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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.67 (2014年1月18日公開)

  • 医師・医療関連
  • 大学受験科
町田市民病院泌尿器科医長 菅谷 真吾さん

河合塾の授業とテキストを信じて医学部合格。<br />何度も繰り返し復習する勉強法が効果的でした。

  • 町田市民病院
    泌尿器科 医長

    菅谷 真吾さん

    出身コース
    大学受験科

繰り返し学習の効果があらわれ、秋以降の模試の成績がアップ

・・医師をめざそうと思われたきっかけからお聞かせください。

父が泌尿器科の開業医で、患者さんから感謝されながら診療している姿を見て育ちました。幼心に医師とは人々の役に立つ、やりがいのある仕事であると感じ、自然と医師をめざすようになりました。

入学した高校(群馬県立前橋高校)は、地域の伝統男子校で、バンカラな気風が残っており、生徒の自主性を重んじていました。当時は、絶対に現役で合格しなければならないという雰囲気は薄く、受験勉強一辺倒になるよりも、高校生活を謳歌することの方が大切だと考えるタイプの生徒が多かった気がします。私もそんな中の一人で、受験勉強に対する必死さが足りなかったのでしょう。高校卒業時点では合格を果たすことができず、河合塾で1年間頑張ることにしました。

・・河合塾を選ばれた理由は何ですか。

地元の予備校に通うという選択肢もありましたが、自分の性格から言って、高校生活の延長のように過ごしてしまうのではないか、と思いました。そこで、環境を変えるために、東京で寮生活をおくることを選択、友人の2歳年上のお兄さんが、河合塾で学び、国立大学医学部に合格したという話を聞いたことが決め手となり河合塾に入塾しました。

・・河合塾で印象に残っている授業はありますか。

英語の授業が印象的でした。長文を読解するときに、文章の構造をきちんと把握する方法をわかりやすく教えられたことで、速読力が身につきました。

また、私はどの科目も、直前期に過去問を解いたほかは、河合塾の授業とテキストを信じて、繰り返し復習する勉強法に専念しました。河合塾のテキストはとても精選された問題ばかりで、いたずらにさまざまな参考書・問題集に手を広げるよりも、テキストに掲載されている問題を確実に解けるようになる方が効果的だと考えたからです。特に苦手だった数学は3回ほど繰り返し解いたことで理解が深まり、苦手意識を克服することができました。

・・成績は順調に伸びたのでしょうか。

いえ、夏までは模試の成績にあまり反映されませんでした。6月に行われたチューターとの三者面談では、私立大学医学部も志望先として検討しておいてはどうかと言われたほどです。けれども、私にはそれほど焦りはありませんでした。すでに河合塾のテキストで繰り返し学習を終えた単元の問題は解けるようになっているという手応えを感じていたからです。まだすべての単元の学習が完了していないから成績が伸びないだけであって、このままの勉強法を続けていけば入試本番には十分に間に合うはずと思っていたのです。そのため、国立大学医学部志望を貫くことにしました。実際、秋以降の模試では、繰り返し学習の効果があらわれ、成績が伸びていきました。その結果、弘前大学医学部に合格することができました。

不安になったときにすぐに相談できる塾生寮の仲間の存在が心強かった

・・そのほか、河合塾時代の思い出をお聞かせください。

私にとっての河合塾の生活は、一言でいうと「楽しかった」という思いの方が強いですね。というのも、校舎からほどよい距離の河合塾の塾生寮で生活しており、「同じ釜の飯を食った仲間たち」に恵まれたからです。それぞれ志望大学・学部は違っていても、「大学合格」という目標は完全に共通しています。その目標を達成する道のりでは、当然、つらい時期もあります。そんなときにすぐに相談できる、同志のような仲間の存在が心強かったのです。仲間たちと語り合っていると、苦しんでいるのは自分だけではなく、皆も同じような不安を抱えていることがわかります。それで気持ちがふっと楽になったこともあります。

また、文系、理系の枠を超えて、様々な学部を志望している友人ができたことも貴重だったと思います。幅広いものの考え方に触れて、大いに刺激を受けることができました。私は古文が苦手だったので、得意な文系の友人に相談したこともあります。すると、大和和紀氏が「源氏物語」を漫画化した作品「あさきゆめみし」を読むことを勧められました。ストーリーの流れを知っておけば、試験で出題されたときにどのシーンかイメージできるので有利になるというのです。実際、この方法は有効でした。先生だったら絶対にしないアドバイスだとは思いますが…(笑)。

寮生活を共に過ごした仲間たちとは、現在でも交流が続いています。入学した大学も学部も、その後の職業も経歴も違うけれど、何かあれば今度集まろうか、となる関係です。20年以上前のわずか1年間だけの付き合いだったにも関わらず、交流が続くということは、それだけ濃密な関係だったということでしょう。

初心を忘れずに「生涯一研修医」の気持ちで

・・医学部時代に力を入れたことを教えてください。

ソフトテニス部に所属し、6年間活動を続けました。また、授業科目で最も印象に残っているのが「臨床実習」です。私はもともと研究医ではなく臨床医を志望していたのですが、この実習で直接患者さんに接する機会を得て、その気持ちがさらに強まりました。そして、医学とは単純な理系の学問ではないという思いも生まれました。医師には、医学の専門知識・技術を備えるだけでなく、患者さんやその家族などと接する際のコミュニケーション力を高めることも重要になると感じたのです。しかも、患者さんの事情は一人ひとり異なっており、この疾患ならこう治療すればいいといった、教科書通りの対応だけでは十分ではありません。その方がその方らしくいられるよう、ライフスタイルに配慮して、いわゆる「テーラーメイドの治療」を進めることが重要になります。「臨床実習」は、そうした自分がめざすべき医師像を考えるうえで貴重な場になりました。

・・泌尿器科を選択された理由は何でしょうか。

たとえば内臓疾患がある場合、診断は内科が行い、手術は外科が担当するといった具合に分業制になっています。もちろん、それも重要なのですが、泌尿器科疾患だけは、泌尿器科医が診断から治療、さらにはその後のフォローアップまで一貫して担当します。患者さんを最初から最後まで診て、完治まで見届けることができるのです。
また、泌尿器科は、前立腺ガン、腎臓ガンの手術など、生死に直結する病気の治療も担いますし、高齢者の排尿促進などの生活の質の向上にも携わります。その両方に関わることができる幅の広さも魅力に感じました。

・・大学卒業後の経歴を紹介してください。

東京慈恵会医科大学附属病院で2年間、研修医を務めた後、同大学の泌尿器科学教室に入局しました。その後、いくつかの関連病院を経て、2005年7月から町田市民病院に入り、現在は泌尿器科医長を務めています。

・・現在、医師として心がけていらっしゃることはありますか。

医療の世界は日進月歩で、常に知識・技術をブラッシュアップする姿勢が求められます。初心を忘れずに「生涯一研修医」の気持ちを持ち続けたいと考えています。

また、大学病院は個々の疾患を学問的に研究する使命があり、専門分化が進行しています。けれども、私が勤務しているのは市民病院ですから、東京慈恵会医科大学の建学の精神「病気を診ずして病人を診よ」の心を持って、先ほど申し上げたように、一人ひとりの患者さんの立場を踏まえた「テーラーメイド治療」を心がけていきたいと思っています。

河合塾で築いた人間関係が、現在のチームで協力する力につながっている

・・医師として活動するうえで、河合塾で学んだことが役立っていると感じられることはありますか。

医師にとって最も戒めなければいけないのは、独りよがりの判断に陥らないようにするということです。周囲の医師や、看護師などのコ・メディカルと連携し、チームで治療するといった意識が重要になります。河合塾で講師やチューターに相談に乗ってもらい、寮の仲間たちと同じ目標に向かって協力する人間関係が築けたことが、今に役立っていると感じます。

・・これから受験に向かう後輩たちにアドバイスをお願いします。

受験勉強を続ける中で、誰でも必ず成績の波はあります。そんなときに焦って、それまでとは違う勉強法に走らない方がいいと思います。河合塾に通っているなら授業とテキストを信頼して、繰り返し学習する方法を貫くことが大切です。時には、仲間と一緒に息抜きをしながら、頑張ってください。

Profile

菅谷 真吾(Shingo Sugaya)

菅谷 真吾(Shingo Sugaya)

1971年生まれ。1990年群馬県立前橋高等学校卒業後、河合塾駒場校の大学受験科に在籍。翌年、弘前大学医学部へ進学。東京慈恵会医科大学附属病院に研修医として勤務の後、同大学の泌尿器科学教室に入局。関連病院を経て、現在、町田市民病院泌尿器科医長。

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