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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.69 (2014年2月18日公開)

  • 会社員(その他)
  • 大学受験科
東海旅客鉄道株式会社 総合企画本部 国際部 副長 小川 陽久さん

敷かれたレールに乗るのではなく<br />自主的に将来を切り拓いていく。<br />そんな意識に変わるターニングポイントに<br />なったのが河合塾時代でした。

  • 東海旅客鉄道株式会社
    総合企画本部 国際部 副長

    小川 陽久さん

    出身コース
    大学受験科

主体的に自分の将来を考えたいという思いで再受験を決意

・・河合塾に通うことになったきっかけからお聞かせください。

高3時、現役で大学に合格することができました。合格発表で自分の番号を見つけて、これで晴れて大学生活をエンジョイできると思って、とっても嬉しかったことを今でも覚えています。一方で、果たしてこのままでいいのかという思いが生まれました。何でこの大学でこの学部なのか?自分は将来何がやりたくてこの学問をやっていくのかと問われた時に、明確に答えられない自分がいました。それまでの受験も振り返ると中学受験はすべて不合格、高校受験の際にも、沢山の高校を受けた中で合格できたのは入学できた高校だけで、それも補欠でした。表面的には受験で成功した経験がなかったということかもしれませんが、実態としては受験の場面で自分が明確に目的をもって、主体的にしっかり勉強した経験が無かったということになるかと思います。このまま大学に通っても充実した大学生活は送れないのではないか、もう一度、主体的に大学受験、そして自分の将来に向き合うことが大切なのではないかと思うようになりました。将来、自分は何がやりたいのか、真剣に考えて、自分の意思で志望大学・学部を決めたい。そして、その目標に向かって主体的に勉強して、合格を手に入れた達成感を得たいという思いがわきあがってきたのです。そこで、河合塾の大学受験科に通って、再受験に挑戦することを決意しました。

・・河合塾を選んだ理由は何でしょうか。

中学受験、高校受験のときは、塾にそれほど深く考えずに通っていました。明確なゴールを達成する為に塾に通うというより、周囲で塾に行っている人がいるからとか、そういった中途半端な気持ちで通っていたように記憶しています。正直なところ、勉強よりも、近所の友達と野球やサッカーをやっている方が楽しかった時期ですから、塾に通ってもあまり身が入りませんでした。通わせてくれた両親には申し訳ないのですが(笑)。浪人時代は受け身では無く、どの予備校に通うかについても主体的に選ぼうと考え、当時いくつかあった東大受験対策模試の中で、周囲の評価が高かった「東大即応オープン」を実施していた河合塾に通うことにしました。

河合塾に通ったことで、勉強への取り組み方が劇的に変化

・・河合塾時代の思い出を聞かせてください。

河合塾に通ったことによって、私の人生観、ものの考え方が変わりました。それまで勉強が大嫌いだったのですが、勉強への取り組み方も劇的に変化しました。

・・勉強への取り組み方の変化とは、具体的にどういうことですか。

高校までの私は、アリバイ的に板書をそのまま書き写していただけで、ノートもまともにとっていませんでした。それが河合塾に入ってから、知識を身につけるために必要だからノートをとるという姿勢に変わりました。ノートだけでなく、地理では授業で教わったことを、自宅に帰ってから地図帳に書き込むようにしていました。そうすることで、苦手だった地理が好きになっていきました。自発的にやっている勉強ですから、知識がどんどん吸収されていく実感がありました。現在でも、当時のノートや地図帳は大切に保管してあり、出張に行くときは地図帳を見返しています。普段はなぐり書きで、他の人には判読できないような字を書いたりするのですが、河合塾時代の1年間のノートだけは丁寧に書くように心がけていました。これを妻に見せると「こんなにきれいな字が書けるのね」と驚かれるくらいです(笑)。

・・印象に残っている授業はありますか。

数学の授業が印象に残っています。単なる受験のためだけの数学ではなく、学問としての数学のおもしろさが伝わる授業でした。それまでバラバラに点在していた知識が、線としてつながっていく感覚があり、数学の体系が理解できた気がします。

また、河合塾には実社会の経験が豊富な講師が多く、社会の動きと関連づけて解説されることがよくあり、とても勉強になりました。学問研究を続けている方もたくさんいました。たとえば、地理の授業では、ご自身がアフリカでフィールドワークをされた経験を踏まえた話が刺激的でした。そうした授業を通して、実社会や学問研究の一端に触れたことが、自分の将来像を考えるきっかけにもなりました。

・・先ほど、自分の意思で志望大学・学部をもう一度選び直したかったということでしたが、志望校はどのようにして決められたのですか。

河合塾の化学の授業で「MOLECULAR BIOLOGY OF THE CELL」という本が紹介されたことがあります。細胞生物学のバイブルのような本で、かなり分厚いものだったのですが、書店で購入して読みました。ちょうど遺伝子の世界が解明されつつあった頃で、新しい世界の扉が開かれようとしていることにワクワクしました。まだ解明されない多くの謎について、興味深い含意と可能性を探って書かれた書籍にのめり込むと同時に、それまで不得意だった化学の授業もとても好きになりました。そのようなきっかけで、理学部の細胞生物学関係の学科に進み将来も研究を続けたいと思うようになり、東京大学理科二類をめざすことにしました。これは私にとっては、大きなターニングポイントでした。それまでの受験においては、先生など自分以外の人々の勧めに従って、敷かれたレールに乗って走っていただけだったのですが、このとき初めて、自分で方向性を決めたという意識を持つことができたのです。

・・そのほか、河合塾に通って良かったと感じていることはありますか。

チューターには本当にお世話になりました。やさしい思いやりのあるチューターで、模試の点数が伸び悩んだときなど、相談するだけで気持ちが軽くなりました。

仲間にも恵まれました。気分転換に一緒に花火大会などを見に行ったことも、いい思い出です。クラスがあまりギスギスした雰囲気でなかったことは、私には合っていたと思います。

実は、最初に入学した大学に籍を置いたままで、河合塾に通っていたので、両親は途中で楽な方向に流れて、大学に戻るのではないかと心配していたかもしれません。けれども、最後まで再受験の決意が揺らぐことはありませんでした。それは、河合塾がこうした温かい雰囲気だったことと、主体的に勉強する楽しさに目覚めさせてくれたおかげだと感謝しています。

新幹線の技術が海を渡る時代になったことに夢を感じてJR東海に入社

・・東京大学時代の思い出をお聞かせください。

周りでは、アルバイトやサークル活動に熱中している学生も多かったのですが、私は大学時代、全身全霊で勉強にもスポーツにも打ち込むことができました。河合塾で全く新しい自分自身を発見し、主体的に何事にも真摯で取り組む姿勢が完全に身についていたからだと思います。

先ほど申し上げたように、入学当初は細胞生物学の学科に進もうと考えていたのですが、次第に純粋自然科学の分野を理論的・実験的に探求するのではなく、社会と直接的に関わっていくことのできる分野を学びたいという気持ちが強くなり、産業全般の多様な分野が学べる工学部産業機械工学科に進みました。学部では、車両工学の研究室に入り、超電導リニアのサスペンションを研究テーマに選びました。さらに、大学院では、工学とマネジメントの融合分野に興味が移り、自動車産業の技術開発におけるメーカーとサプライヤーの連携のあり方について研究しました。

・・大学院修了後の経歴を紹介してください。

国家公務員Ⅰ種試験にも合格していましたし、そのほかにもいくつかの会社から内定をもらっていたので、就職先には本当に悩みました。JR東海を選んだのは、東京~名古屋~大阪という日本の大動脈を結ぶ東海道新幹線を運営していて、人々のためになる公共性の高い仕事ができると考えたからです。中央新幹線プロジェクトなど国家的な視点で物事を考えることが求められるスケールの大きな仕事にも魅力を感じていましたし、私が就職活動を考えていたのは、台湾新幹線の(技術)支援が決まった頃で、新幹線の技術がいよいよ海を渡る時代になったことにも夢を感じました。

入社後は、車掌、駅係員、新幹線運転士など、現場を経験した後、新幹線総合指令所、人事部を経て、2年間、ハーバード大学の大学院に留学しました。それまでとはまったく畑違いの分野を学ぶことで、自分の中に別の新しい軸を持ちたいと思い、同大学院では行政学と都市計画を学びました。帰国後は、列車のダイヤを策定する輸送計画部門、さらには新幹線の運転士・車掌などを教育・指導する管理職を経て、現在は総合企画本部国際部に勤務しています。日本が誇る東海道新幹線の安全性、信頼性への世界の関心は非常に高く、海外の要人や政府関係者などにその技術や運営方法などをご紹介するのが主な業務です。

保護者には子どもの自主性、主体性が育つまで待つ姿勢も大切

・・これまでの経歴の中で、河合塾で学んだことが役立っていると感じていらっしゃることはありますか。

私は、河合塾で自分が変わったという実感があります。その経験から、人は何かきっかけがあれば変わることかできると確信しており、管理職になって以降、うまく仕事が進められない部下に対して、すぐにあきらめて見放したりせずに、親身に向き合ってサポートするように努めています。河合塾で、講師やチューターにサポートしてもらったことによって、自分が変われたという思いがあるから、そうした姿勢が自然と身についた気がします。

・・後輩たちに向けて、アドバイスをお願いします。

今、受験勉強で取り組んでいることに対して、これがわかることに何の意味があるのかと感じる瞬間があるかもしれません。けれども、大学入学後、あるいは社会に出てから、必ず意味が見出せるときがやってきます。それは知識だけでなく、受験勉強のプロセスについても同じくです。今は点でしかない事が、やがて線としてつながって、さらに面になるときがきます。真摯に誠意をもって取り組めば道は必ずひらけます!それを信じて、日々の勉強に一生懸命取り組んでほしいと願っています。

・・最後に、保護者へのメッセージをお願いします。

私自身、小さいころから何不自由無く塾に通わせてくれた両親には本当に感謝しています。一方で主体性が無いのに塾通いしても、結局は怠けてしまうのも事実です。私には幼い二人の子どもがいますが、本人から塾に行きたいと明確に申し出がない限り、河合塾のインタビューで言うのも何ですが(笑)、塾通いを強制しないつもりでいます。主体性が育つにもきっかけが必要です。私の場合は河合塾での化学の授業ですが、ひとそれぞれなのでしょう。保護者には、自主性、主体性が育つきかっけを沢山与えつつ、じっくりそれが成熟まで待つ姿勢が必要なのではないでしょうか。

Profile

小川 陽久(おがわ はるひさ)

小川 陽久(Haruhisa Ogawa)

1975年生。高校卒業後、河合塾横浜校大学受験科での1年を経て、翌95年東京大学理科二類入学。工学部卒業後、東京大学大学院工学系研究科修了。2001年JR東海入社。社内海外留学制度を利用し、Harvard University, Kennedy School of Government, MPP/UP 修了。趣味はマラソン。

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