが感じられる河合塾の授業

・・河合塾を選んだ理由は何でしょうか。

現役のときは東京大学文科二類に不合格になり、河合塾駒場校(現在の本郷校)大学受験科の東大コースに進みました。河合塾を選んだのは、リベラルな雰囲気があり、知的な広がりのある教育を行っているイメージがあったからです。私はいわゆる受験勉強に特化した学びではなく、できるだけ幅広く学び、視野を広げたい、それが勉強のモチベーションにもつながると考えていましたから、その希望に沿うのは河合塾だと思ったのです。

実際、河合塾の授業は期待以上でした。授業の合間に、哲学や、現代社会の動きなどに関する講師の方々の持論が語られます。そうした受験とは直接関係ない教養的な話題に触れることも、私にとっては勉強のモチベーションになりました。野球大会など、勉強以外のイベントもあり、楽しく通っていたという印象です。

・・そのほか、河合塾時代のことで印象に残っていることはありますか。

北海道から九州まで、全国から集まった共通の目標を持つ仲間と机を並べられたことが新鮮でした。高校までは同じ地域の生徒ばかりですから、多様なバックボーンを持つ人たちと接する初めての機会だったわけです。今でも当時のメンバーとは交流が続いています。浪人という微妙な時期に、同じ空間を共有し、共に成長できたという実感があるからでしょう。現在、大学教授や国際弁護士、アナウンサー、マスコミなど、多彩な分野の第一線で活躍している仲間も多く、それが励みにもなっています。予備校時代からの交流が続いていることがめずらしいためか、日経新聞の「交遊抄」でも紹介されました。

慶應義塾大学入学後、東京大学に再チャレンジ

・・河合塾で1年間学んだ後、慶應義塾大学商学部に入学され、さらに1年後、東京大学文科二類に再チャレンジされたのですね。

慶大生時代は仮面浪人だったわけではありません。アイセックという国際交流サークルと、テニスサークルに所属し、慶早戦を見に行ったり、合コンを楽しんだり、学生生活を謳歌していました。

東大に再チャレンジしようと考えたきっかけは、ある先輩学生の一言でした。その先輩も東大に不合格になり、慶應に入学していました。充実した学生生活をおくっているように見える先輩でしたが、あるとき、東大生を批判している姿を目にしたのです。コンプレックスを払拭するのは難しいものであることをあらためて感じ、もう一度だけ東大をめざしてみようと決意しました。

とはいえ、そう決断したのがセンター試験の1カ月前で、とても間に合わないだろうというのが本音でした。ところが、結果的には過去最高の得点を挙げることができました。もちろん、二次試験の勉強までは手が回りませんでしたから、前期日程は断念。論文重視の後期日程に勝負をかけました。合格できたのは、それまでの大学生活で取り組んだことも役に立っています。授業のレポートで論述力が高まっていましたし、国際交流サークルの活動で英語力にも自信を持っていました。また、河合塾の授業で教養的な話題に触れていたことも、論文の内容に厚みを持たせることにつながったと思います。すべてのことに自分なりに真剣に取り組んでいれば、いつか自分でも意図しないところで結実する。そういう人生の教訓のようなものを得た気がします。

・・東大時代に力を入れたことは何ですか。

テニスサークルと、慶應時代からの国際交流サークル「アイセック」に所属。3年生のときには「アイセック」主催の国際会議「Youth APEC」の実行委員長を務めました。加盟国の学生を招いて、将来に向けての提言をまとめ、当時の村山富市首相に提出しました。そのほか、日米国際会議、模擬国連にも参加しました。そうした活動を通して、高校時代からの商社マンになりたいという夢が、次第に現実的な目標になっていき、卒業後、三菱商事に入社しました。

・・商社マンになって以降の思い出を聞かせてください。

貴重な経験になったのが、会社派遣で2年間、ペンシルバニア大学ウォートン経営大学院のMBAコースに留学したことです。さらに、「日米リーダーシップ・プログラム」にも参加しました。これは、ニューヨークに本部がある米日財団の主催で、日米双方から24名ずつ、各界の若手リーダーを招聘し、合宿でさまざまな議論をするプログラムです。このプログラムとMBAで、海外のさまざまな人々と交流できたことが大きな財産になっています。先日、製作中の映画で、NASAからロゴ使用が承認されないという問題が発生。私のところに何とか解決できないかという打診がありました。それまでのネットワークを生かして、仲介役を務めることができました。映画のエンドロールに私の名前が載るかもしれません(笑)。今後も交流の輪を大切にして、広がりのある仕事をしていきたいと思っています。

大学入学後を見据えた学びを意識してほしい

・・最後に、後輩たちへのアドバイスをお願いします。

私は高校受験も第一志望校に不合格でしたから、中学受験、大学受験2回とあわせて、合計4回も受験に失敗したことになります。けれども、そのすべてが決して無駄ではなかったと確信しています。どんな結果が出ようとも、それを引きずらず、与えられた場で自分なりに精力的に活動しようと心がけました。その積み重ねが、いつか成果を生むことを信じて、頑張ってほしいですね。

そのうえで、皆さんには三つのことをアドバイスしたいと思います。一つ目は私の人生のモットーでもある「Action First」。「まずはやってみる」ことです。勉強でもやらされ感を抱いていたのでは身につきません。自主的に取り組むことが大切なのです。そのためには、なぜ勉強しなければならないのか、モチベーションを確立することが重要になるでしょう。二つ目は情報は行動して入手すること。インターネットの普及で情報は手軽に入手できるようになっています。最近、海外旅行者が減っているのは、インターネットで見たから、それで十分と考える人が増えたからだという話も聞きます(笑)。けれども、そうした間接的な情報ではわからないことがたくさんあります。自分自身が行動することの大切さを忘れてはいけないと思います。三つ目は大学入学後を見据えた学びを意識してほしいということです。東大に入るのに精いっぱいで、受験教科以外のことをまったく知らないようでは、入学後相手にしてもらえません。プラスアルファの知識をどれだけ備えているか、人間としての広がりを持つ多様な経験を積んでいるかどうかが、入学後に問われることになるのです。その意味でも、受験勉強だけに特化せず、幅広い教養に触れる機会を与えてくれた河合塾の教育に感謝しています。

Profile

大橋 英雄 (Hideo Ohashi)

大橋 英雄(Hideo Ohashi)

1972年東京生まれ。1991年桐蔭学園高校卒業後、河合塾駒場校大学受験科に入塾。1992年慶應義塾大学商学部入学。1993年東京大学文科二類入学。1997年東京大学経済学部卒業後、三菱商事株式会社入社。2006年6月ペンシルバニア大学ウォートンスクール留学(在アメリカ)。2008年5月INSEAD交換留学(在フランス)。2008年7月ペンシルバニア大学ウォールトンスクール卒業(MBA)。2008年8月三菱商事株式会社復職 金融企画ユニットに配属。2009年6月三菱商事UBSリアルティ株式会社出向、インダストリアル本部運用部で現在シニアマネージャーとして活躍中。

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