「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.83 (2015年3月5日公開)
- 会社員(その他)
- 大学受験科
分からないことへの不安を払拭するために、戦略を立てストイックに頑張った経験がつねに勉強を求められる現職にも活きています。
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三井不動産レジデンシャル株式会社
契約コンサルティング部森田 竜平さん
- 出身コース
- 大学受験科
縦横無尽に解説が展開される授業で、英語の成績が大幅にアップ
・・河合塾に通うようになったきっかけからお聞かせください。
高校3年生のときに受験した大学はすべて不合格でした。3年間、野球部に所属していましたが、それは言い訳にはなりません。夏の大会が終わってから猛勉強すればよかったはずだからです。高校生のときから、いちおう地元の予備校には通っていたのですが、自習室にカバンを置いて、高校の友人たちと遊びに出かけてしまうような状態で(笑)、真剣さが足りなかった気がします。
そこで、高校卒業後、河合塾池袋校に通うことにしました。河合塾を選んだのは、自宅の川越から通いやすかったことと、高校時代に全統模試を受けていて、馴染みを感じていたからです。
・・印象に残っている授業はありますか。
高校時代、私は日本史が得意でした。勉強の成果がすぐに成績に直結するので、楽しく勉強できたからです。結局、つい日本史の勉強ばかりしてしまい、その分、英語が苦手なままだったことが、不合格になった最大の要因でした。河合塾では入学時にサクセスクリニック(学力診断テスト)が行われ、習熟度別のクラスが編成されます。このテストの成績で、早慶上智文系コースの標準クラスとなり、英語は基礎を一から学びなおせたのがよかったと思います。高校生のときは、基礎が備わっていないのに、過去問ばかり解いて、ほとんどお手上げの状態でした。河合塾で原点から再スタートして、基礎を固めることによって、少しずつ難しい長文読解問題にも対応できるようになっていきました。
英語の授業でよく覚えているのは、講師だけでなくドストエフスキーの研究もされている英語の先生に出会えたことです。先生の解説は、目の前の与えられた文章を詳細に読解するだけでなく、時代背景から言葉の語源まで幅広く展開されていきます。それによって知的好奇心が刺激され、苦手だった英語の勉強が楽しくなっていきました。入試本番を迎える頃には、模試の英語の偏差値は70近くになり、得意な日本史に匹敵、あるいは超えるほどの成績を収められるようになりました。
チューターや自習室の受付職員からの一言が励みに
・・河合塾時代の学びで、自分なりに心がけたことはありますか。
河合塾の講師の方は皆さん、熱意にあふれ、丁寧に教えてくださいました。けれども、授業で習ったことをマスターするだけで合格できるほど、大学入試は甘いものではありません。授業で学んだことをベースにして、自分なりに深める主体的な学びが不可欠なのです。私は、高校時代、地元の予備校に通いながらも友人たちと遊んでしまったという反省がありましたから、「この1年間は周囲と馴れ合う関係にはならないぞ」と決意していました。そのため、授業が終わったらすぐに自習室にこもって、遅くまで復習を中心に、自分なりの計画を立てて勉強を続けました。
・・自習室の雰囲気はいかがでしたか。
ブースで区切られていますから、集中して勉強することができました。周りも静まり返って真剣に勉強していますから、緊張感に満ちていました。
また、自習室の受付の方々に声をかけられるのが、とてもうれしかったですね。自宅と河合塾を往復するだけの生活を送っている私にとって、数少ないコミュニケーションの機会だったのです。「おつかれさま」といった一言や、何気ないやり取りが貴重で、励みになりました。
・・そのほか、河合塾に通ってよかったと感じていることはありますか。
河合塾では、担任の先生のようなチューターがいて、週1回、「チュートリアル」というホームルームの時間も設けられていて、受験に必要なさまざまな情報を得ることができました。入塾前は予備校とは入試対策に特化した授業を受けるだけの場だと思っていたら、実際には「学校みたい」というのが第一印象でした。それが私にはとても合っていました。実際、チューターにはよく相談に行きました。特に、入試直前、「合格できる手応えが感じられない」という相談に対して、「森田くんが合格しなくて、誰が合格できるの!」と熱い言葉をかけられたことを記憶しています。今振り返ると、チューターに相談に行くときは、どちらかというと具体的なアドバイスを求めにいくというより、受験とは直接関係のない話や、時には愚痴のような話を聞いて、うなずいてもらえることで、安心感や勇気を得ていたのです。チューターの存在は、1年間を乗り切るうえで大きく、何度も救われたという思いが強いですね。とても素晴らしい制度だと思います。実は、その後、私の弟も同じチューターにお世話になり、不思議な縁を感じています。
社会の中で自分を表現したいと考えて不動産業界を選択
・・早稲田大学政治経済学部経済学科を志望した理由は何ですか。
早稲田大学に憧れの気持ちを抱いており、ほとんどの学部を受験しました。幸い3つの学部に合格することができ、その中から政治経済学部経済学科を選択しました。過去問との相性がいいと感じたことも、早稲田大学を受験した理由の1つです。
・・大学時代に力を入れたことはありますか。
甲子園で活躍した斎藤佑樹くんと入学年度が同じで、「ハンカチ王子」ブームになっていました。おかげで早稲田大学の野球部がとても強い時期に4年間を過ごし、応援にも熱が入りましたね。私自身は野球サークルに入りました。野球サークルにも全国大会があり、早稲田大学からは2チームが出場できるのですが、学内に約100もの野球サークルがあり、そこで勝ち残らなければなりません。4年生時にその2チームに入ることができ、全国大会に進んだことはいい思い出になっています。
また、1、2年生の時に受けた統計学の授業は、現在の仕事にも役立っています。その後、福祉経済学のゼミに入り、排出権取引などに興味を持ったことから、環境をテーマにした卒論を仕上げました。
・・不動産業界に進もうと思われた理由は何ですか。
社会の中で自分を表現できる仕事につきたいと考えていました。どの業界でもそれは可能でしょうが、分かりやすく表現できる業界として、マスコミと不動産を中心に就職活動を行いました。不動産業界には、人を動かし、街をつくるところに魅力を感じたのです。
・・大学卒業後の経歴を紹介してください。
三井不動産レジデンシャル株式会社に入社し、4年間、契約コンサルティング部に所属しています。お客様が物件を購入した後のサポートが主な業務です。たとえば、できるだけ有利な条件で融資が受けられるように銀行を斡旋するほか、契約書のチェックや、登記手続のアドバイスなども行っています。
・・現在の仕事に、河合塾で学んだことが役立っていると感じられることはありますか。
契約書のチェックや、登記手続のサポートの際には、司法書士と同等の法律知識が要求されます。法律の条文を調べたり、専門書を読みあさったりと、継続的な勉強が欠かせない仕事です。けれども、私はそれを苦痛だと感じたことはありません。河合塾時代の経験が生きているからです。すべての大学に不合格になったという挫折感を味わい、ストイックに頑張ったあの1年間は、常に分からないことへの恐怖、不安を抱えていました。それを払拭するためには、貪欲に知識を吸収するしかありません。しかも、ただ闇雲に勉強を進めたのでは効果は望めませんから、計画的、戦略的な勉強が必要です。そうした勉強への取り組み方、姿勢が身に染みついていることが、現在の仕事にも大いに役立っています。
1年間、毎日英語の長文を読んだことが本番での精神的な支えに
・・最後に、後輩へのアドバイスをお願いします。
河合塾には、熱意あふれる素晴らしい講師、温かく見守ってくれるチューター、質の高いテキスト、信頼できる圧倒的な情報量など、志望校に合格するための環境がすべて整っています。それを受け身ではなく、主体的にフル活用しようという意識を持つことが大切だと思います。
また、ちょっとした験担ぎをするのもお勧めです。私は、4月1日から入試日まで、どんなに体調が悪くても、毎日英語の長文を一文読むことを自らに課していました。「これを怠けずに続けられたら合格できる。その代わり1日でも欠いたら失敗する」という願掛けをしたわけです。「1年間これだけは積み重ねた!」というものがあれば、大きな自信になるはずです。私はそれが入試本番での精神的な支えにもなりました。
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森田 竜平(Ryuhei Morita)
1987年埼玉県生まれ。城北埼玉高等学校卒業後、河合塾池袋校大学受験科に1年在籍。2007年早稲田大学政治経済学部経済学科入学。2011年卒業後、同年、三井不動産レジデンシャル株式会社に入社。契約コンサルティング部に所属し、顧客への物件購入後のサポート業務等を行う。
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