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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.45 (2012年3月公開)

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医師 遠藤 邦幸さん

自分なりの考え方を追求する自由があり、<br />解法は多数あるのだという可能性を示してくれた。

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    遠藤 邦幸さん

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ライバルとの差を埋めるためにオリジナルの解法を編み出す

・・河合塾に通うようになったのはいつからですか。

小学校6年生の春期講習から、小学グリーンコースに通いました。それまでは野球に熱中しており、あまり勉強もしていなかったので、公立中学校に進むつもりでした。ところが、両親から「私立中学という選択肢もある。ただし、受験するためには塾に通うほうが良い。とりあえず力試しに河合塾の入塾テストを受けてみて、もし選抜クラスに入る力があるようだったら、1年間頑張ってみないか」とすすめられました。幸い、選抜クラスに合格することができ、中学受験をめざすことにしました。

・・小学グリーンコースの印象はいかがでしたか。

おもしろい講師が多かったですね。ただ教科書の内容を淡々と伝えるのではなく、教科書の枠を超え、背景やエピソードを含めて、生き生きと語られる授業に新鮮な感動を覚え、楽しく勉強に打ち込むことができました。また、伸び伸びと自由な雰囲気があり、それが私には合っていたと思います。詰め込み型の塾だったら、勉強が嫌になり、途中で挫折していたかもしれません。

・・子どもの自主性を大切にする感じだったのでしょうか。

そうですね。勉強を強制された記憶はほとんどありません。逆にいうと、自分で自主的に勉強に取り組む姿勢が要求されていたともいえます。特に私は、6年生からいわゆる受験勉強を始めたので、もっと早くから受験勉強をスタートしていた周りのライバルたちに完全に遅れをとっていました。小学校ではトップクラスの成績をとっていたように思いますが、河合塾に入ってみると、自分よりもはるかに高い成績をたたき出す同級生が大勢いて、コンプレックスを感じていたのです。当然、同じような勉強をしていたのでは、その差は絶対に埋めることができません。どうすれば、プラスアルファの力をつけて、ライバルたちに追いつき、追い越すことができるのか。自分なりに工夫して勉強を進める必要性を小学生ながら感じていました。

・・勉強方法の工夫とは、具体的にどのようなことですか。

特に工夫したのが算数の解き方です。授業で解き方は教わりますが、その通り覚えるようにとの指導はされませんでした。もしかすると、もっと自分にあった解き方があるのではないか。そんな意識を持って、試行錯誤を重ねて、自分なりの解き方や考え方を編み出すようにしていました。今振り返ると、私にとっては、この勉強方法が思考力を高める上での土台になった気がします。

1年後、第一志望の東海中学校に合格。その後も、河合塾の中学・高校グリーンコースに通いました。

感性、知性の涵養(かんよう)を重視する授業

・・中学・高校グリーンコースで印象に残っている授業はありますか。

私が中学グリーンコースで受講したのは、東大や医学部などの難関をめざす生徒を集めて、少人数制で徹底的に鍛える講座で、極めて高度な内容の授業が展開されていました。たとえば数学は、数時間考えてようやく解けるような図形の問題や、中学3年生では、行列や楕円の式など、数学Cで扱うような問題にも取り組んでいました。国語はひたすら長文の精読で、しかも世の中にはこんなに難解な文章もあるのだと思い知らされるようなものばかり(笑)。感性、知性の涵養(かんよう)に重きを置いた授業でした。

・・かなりハイレベルな授業だったのですね。

受講している生徒もレベルが高く、個性派で、パワフルなタイプが多かったように思います。東大在学中に司法試験に合格した友人もいますし、私が勤務している名古屋第二赤十字病院にも河合塾で一緒に学んだ仲間が数名います。数年上の先輩では、社会人としてすでに重要な役割を担っている方や、政治家として活躍している方もいらっしゃいます。

また、授業は、一方通行の講義形式ではなく、双方向型で先生と生徒が意見をぶつけ合うかたちで進められていました。私には思いもよらない発想をする友人たちの意見に大いに刺激を受けました。その一方で、周囲のあまりのレベルの高さに、コンプレックスを抱くようにもなりました。

・・そのコンプレックスを克服するために、どのような勉強をしたのですか。

先ほど申し上げた小学グリーンコース時代に身につけた、自分なりの解き方を考える勉強法に徹することにしました。授業で教わった解法を丸暗記するのではなく、この部分さえ身につけておけば解けるポイントを見つけようとか、もっと速く正確に解く方法を考え出そうといった意識で勉強を進めたのです。新しい分野を勉強しようと思ったり、新しい問題を解こうと思ったときに、原理に遡ったり、式をひも解いたり、解法を読み解き、自分なりの解法の仮説を立てます。それを実際に問題に当てはめて、正解に到達するか実証していくわけです。問題が解ける限りでは、その方法は正しい。解けない問題に出会ったら、修正していく。そうやって、このタイプの問題なら、このオリジナルの方法を使えば絶対に解けるという解法をたくさん編み出しました。

・・それは教科書や参考書などに載っていないような方法なのですか。

ええ。完全に私だけのオリジナルの方法がたくさんあります。受験したすべての教科で、さまざまな解法や考え方としてまとめてあり、一時は、本として世に出そうと考えたこともあります。ただ、その内容よりも、考えて自分に合う解き方や考え方を見つけることがあくまで大事だと思っています。その一部を伝える機会があった何人かの後輩たちは、それぞれまた個性的に育ち、自らの道を一生懸命切り開こうとしていて、そういった原動力にもなっていると信じています。今のところは出版などの計画はありませんので、いずれは自分の子どもたちが大きくなったら読んでもらっても良いかも知れませんね(笑)。

高校グリーンコースの授業も衝撃的でした。特に英語科の玉置全人先生との出会いは忘れられないですね。小雨が降り、肌寒さを感じていた春先の第一講の冒頭、「実は君たちは英語の文章がまったく読めていない。まずそれを自覚することが大切だ」といわれたことは今もはっきり覚えています。その先生の持論は「精読ができないのに、速読ができるはずがない」ということでした。新鮮な感動でした。そうか、英文を読む上でも、方法論があり、論理があるのだ、と。極端なことを言えば、受験英語は数学と違う能力が求められるのではないのだ、と。玉置先生の授業は、私には「英文を読むための方法論」と映り、まさに追い求めていた「オリジナルの解法・考え方」そのもののように感じられ、没頭して習得をめざしました。文章の構造を見極める方法を徹底的にたたき込まれただけでなく、授業の端々に出てくる「知識人」としての姿も素敵でした。仮定法での「were」という語の語源、デカルトがどうのこうの……。ともすれば、受験だけをめざす味気ない勉強になりそうなものが、受験だけでなく、豊かな心と深い知性を持つことの素晴らしさを背中で伝えていただきました。

この時期に、正確に速く読む力が身についたことは、現在もとても役立っています。というのも、医師には最先端の医療情報を知るために、相当量の英語の論文を読むことが求められます。しかも、生命に関わる世界ですから、大意がわかったというレベルの理解では危険で、厳密性が要求されます。今でも、英語論文を読んでいるときに、これは河合塾で培った読解法をそのまま活用しているなと感じることがよくありますね。

未知の領域である脳の世界の研究に携わりたい

・・医学部をめざそうと考えたきっかけは何ですか。

父が医師で、仕事にやりがいを感じている姿を小さい頃から見て育ちました。また、東海中学校では、中学3年生のときに卒業論文を作成します。その際、SMON病や水俣病の被害者救済に尽力された医学者・井形昭弘先生(当時 あいち健康の森健康科学総合センター長、現名古屋学芸大学学長)のお話を聞く機会を得ました。井形先生の「成績がいいからという理由で医学部をめざしてはいけない。医師には患者さんのため、社会のために働くという意識が不可欠だ」という言葉に感銘を受け、せっかくなるのなら、献身的で、社会に貢献できる医師をめざそうと決意しました。

医学部を志望した理由の1つは、やはり自分なりの解法、考え方にこだわった勉強方法を進めていたことも影響しています。どうすればよりよく解けるか、どうすればよりよく考えられるか、さらには、問題を解いているときに脳ではどのようなことが行われているのか、と考えるにつれ、人間の思考に興味が生まれ、認知心理学や脳科学などの本を読みあさりました。医学部に入学すれば、脳の世界にも触れることができるはず。そう考えたことが、医学部をめざす決め手になりました。

入試本番では、センター試験のときも、二次試験のときも、39度の高熱にうなされてひどい状態だったのですが、体得した方法で普段通りにやればいいと、焦ることなく、自信を持って臨めました。

・・大学時代に力を入れたことは何ですか。

時間にゆとりのある学生時代に、できるだけ多様な経験をしたいと考えていました。卓球部に所属し、大学3年生の夏には、キャプテンとして、西日本医科学生総合体育大会で団体優勝を果たすことができました。また、基礎医学セミナーの学内研究発表会では最優秀賞を受賞しました。そのほか、ポーランドのアウシュビッツ収容所跡や、アメリカの医学研究の最高峰であるジョンズ・ホプキンス大学の研究所などを訪問しました。ジョンズ・ホプキンス大学は、突然訪ねてきた一介の医学生にすぎない私を快く受け入れてくださり、約1週間、最先端の研究現場を見学することができました。。

・・現在はどのような業務に携わっていらっしゃるのですか。

大学卒業後、名古屋第二赤十字病院の研修医として、日夜救急外来診療に携わるほか、内科、外科、小児科、産婦人科など、さまざまな診療科をローテーションで回り、経験を積んでいます。2012年に入り、フロリダ大学病院でエクスターンシップも体験しました。そして、当初の目標通り、脳医学の分野に進みたいと考えています。医学界では、20世紀は免疫の時代といわれ、ガンの治療などが飛躍的に進歩しました。そして、21世紀は次なる未知の領域である脳の時代を迎えるといわれています。神経難病や認知症など、まだ決定的な治療法が確立されていない病気に、私なりにアプローチしていきたいと思います。

また、東日本大震災のときは、5月頃に、石巻赤十字病院に診療支援というかたちで震災医療に関わりつつ、現地の視察や診療所での診療にも携わらせていただきました。衝撃的だったことの一つは、被災地では泣かない子どもが多かったこと。悲惨な出来事にショックを受け、感情が失われてしまっていたのでしょうか。また、慢性疾患の治療が十分にできず、重篤な状態になり、救急搬送された方も数多く見ました。そうした人々のために少しでも役に立てる医師になりたい。これからも社会貢献の意識を強く持って、さまざまな支援活動に積極的に参加していきたいと考えています。

・・これまでのご経歴の中で、河合塾で学んだことが役立っていると感じられることはありますか。

社会に出ると、考え方の正解は1つではないことを改めて痛感します。さまざまな課題に直面したときに、臨機応変に自分なりの方法を考える力が必要になるのです。その力を、受験勉強を通して鍛えてくれたのが河合塾であり、とても感謝しています。

・・最後に、河合塾の後輩たちへのメッセージをお願いします。

「やらされ感」を抱いて勉強している間は、絶対に学力は伸びません。勉強自体におもしろさを見出すことが大切です。その結果、自然と勉強に身が入り、主体性をもって勉強できるので、質も量も良くなるはずです。私の場合は、オリジナルの解法を見つけるところにおもしろさが感じられ、それが受験勉強を進めるうえでの原動力になりました。まずは、自分で「この分野ならおもしろい」と思えるものを見つけ出すこと。そして、少しずつ興味を持てる分野を増やし、「この分野なら誰にも負けない」と思えるまで伸ばすこと。一つ「極めたな」と思えると、きっと他の分野や科目も伸びてきます。自らの意思で学びを進め、楽しむこと。それが受験勉強を長続きさせるコツだと思います。

Profile

遠藤 邦幸 (Kuniyuki Endo)

遠藤 邦幸(Kuniyuki Endo)

1985年愛知県生まれ。小学6年生より河合塾16号館名古屋校小学グリーンコースに通い、東海中学校に合格。その後も河合塾千種校中学グリーンコース、高校グリーンコースに通う。2004年名古屋大学医学部医学科に最高点で現役合格。2007年在学中の研究発表にて名古屋大学医学部学生優秀研究賞を受賞。2010年に同大学を卒業し、名古屋第二赤十字病院にて研修医として勤務。東日本大震災では石巻赤十字病院への診療支援というかたちで震災医療に携わる。同病院の研修医賞にあたる敢闘賞を2年連続で受賞。2012年には、フロリダ大学病院にエクスターンシップとして海外研修を行うなど医療活動に邁進中。

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