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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.59 (2013年5月公開)

  • 会社経営・起業家
  • 大学受験科
島田 直樹さん

英文の美しさが味わえる河合塾の授業が<br />「受験英語」から「本物の英語」への転換の大きなターニングポイントになりました

  • 株式会社ピー・アンド・イー・ディレクションズ
    代表取締役

    島田 直樹さん

    出身コース
    大学受験科

英文を読む楽しさに目覚め、自然と深い読解力が身についた

・・河合塾に通うようになったきっかけを教えてください。

高校生のとき、水球部に所属しており、九州大会にも出場しました。とはいっても、当時、熊本の高校で水球部があるのは4校だけだったので、1回戦に勝利すれば九州大会に進むことができたのですが…(笑)。いずれにしても、部活動中心の高校生活でしたから、周囲と比較して受験勉強のスタートは遅れてしまいました。そこで、受験モードに切り換えるために、予備校の夏期講習に通おうと考えました。地元の熊本の予備校も候補ではあったのですが、私は東京の大学に行きたいと考えていたので、それなら、全国展開している大手予備校の方がさまざまな情報を入手することができると思い、河合塾福岡校に通うことに決めました。高校3年生の夏の約3週間、河合塾の寮に寝泊まりしながら、夏期講習に通いました。

・・現役生時代の入試結果はいかがでしたか?

私は、記述式の問題は得意で、比較的高得点をあげることができたのですが、マークシートの多肢選択型の出題形式を苦手にしていました。そのため、共通一次(現:大学入試センター試験)の得点が伸びず、残念ながら受験した一橋大学は、第一段階選抜で不合格になり、二次試験を受けることもできませんでした。父の転勤で神奈川に引っ越すことになったこと、および第一志望の一橋大学のコースが駒場校に設けられていたことから、もう1年間、河合塾(駒場校)で学ぶことにしました。

・・駒場校時代、印象に残っている授業はありますか。

英語の授業が衝撃的でした。それまでの私は、受験のために仕方なく英語を勉強している感じで、文法に沿った逐語訳の学習に終始していました。ところが、その講師の授業は、英文の美しさ、エレガントさが味わえる授業でした。受験英語から一皮むけて、英文を読む楽しさに目覚めたことによって、自然と深い読解力が身についていった気がします。

また、その講師は、毎回の授業で、若い時期にぜひ読んでおくべき本を紹介してくださいました。小林秀雄、ジェフリー・アーチャー、オー・ヘンリーなどです。おそら、私たちに、日本語でも英語でも美しい言葉に触れることが大切だということを伝えたかったのでしょう。そのおかげで、本を読むのも大好きになりました。紹介された1冊、サマセット・モームの「月と六ペンス」は今でも愛読書になっています。年齢を重ねるごとに、この本の良さが心にしみますね。

そのほか、英語の授業では、オーディオ機器を用いて、ケネディー大統領やキング牧師のスピーチも聴きました。まだそうしたマルチメディア教育がめずらしかった頃で、高校までに経験したことがなかったので、とても新鮮で、英語を話す・聴くことへの興味が喚起されました。

・・苦手な科目はありましたか。

国語が苦手で、現役生時代、共通一次では5割以下の得点しかあげることができず、それが第一段階選抜で不合格になる最大の要因になっていました。先ほど申し上げた英語のレベルのような域の学習に到達するだけの時間的な余裕はないと思い、国語の関しては、解法のコツを覚え込んで、少しでも得点力を向上させようと割り切りました。たとえば、傍線部の言葉の意味を答える問題の場合、高校生までの私は与えられた文章全体から解答を探していました。けれども、実際には傍線部の前後3行ほどの中に解答のヒントが隠されていることが大半でした。ある意味、基本的な解法テクニックすら分かっていなかったのです。問題を解くコツを丁寧に教わることによって、徐々に得点を伸ばせるようになっていきました。

受験生時代を一緒に過ごした絆は強く、ビジネスでも信頼できる

・・そのほか、河合塾での思い出をお聞かせください。

私を担当してくださったのは、女性のチューター(進学アドバイザー)で、本当にお世話になりました。もっとも、最初の頃は、運動部出身の九州男児である私としては、生徒たちが年の近い女性のチューターに気軽に相談する様子に違和感を覚えていました。気楽に女性としゃべるなんて、そんな軟派なことをするのは恥ずかしいと思っていたのです(笑)。そんな中、「東京の大学に入学したいから、駒場校にきたのでしょう。だったら、もう少し、東京の生活を楽しもうよ」と声をかけてもらった時には力が抜けました。受験生だからといって、ずっと肩肘張っていたのでは、精神的に追い込まれてしまいます。おそらくチューターは、私の様子を見て、もっと肩の力を抜くことも大切だということをアドバイスしたかったのだと思います。この言葉でふっと気持ちが軽くなり自然体での受験生活を送れたと思います。

また、友人たちにも恵まれました。一橋大コースに在籍していましたから、半数以上が大学でも同級生になりますし、現在でもビジネス上の付き合いが続いている友人も少なくありません。たとえば、河合塾の一橋大オープンで、私より2番上の成績だった人が、当社の取締役を務めています。先日、この模試の成績表を2人で一緒に見る機会があり、奇縁を感じて、思わず感嘆の声をあげてしまいました(笑)。さらに、一橋大コース時代の仲間が、ベンチャー企業を立ち上げ、上場するときに、コンサルタントとして支援したこともあります。受験生時代のお互いに苦しい時期を一緒に過ごした絆は、とても強いものがあり、信頼感を持って仕事をすることができます。

アメリカの学生のレベルの高さに衝撃を受け、負けたくないという気持ちが芽生えた

・・一橋大学商学部に入学されてからの思い出を聞かせてください。

一橋大学の同窓会組織「如水会」が、学生を海外の大学に派遣する制度があり、大学4年生のとき、それに応募して、1年間、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校に留学しました。有意義な経験だったのですが、その一方で悔しい思いもしました。何よりも衝撃的だったのが、アメリカの同世代の学生たちのレベルの高さです。グループプロジェクトの授業では、私はほとんど貢献することができませんでしたし、クラスのディスカッションにも思うように参加できませんでした。アメリカの学生に負けたままでは人生を終われない、もっと必死で勉強して、実力を身につけてから、絶対に3~5年後にはアメリカの大学院に戻ってこようと決意しました。



そこで、日常的に英語を使う仕事に就こうと考え、アップルの日本法人に入社しました。そして、3年半後、捲土重来の思いを抱いて、MIT(マサチューセッツ工科大学)のビジネススクールに入学しました。MITを選んだのは、アップルのエンジニアは良い技術を開発するが市場とのつなぎがうまくいっていないと思ったからです。これからは、テクノロジーとマーケットをつなぐところにビジネスチャンスが生まれるのではないかと考え、技術とビジネスの両方を学べるMITに入学したわけです。2年後、MBAを取得し、外資系のコンサルティング会社で戦略立案などに携わった後、2001年、32歳のときに株式会社ピー・アンド・イー・ディレクションズというコンサルティング・事業支援の会社を設立しました。

・・現在の主な業務内容を教えてください。

社名が示す通り、P(Planning=戦略の策定)と、E(Execution=戦略の実行)の両方を重視することを経営理念にしています。具体的な業務としては、新規事業の立ち上げ支援、新商品の開発支援、海外進出支援、M&Aによる成長戦略立案などが中心です。経営コンサルティングというと、コスト削減やリストラなどをイメージする人もいるかもしれません。けれども当社は、顧客企業の売上の拡大による企業価値向上を可能にするような、前向きな支援を心がけていきたいと考えています。

世界の若者たちと競争していくという自覚を持ってほしい

・・これまでのご経歴の中で、河合塾で学んだことが生きていると感じていらっしゃることはありますか。

河合塾で学んでいなかったら、今の私は存在しないといっても過言ではありません。当然のことながら、現在の私の仕事は英語力なしには成立しないわけですが、受験英語で通用するような世界でもありません。受験英語のままだったら、大学時代に海外留学なんて思いもよらないことだったでしょうし、ましてや海外に進出する企業を支援するような会社を起業することもなかったでしょう。私にとっては、河合塾の英語の授業が、「受験英語」から「本物の英語」に転換する、大きなターニングポイントであり、それによって人生が変わったといえます。

・・最後に、河合塾の後輩たちにメッセージをお願いします。

私がコンサルティングの際によく語るのは、広い「視野」、高い「視座」、独自の「視点」が大切になるということです。勉強に関しても、狭い視野で捉えないようにしてほしいと思います。というのも、皆さんの戦いは、隣に座っている日本人受験生との戦いだけではありません。今この瞬間も、アジアの伸び盛りの国々の若者たちは、明るい未来を信じて必死で勉強しています。先ほど申し上げたように、アメリカの同世代の若者たちは大変な努力を重ね、スキルアップを図っています。皆さんはいずれそうした世界の若者たちと競争をしていかなければならないのです。受験勉強は、将来、世界の人々と伍して戦うためのファンデーションを作る大切なプロセスです。そして、受験勉強で終わりではなく、一生勉強を続けていかなければならないという覚悟を持ってほしいと願っています。

Profile

島田 直樹

島田 直樹(Naoki Shimada)

1968年生まれ。熊本高校卒業後、河合塾駒場校大学受験科に通う。1987年一橋大学商学部に入学。カリフォルニア大学バークレー校への留学を経て、1993年同大学卒業後、アップルの日本法人に入社。MITスローンスクールで技術とマーケティングを学びMBAを取得。外資系企業を経て2001年株式会社ピー・アンド・イー・ディレクションズを起業。現在に至る。

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