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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.61 (2013年7月公開)

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橋爪 舞さん

人生は思い通りにならないこともある。<br />それでも自分が今置かれている境遇を<br />精いっぱい楽しむ姿勢があれば<br />必ず道は開けていきます。

  • 有限会社ブルーワールド
    テレビ東京『ガイアの夜明け』番組ディレクター

    橋爪 舞さん

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歴史の事象を多様な角度から見る習慣が、現在の番組づくりにも役立つ

・・河合塾に通い始めたきっかけを教えてください。

通っていた高校がいわゆる進学校ではなく、大学受験対策はほとんど行われていませんでした。成績は比較的良好で、指定校推薦で入学できそうな大学もあったのですが、その大学には私が志望している学部がありませんでした。そこで、高校2年生のとき、大学受験に向けた本格的な勉強をスタートさせるために、河合塾横浜校に通うことにしました。

ところが、当時は第二次ベビーブーム世代が大学受験を迎えた時期で、とにかく大勢のライバルがいて、河合塾に入塾するための認定テスト自体が厳しいものでした。実際、数学は基準に達することができず、受講することができなかったほどです。高校では上位の成績だった私にとっては、大変なショックでした。もっとも、このとき初めて厳しい競争の洗礼にさらされたことは、今となってはいい経験だったと思っています。

・・印象に残っている授業はありますか。

最初の頃は、「分からない」ということが恥ずかしく、なかなか質問することができませんでした。けれども、どの講師の方もとても気さくで、話しかけやすい雰囲気をつくってくださっており、だんだん積極的に質問に行けるようになっていきました。勉強に関することだけでなく、ちょっとした悩みの相談にも気軽に応じてくださり感謝しています。

感動的だったのは、日本史の神原一郎先生の授業です。それまでの私は、日本史の知識を丸暗記する勉強に終始していました。神原先生からは、事象をリンクさせて考えることの大切さを教わり、一つひとつバラバラに感じていた知識を関連づけて理解することができるようになりました。それによって、歴史の流れが把握できるようになり、日本史の勉強がおもしろくなっていきました。歴史の事象をさまざまな角度から見る習慣が身についたことは、現在、番組の企画を立案する際にも大いに役立っています。

また、苦手科目の国語を克服するのに役立ったのが小論文の授業です。与えられたテーマについて自分の見解をまとめ、添削指導してもらうスタイルの授業でしたが、このときに指導されたのは「テーマに対して、白か黒か、自分の立場を鮮明にしたうえで、意見を明確にまとめるようにしなさい。曖昧なグレーの立場のままで書いてはいけない」ということです。その意識を持つようになったことで、文章を読解する力も高まったと感じています。この授業で受けた指導は、社会人になった今でも必要な、重要な考え方だと思います。仕事を進めるときに、自分の意思をはっきりさせず、常に曖昧な態度をとっているようでは信用されないからです。

チューター(進学アドバイザー)からのアドバイスの手紙を今も大切に保管

・・そのほか、河合塾での思い出を聞かせてください。

担当チューターには本当にお世話になりました。厳しい競争にさらされて、模試の成績が思うように伸びず、第一志望校をあきらめて、推薦で入学しようかという気持ちになったことがあります。チューターにそういう相談をしたところ、便箋数枚にわたる手紙をいただきました。その手紙には「志望校の一般入試に挑戦するというのは、自分で決めたことでしょう。だったら、推薦に甘んじず、最後まで頑張りましょう。ただし、残念ながら、必ずしも第一志望校に合格できるとは限りません。それでも自分がやりたいことをめざしたうえでの結果なら、絶対に後悔はしないはずです」といった意味のことが書かれていました。当時の私は、頑張れば必ず良い結果に結びつくと信じていましたし、チューターからもそういう励ましの言葉がもらえるものと思っていましたから、この手紙には少し反感を覚えました(笑)。けれども、今振り返ると、とても大切なアドバイスだったことが分かります。すべての人が希望通りの道を歩めるわけではありません。人生とはそういうものです。第一志望の道ではないからといって、嫌気がさして、人生を投げ出してしまっては何の意味もありません。チューターはおそらく、第一志望以外の道であっても、その中で精いっぱい頑張る姿勢が尊いということを教えたかったのだと思います。この手紙は現在でも大切に残してあります。

そうしたチューターの支えもあって、高校卒業後1年間、河合塾の大学受験科に通い、第一志望校ではなかったものの、志望校の1つであった成蹊大学文学部に合格しました。

「正義」を守る仕事の1つとしてマスコミを志望

・・成蹊大学文学部を志望した理由は何ですか。

父が警察官だったこともあって、幼い頃から、漠然とながらも、将来は正義を守る仕事をしたいと考えていました。高校生になって、正義とは何か、突き詰めて考えたときに、マスコミもその1つの立場ではないかと思ったのです。成蹊大学文学部には、マスコミュニケーションを学べるゼミがあったことが志望の決め手になりました。キャンパスを見学した際に、少人数制でアットホームな雰囲気が感じられたことも魅力でした。

・・大学時代に力を入れたことを教えてください。

サークルは「英語会」に所属し、英語スピーチコンテストに出場しました。また、先ほど申し上げた経験から、チューターにあこがれの気持ちを抱いていましたので、私も河合塾横浜校で学生スタッフとしてアルバイトをしました。

・・大学卒業後の主な仕事の内容を教えてください。

第一志望はテレビ局だったのですが、残念ながら採用試験で不合格になり、番組制作会社に入社しました。『ニュースステーション』(現・『報道ステーション』)の特集のアシスタントディレクターを手始めに、NHKのニュース番組や『中学生日記』の制作などに携わりました。また、河合塾の『サテライト講座』の制作を手がけたこともあります。その後、テレビ東京に出向になり、BSの市況番組、『ワールドビジネスサテライト』などの制作を経て、現在は『ガイアの夜明け』の番組ディレクターを務めています。自分で興味を持ったテーマで企画書を作成し、それが通れば、取材、編集して放送するところまで、一貫して担当しています。多少回り道もしましたが、現在では希望通り、テレビ局で番組作りに携わることができているわけで、感慨深いものがありますね。

・・現在の仕事のどんなところにやりがいを感じていますか。

海外取材に出向くことも多いのですが、海外に出ると現在の日本の置かれている立場がよく見える気がします。また、さまざまな専門分野の方の話をお聞きする機会が多くあります。そこで見たこと感じたことを、いかに視聴者に伝えていくか、それがこの仕事の醍醐味だと思っています。『ガイアの夜明け』という番組自体が大好きなので、今後もずっと関わっていきたいですし、見てくださる方々が元気になれるような番組づくりを心がけていきたいと思っています。

将来の方向性を明確にすることで受験勉強も乗り切れる

・・これまでのご経歴の中で、河合塾で学んだことが役立っていると感じていらっしゃることはありますか。

私にとって、河合塾は人間形成の場であったと確信しています。チューターからの手紙の言葉にあったように、人生は思い通りにならないことが少なくありません。私は、それでも自分が今置かれている境遇を精いっぱい楽しむように心がけています。受験も就職も、必ずしも第一志望が叶ったわけではありませんが、何の後悔もありません。与えられた状況を楽しむ気持ちがあれば、道は開けていきます。そんな力強い気持ちを育んでくれたのが河合塾でした。

もう一つ役立っているのは、神原先生の授業で、世の中の事象を多様な角度から見つめる姿勢が養われたことです。これは、番組のテーマの切り口を考える際にも活用でき、私なりの個性、特色を生み出すことができていると思います。

・・最後に、後輩たちへのメッセージをお願いします。

学生スタッフとしてアルバイトをしていたときにもよくアドバイスしていたことですが、将来、どんな仕事をしたいのか、明確にすることが重要だと思います。将来の方向性がはっきりしていれば、そのために必要なこととして受験勉強も乗り切ることができます。また、たとえ第一志望どおりの進路でなくても、少しでも希望する仕事に近づけるように頑張って努力することができるでしょう。

もちろん、現時点で、自分の将来の方向性が見えていない人も多いと思います。そんな人にアドバイスしたいのは、できるだけいろんな人の話を聞くことが大切だということです。とはいっても、有名人の講演を聞きに行くといったことではありません。家族や友人との会話でいいのです。私はよく父から警察官の仕事の話を聞いていました。そんな身近な人の言葉に耳を傾けることで、自分の将来の方向性を見つけるうえでのヒントが得られることも多いのです。

Profile

橋爪 舞

橋爪 舞(Mai Hashizume)

1973年生まれ。神奈川県立野庭高校出身。高校2年生より河合塾横浜校高校グリーンコースに、卒業後は大学受験科に通う。1993年成蹊大学文学部に入学。1997年同大学卒業後、番組制作会社に入社し、NHKの「中学生日記」などのアシスタントディレクターとして制作に携わる。2009年に有限会社ブルーワールドに入社。現在はテレビ東京の「ガイアの夜明け」のディレクターとして活躍中。

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