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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.48 (2012年6月公開)

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建築家 杉山 英知さん

戦略的、計画的な考え方が養われたことが<br />一級建築士の資格取得の勉強や<br />設計業務のマネジメントに役立っています

  • スタジオエイチ一級建築士事務所
    建築家

    杉山 英知さん

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    大学受験科

集団授業の中で競争意識が生まれたことが、勉強のモチベーションに

・・河合塾に通われたのは、いつ頃からですか。

高校2年生のとき、大学入試を突破するためには、苦手な英語を克服すること、および得意な数学を“武器”にすることが必要になると考え、松戸校の高校グリーンコースに通うことにしました。

・・河合塾を選んだ理由は何だったのでしょうか。

自分に合ったところを探すために、両親と一緒に、自宅近くの小規模塾や、個別指導の塾などを見て回りました。中学受験のときにお世話になった塾の先生にも相談しました。すると「杉山くんは、周りに気後れすることなく、どんどん積極的に発言するタイプだから、個別指導よりも、集団授業で刺激を受けた方が伸びると思う」というアドバイスをいただいたのです。河合塾に通っていた、高校の親しい友人が「とてもいい雰囲気だよ」と勧めてくれたこともあって通うことにしました。

・・実際に通い始めて、どのような印象でしたか。

他校の生徒と机を並べて学ぶことは、大いに刺激になりましたね。私が予習のときにまったく歯が立たなかったような問題を、スラスラ解いている生徒がたくさんいて、驚きました。けれども、それで萎縮したわけではなく、頑張って追いつこうという競争意識が芽生えて、それが勉強のモチベーションにもなりました。中学受験の塾の先生のアドバイスどおり、私のような性格の人間には、集団授業が向いていたと思います。

・・河合塾の授業はどうでしたか。

苦手な英語は基礎クラス、得意な数学は比較的上位のクラスの授業を受講しました。それによって、自分のレベルに合った勉強を進めることができました。おそらく独学だったら、たとえば問題集に取り組む場合でも、1ページ目から始めて、すべての問題を解くような勉強をしていたでしょう。それでは非効率です。河合塾のテキストは、基礎クラス用なら、ヒントを散りばめて、道筋をたどっていけば正解に到達するような問題、逆に上位クラス用ではたくさんの“罠”が仕掛けられている問題といった具合に、レベルに応じた問題が集められていました。テキストに沿って勉強していけば、自分に最も適した問題を数多く解くことができ、自然と学力を伸ばすことができたのです。

また、どうしても解けない問題が出てきた場合に、講師に質問に行くと、「この問題は君のレベルではまだ早いから、こちらの問題を先に解いて、十分に理解できるようになってから、再度取り組んでごらん」とアドバイスされることもありました。私の今の学力を、ちゃんと把握してくださっていることに感激しました。集団授業とはいっても、単純に一律の指導をして終わりではなく、一人ひとりの状況を踏まえて、きめ細かな指導を受けられたことは、とても良かったと思っています。

「それなりの頑張り」では受験は突破できない

・・高校3年生のときの入試結果はいかがだったのですか。

もともと建築士志望だったので、いくつかの大学の建築学科を受験しました。合格した大学もあったのですが、知り合いの建築士に相談したところ、「将来の就職を考えたら、もう1年頑張って、1ランク上の大学をめざした方がいい」と勧められました。河合塾での学習に手応えを感じていたこともあって、大学受験科に通って、再チャレンジすることを決意しました。

・・大学受験科時代の思い出を聞かせてください。

数学は自信があったので、課題は英語と物理だと自分でもよく分かっていました。残念ながら、英語は最後まで苦手意識を克服することはできなかったのですが、物理は1年間で大幅に得点力を伸ばすことに成功しました。テキストを中心に河合出版の参考書・問題集も活用しました。講師から、「苦手なのだから、あまり欲張らず、まず基本を徹底することが大切だ」と取り組むべき問題を指示していただき、それに絞って反復学習を心がけたことが効果的だったと思っています。

また、河合塾はアットホームな雰囲気があり、チューター(進学アドバイザー)や教務スタッフの方々が、気さくに話しかけてくださったことも、受験勉強を乗り切る上で大きな救いになりました。

何よりも大きかったのは、大学受験科時代の1年間で、受験に対する認識が変化したことです。高校生のときも、それなりに勉強していたつもりでしたが、結局は志望校に合格することはできませんでした。ではいったい何が足りなかったのか、自分なりに考えて、「それなりの頑張り」では受験は突破できないと思い直したのです。毎日、机に向かい、相応の勉強時間を確保してさえいればいいというものではありません。合格するためにはどの分野の問題をどのレベルまで解けるようになればいいのか、明確な目標を設定し、その段階に到達するためには、今、何を勉強する必要があるのか、戦略を立てて、計画的に勉強を進めることが大切になるわけです。その意識、姿勢が身についたことが、学力がアップした最大の要因だったと感じています。

建築士になりたいという目的意識を持って、大学1年次から研究室の雰囲気を味わう

・・建築士を志望したきっかけは何だったのですか。

小学校低学年の頃、近くに住んでいた祖父母の家を改築することになりました。大工さんが木を組み上げて、だんだん家の形になっていく様子に、子どもながらに感動して、毎日見に行っていました。もっとも、大工さんに言わせると「お弁当の梅干しをもらうのが楽しみだったみたい」とのことですが……(笑)。この経験から、小学校の卒業文集には「将来、建築士になりたい」という夢を書いているほどです。

大工さんではなく、設計の仕事をめざしたいと考えたのは、先天的に右目を失明しているからです。体が小さかったこともあって、大工さんは体力的に無理かもしれない。けれども、図面を描く仕事なら、建築の世界に関わっていけるのではないかと、幼いなりに考えていたのでしょうね。

・・それで日本大学理工学部の海洋建築学科に進学されたのですね。

実は、偏差値でいえばもっと上の大学にも合格していました。けれども、調べてみたところ、日本大学は建築設計事務所への就職実績が高いことが分かりました。建築士になりたいという目標が明確な私にとっては、偏差値よりも就職実績の方が重要だと思い、日本大学に入学することにしました。

・・大学時代に力を入れたことを教えてください。

一般的には、大学の研究室に所属するのは3年次からです。けれども、私は将来のためにできるだけ早く研究室の雰囲気を味わいたいと考えていたので、入学直後に設計の坪山幸王研究室を訪問。先輩たちに「何でもやりますから、ぜひ設計のお手伝いをさせてください」とお願いしました。先輩が描いた図面を製図板で清書したり、近くの文房具店で青焼きコピーしたりなど、けっこう雑用は多く、重宝がられましたね。

・・大学卒業後のご経歴を教えてください。

4年次の都市計画の授業でプレゼンテーションしたとき、先生から「杉山くんの視点は理工学的ではない」と指摘されました。理工学からアプローチする場合は、高さ、形状などを決めるうえで、何らかの数値的な裏付けが要求されます。それに対して、私は、自分の感性で、デザイン的にかっこいいと感じる形を追究しており、いわば「アーティスト的な意識」で設計していたわけです。あらためて、データの裏付けを示した設計にやり直しましたが、そのときに、自分の感性をもとに建築を語る方向性もあるのではないかとも感じたのです。とはいえ、それを主張できるほどのセンスを鍛えてきたわけでもありません。もっと芸術的な感性を磨く必要があると思い、武蔵野美術大学の大学院で学ぶことにしました。

大学院修了後は、いくつかの建築設計事務所に勤務しながら、5年目に一級建築士の資格を取得しました。自分で事務所を構えるには管理建築士の資格が必要なので、その資格を取得するための条件となる3年間の実務経験を経て資格を取得。今年5月、念願の個人設計事務所を設立しました。

・・現在、どのようなお仕事に携わっていらっしゃいますか。

隠房の店主 栗原さん(左)と杉山さん

隠房の店主 栗原さん(左)と杉山さん

住宅、商業施設、インテリアなどのデザインが中心です。単に家屋を設計するのではなく、ロゴマーク、ホームページなど、周辺のデザインも含めて提案しています。それも、理工系と芸術系の両方で学んだメリットだと考えています。

子どもが大好きなので、今後は、小学校や幼稚園などの教育施設の設計に携わることが目標です。人間は10歳までに人格の基本が形成されると言われています。そして、残念ながら、文部科学省などの資料によると、10歳から急激に犯罪が増加しているというデータもあります。私は、修士論文で、この要因は基礎教育段階の施設のあり方に課題があるのではないかという問題提起を行いました。子どもたちのよりよい人格形成に貢献できる施設を提案していきたいですね。

具体的な目標を見つけるためにチューターを活用してほしい

・・これまでのご経歴の中で、河合塾で学んだことが役立っていると感じられることはありますか。

先ほども申し上げたように、私は河合塾で、合格のために何が必要かを見定めて、戦略を立てて、計画的に勉強する意識を養いました。それは一級建築士など、資格取得のための勉強にもそのまま応用することができました。

それから、建築設計の仕事は、大工、塗装、内装など、さまざまな職種の人々と連携して進めていきます。全体を統括して、納期に間に合わせるためには、各部門のスケジュールをマネジメントする力が求められます。そうした計画的な管理能力も、河合塾での学びを通して身についた気がします。

・・後輩へのアドバイスをお願いします。

私は大学在籍中に、「再受験に成功した経験談を伝えてほしい」と、河合塾の教務スタッフの方々に勧められて、学生スタッフとしてアルバイトをしました。その際に、担当の生徒たちに言っていたことは「単なるブランドイメージではなく、自分の将来像を考えたうえで、目標を見つけることが大切」ということです。受験生の中には、大学の知名度にあこがれて、志望校を決めているケースが少なくありません。けれども、重要なのは、自分は将来、どんな職業に就きたいのかを考えることです。それも、たとえば弁護士になりたいといったレベルではなく、どんな弁護士をめざしたいのか、深く考える機会も持つことが大切です。そうすれば、そのためにはどんな学びが必要であるかが分かり、志望大学・学部・学科も自ずと絞られてきます。具体的な目標ができれば、受験勉強のモチベーションも高まるはずです。

そして、目標を見つけるために、ぜひ活用してほしいのが学生スタッフです。河合塾には、さまざまな大学・学部・学科で学んでいる学生スタッフがいますから、積極的に声をかけて、教育内容や学生生活の様子など、生の情報を入手するように心がけてほしいと思います。

・・最後に、保護者へのメッセージをお願いします。

生まれつき右目が失明していた私は、いじめに遭いそうになったこともあります。けれども、両親は私を常に、「障害者」ではなく「普通の子ども」として扱うように心がけていたと感じています。そのため、いつしか「目が見えないことはけっしてハンデではない。むしろ、それによって他の人とは違うことに気づくこともある」と、考えられるようになっていきました。ですから、私は目が見えないからできないと、言い訳をしたことはいっさいありません。いろんなことに、前向きにチャレンジしようとする土壌をつくってくれた両親に感謝しています。どんな子どもにも、絶対に長所もあれば、短所もあります。保護者には、少しぐらいの短所には目をつぶって、長所を引き出すような度量の広さが求められると思っています。

Profile

杉山 英知(Eichi Sugiyama)

杉山 英知(Eichi Sugiyama)

1979年東京都生まれ。足立学園中学校・高等学校に通う。高2から河合塾松戸校、高3からは池袋校高校グリーンコースに、高校卒業後は、河合塾池袋校大学受験科に通う。1998年日本大学理工学部に進学。2002年同大学卒業後、武蔵野美術大学大学院造形研究科デザイン専攻建築コースに進学。2004年同大学院博士課程修了後、建築事務所で勤務。2009年一級建築士の資格を取得し、2012年5月スタジオエイチ一級建築士事務所を開く。

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