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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.55 (2013年1月公開)

  • 会社員(その他)
  • 高校グリーンコース
  • 大学受験科
田村 修さん

河合塾の授業で繰り返し強調された<br />「ものごとを論理的に考える力」が<br />経営者にも求められる能力であったことを痛感しています。

  • 前・(株)JR東日本ウォータービジネス  (現・東日本旅客鉄道(株))
    前・代表取締役社長(現・事業創造本部開発戦略部門次長)

    田村 修さん

    出身コース
    高校グリーンコース
    大学受験科

長文読解のコツをつかみ、得意な英語の力をさらに伸ばしたことが入試の“得点源”に

・・河合塾に通うようになったきっかけからお聞かせください。

私が高校生だった頃は、自宅のある多摩地区に大手予備校はありませんでした。両親に大学受験に向けてしっかり勉強するのなら、やはり大手予備校の方がいいのではないかと勧められ、高校入学直後から、電車で1時間以上かけて千駄ヶ谷校の高校グリーンコースに通うことにしました。高校卒業後も、さらに1年間、同じ千駄ヶ谷校の大学受験科の早慶大文系コースに通いました。

・・印象に残っている授業はありますか。

英語の授業が感動的でした。中学時代から英語は得意なつもりだったのですが、それは、単に文法に則って逐語訳する力が身についていただけで、文章の流れを把握するレベルにまでは到達していませんでした。それでは長文読解問題に対応することはできません。河合塾の英語の授業では、長文読解のコツを徹底的に教えられ、少しずつ文章の全体像が読みとれるようになっていきました。先生に「声に出して読むといい」とアドバイスされ、それも素直に実践しました。確かに音読は圧倒的な効果を発揮すると実感しました。この授業のおかげで、英語の成績は大幅に伸び、入試でも大きな“得点源”になり、早稲田大学法学部に合格することができました。自分では、入試本番で英語は100点だったと確信しています。

また、苦手科目だった国語の授業では「文章を論理的に読む」ことの重要性を繰り返し強調されたことをよく覚えています。それまであまり考えたことがなかった「論理」を意識して読む勉強法は、とても新鮮でした。

チューター(進学アドバイザー)の励ましの言葉が受験生活の支えになった

・・そのほか、河合塾での思い出を聞かせてください。

親身に相談に応じてくださったチューターの方々に感謝しています。とくに大学受験科時代の2学期に、成績が思うように伸びず、悩んでいたときに、「これだけ頑張っているのだから、絶対大丈夫だよ」と、温かく励ましてもらいました。そうしたちょっとした言葉が、受験生活の支えになった気がします。

チューターの企画で、クラスの親睦会が開かれることもありました。それによって、たくさんの友人ができ、雑談を交わすようになりました。受験生だからといって、殺伐とした雰囲気の中に身を置いていたのでは、さらに精神的に追い込まれてしまいます。和気あいあいとしたアットホームな雰囲気をつくってくれた、チューターと友人たちの存在がなかったら、ただ辛いだけの受験生活だったかもしれません。

余談ですが、実は、妻と知り合ったのも河合塾です。付き合い始めたのは大学入学後ですが、高校グリーンコースの入塾テストで一緒で、一目惚れしました。ただ、不思議なことに、私は、入塾テストで2つ前の席に座っていたのが妻だと記憶しているのですが、妻は「それは服装が違うから、別の女の子だ」と言い張っています。いまだに真相は藪の中なのですが……(笑)。

探検部に入り、アフリカで恐竜を探す探検に挑戦

・・早稲田大学法学部を志望された理由を教えてください。

高校3年生のときに早稲田大学を第一志望にしたのですが、当時は、将来どんな職業につきたいのか、明確ではありませんでした。ですから、学部へのこだわりはなく、実際に早稲田大学だけで5学部受験したほどです。早稲田大学に行きたいと思ったのは、日本の大学の中で、最も本格的な探検部があることを知ったからです。私は小学生の頃から、ネッシーなど、未知の生物の話が大好きでした。高校生のときは一人旅が趣味でした。また、高校時代に本多勝一氏の『北海道探検記』を愛読しており、自分も同じような探検がしたいという思いが募っていったのです。

・・実際に大学時代は探検部に所属されたのですか。

ええ。入学後、サークル勧誘週間のときに、さっそく探検部を訪ねました。すると、そこに現在、ノンフィクション作家として活躍されている高野秀行さんがいました。話をしていると、「この後、アフリカにコンゴドラゴンを探しに行くつもりだ」といわれ、「そこまで本格的なのか」ととまどいつつも、つい勢いで「ぜひ連れて行ってください」といってしまったのです(笑)。実際に、20歳のとき、探検の議定書を交わして、コンゴに出発しました。コンゴは氷河期がなかった地域といわれており、恐竜が生き残っているという伝説があったのです。ジャングルをかき分け、カヌーを乗り継いで、目的の湖にたどり着きました。結局、恐竜は見つかりませんでしたが(笑)、とてもいい思い出になっています。この冒険の模様は、高野さんの著書『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)にくわしく書かれており、私も探検隊員の一人として登場しています。

不動産鑑定士の資格取得にも役立った「音読」の学習法

・・大学卒業後、現在までのご経歴をお聞かせください。

探検部の仲間たちは、マスコミ関係に進む人が多く、中にはフリーで探検活動を続ける人もいたのですが、私は逆にそれまでの反動からか、公共性の高い企業に入社したいと考えていました。そこで、JR東日本に入社。10年ほど不動産関連の業務に従事しました。その間、会社の命を受けて、不動産鑑定士の資格を取得しました。業務の一環で資格に挑戦するわけですから、失敗するわけにはいきません。必死で勉強しました。この際、河合塾で身につけた勉強法が大いに役立ちました。不動産鑑定士の試験では、膨大な量を暗記する必要があります。私は、英語の長文読解で養った「音読」を取り入れました。非常に効果的でしたね。

その後、エキナカビジネスの企画部門に移り、新たな飲料ビジネスを展開するJR東日本ウォータービジネスが発足することになり、取締役営業本部長に就任。2009年6月から2012年6月まで代表取締役社長を務めました。当社の主力事業は、エキナカの自販機ビジネスです。ほとんどの自販機はメーカーの所有で、その会社の商品しか販売していません。それに対して、当社の自販機は、メーカーにこだわらず、「オリジナル商品」プラス「売れ筋商品」を販売するところに特色があります。また、自社ブランド「FROM AQUA」では、日本で唯一の「落ちないキャップを採用。「落ちないキャップで今日も勝ちっ!」のキャッチフレーズで、大学入試会場などで配付しました。今後、「縁起のいい水」として、受験生に喜ばれる飲料に成長させていきたいと思っています。

大学で何をやりたいかを考えることが、勉強のモチベーションになる

・・これまでのご経歴の中で、河合塾で学んだことが役立っていると感じていらっしゃることはありますか。

国語の授業で指導された「論理的なものの考え方」は、社会人にとって、とりわけ経営者にはきわめて重要なものだと痛感しています。もちろん、経営を進めるうえでは、ときには大胆なアイデアや、思い切った決断力が求められます。けれども、そのベースには、必ず論理的な思考がなければいけません。なぜその決断をしたのか、論理的に説明できなければ、社員を納得させることはできないからです。河合塾で学んで以降、「論理」を意識するようになったことは、とても役立っていると感じています。

・・後輩へのアドバイスをお願いします。

受験生時代は、つい目先の勉強のことばかりに目が向きがちです。けれども、自分の将来のことを深く考えるべき時期でもあるのです。そんなに遠い将来のことでなくてもかまいません。とりあえず大学で何をしたいのか、考えてみるといいでしょう。それも必ずしも学びたい学問である必要はなく、私のように探検部に入りたいからといった目的意識でもいいのです。自分の将来を深く考える行為自体が貴重ですし、それが受験勉強のモチベーションにもなると思います。

・・最後に、保護者の方々へのメッセージをお願いします。

私の高校2年生の息子が、先日、河合塾の全統模試を受けました。その成績を見ると、英語の成績だけが突出していました。完全な遺伝ですね(笑)。もちろん、最終的に大学に合格するためには、ある程度のバランスを図ることが重要になるでしょうが、一定の時期までは、多少偏っていても、得意教科を圧倒的な強みにできるように磨くことも大切なのではと思っています。親心から、つい息子には「国語、数学も頑張りなさい」といってしまいましたが、英語が得意であることもきちんとほめて、それを応援するような気持ちで接したいと考えています。

Profile

田村 修

田村 修(Osamu Tamura)

1967年東京都生まれ。高1から高校グリーンコース、高校卒業後は大学受験科に、いずれも河合塾千駄ヶ谷校に通う。1987年早稲田大学法学部に進学。1991年同大学卒業後、東日本旅客鉄道株式会社に入社。不動産部門、企画部門を経て、2006年取締役として株式会社JR東日本ウォータービジネスの発足に参画。2009年6月に同社の代表取締役社長に就任。現在は東日本旅客鉄道の開発戦略部門次長として活躍中。

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