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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.87 (2015年6月29日公開)

  • 会社員(情報・通信)
  • ドルトンスクール
シリコンスタジオ株式会社 技術本部 応用技術部 ソフトウェアエンジニア 今井 星さん

ドルトンスクールでプログラミングの世界に触れた楽しい記憶が<br />現在のソフトウェアエンジニアの<br />仕事につながる、私の「原点」です。

  • シリコンスタジオ株式会社 技術本部 応用技術部
    ソフトウェアエンジニア

    今井 星さん

    出身コース
    ドルトンスクール

先進的なコンピュータ環境でアニメーション制作などを楽しむ

・・ドルトンスクールに通うようになったきっかけから教えてください。

母がドルトンスクールの評判を聞いて、興味を持ち、いろいろと調べた上で、ぜひ私をこの学校で学ばせたいと考えたようです。2才のときからプレイグループに入りました。自宅から1時間15分かけて通っていました。行きは毎日、父が車で送ってくれ、授業を終えた後は、母と一緒に電車3本とバスを乗り継いで帰っていました。

・・ドルトンスクールで印象に残っていることをお聞かせください。

私にとって貴重な経験になったのが「コンピュータ」の授業です。この授業で初歩のプログラミングに触れたことが、現在のソフトウェアエンジニアの仕事につながっており、いわば私の「原点」ともいえます。今振り返ると、当時かなり高価だったはずのアップルのPCが備えられており、先進的な学習環境だったと感じます。

・・「コンピュータ」の授業では、どのようなことを体験したのですか。

「ロゴライター」という幼児教育用のプログラミング言語を用いて、「カメさんの命令、前に100、右に90進む」と打ち込むと、画面上でカメが前に100歩進み、右に90度曲がります。もちろん、原理はまったく分かっていなかったのですが、自分の指示通りの動きが実現する様子が楽しくて、夢中になりました。

白黒のアニメーションも制作しました。今ならマウスで塗りつぶして簡単に作れる部分も、当時は十字キーで移動させて、スペースを押して、ようやく白く塗ることができます。私が制作したのは、トランポリンをジャンプしている人間が、高くジャンプしすぎて宇宙まで飛んでいくというアニメーションです。幼い頃のことなのに、未だに強烈に覚えています。

また、この授業では、初級、中級、上級と、習熟度に応じてステップアップしていけるように課題が設定されていました。子ども心に、より難易度の高い課題にチャレンジしたいという意欲が旺盛でしたね。上級編に「曲を作ってみよう」というものがあり、現在なら楽譜を打ち込めばいいわけですが、当時は音階、音の出るタイミングと長さなどを全部手書きしなければなりません。苦労して指示通りに打ち終えて、Enterキーを押したときに「ドラゴンクエスト3」の曲が流れたときの、あの感動は忘れられません。

クリエイティブな感性や論理的思考力が磨かれた多彩なプログラム

・・「コンピュータ」以外で印象的な授業はありましたか。

「アート」の授業も大好きでした。父が建築家で、幼い頃から、父が設計した建築物を見て育った影響もあったのかもしれませんが、とくに立体造形に興味を持っていました。電動の糸鋸で木を丸く切って手押し車を作ったことや、さまざまな染料を水面で混ざり合わせる「マーブリング」(墨流し)、モール遊びなどを楽しんだことを覚えています。折り紙も棚にたくさん置いてありました。金と銀がお気に入りだったのですが、聖域というか、ちょっと恐れ多くてなかなか使うことができませんでした(笑)。折り紙が趣味のようになり、小学生のときには大人向けの折り紙の本を購入して、かなり凝った作品に挑戦していました。こうした授業を通して、アートの世界に触れ、クリエイティブな感性が養われたことで、新たな創造に挑戦しようという意欲が高まった気がします。

「ラボ」と呼ばれる授業も画期的でした。3~4人の少人数制で、色の配列などの記号や、図形などを素材として、ゲーム感覚で脳の認知機能をトレーニングする授業です。論理的思考力が大いに鍛えられ、それが小学校受験、中学受験、さらには大学受験の際の受験勉強のベースになったと感じています。

多彩なフィールドワークも楽しみにしていました。近くの駒沢公園への遠足、マザー牧場に1泊したことなどをよく覚えています。これらの経験から、遠出することへの抵抗感がなくなっていきました。

・・小学校2年生まで「小学生コース」に通っていたのですね。

ええ。それだけドルトンスクールの学びが楽しかったということです。当時はほとんどの子どもが1つの授業だけ選択していましたが、私は「コンピュータ」と「アート」の2つの授業に参加していました。

自由奔放な雰囲気に憧れて京都大学に入学

・・京都大学理学部物理学科を志望した理由を教えてください。

高校3年時は、前期で東京大学、後期で京都大学を受験したのですが、京都大学吉田キャンパスの門をくぐったときに、衝撃を受けました。鳥山明さんの名作『Dr.スランプ』の「スッパマン」のハリボテが出迎えてくれたからです。しかも、「スッパマン」の前には梅干しが入ったビンまで置かれています(笑)。京都大学ではこうした趣向を凝らしたハリボテで受験生を迎えるのが伝統文化になっていることを知り、こんな自由奔放な雰囲気の大学で学びたいという気持ちが強くなっていったのです。残念ながら2年連続で不合格になり、いったん早稲田大学に入学したのですが、京都大学への憧れは続き、再受験を決意しました。

もっとも、1年間、早稲田大学で過ごしたことはけっして遠回りではなく、大きな財産になっています。ドルトンスクールでプログラミングの初歩に触れたことや、高校生のときに「ファイナルファンタジー8」のヒロインの服がひらひらと本物のように舞うCGを見たことから、コンピュータの勉強がしたいと思うようになり、早稲田大学ではプログラミングの基礎を徹底的に習得しました。それが現在の仕事にも大いに役立っているからです。けれども、その学びの中で、CG用の物理シミュレーションがやりたいという具体的な目標が生まれました。大学で学ぶ中でコンピュータは自分で勉強できますが、物理学の体系的な学びは独学では無理と感じ、京都大学の物理学科をめざすことを決意しました。

・・京都大学時代の思い出をお聞かせください。

物理学を学びたいという明確な目的意識がありましたから、授業は真面目に出席していましたが、周囲は私よりも頭脳明晰な学生ばかりで、常に危機感を抱いていました。しかも、他の大学なら休講だと喜ぶ学生も少なくないと思いますが、物理学科の優秀な学生たちは、休講になっても、自習室で勉強したり、空き教室で自主ゼミをしたりしています。

・・自主ゼミではどんな勉強をするのですか。

きわめて難しいテキストを、章ごとに分担して読み込んで、皆の前で発表するのが一般的なスタイルですが、一方的に説明して終わりではなく、かなり突っ込んだ質問がされます。私は工学系のタイプで、基礎学問がアプリケーションに生かされて初めて面白いと感じるのですが、他の多くの学生は真理を追究するために物理学科に入学しており、厳密性を要求します。結論が分かればいいというわけではなく、プロセスに少しでも曖昧なところがあると、納得するまで重箱の隅をつつくような質問が続きます。その結果、1回の自主ゼミを終えるのに5~6時間もかかります。発表のときは冷や汗もので、胃が痛くなることもあるほどでした。一方で、私が他の学生にプログラミング言語を教える自主ゼミを開いたこともあり、1回4~5時間で全6回実施し、宿題を出して、添削もしました。

・・コンピュータの勉強も独学で続けられたのですか。

コンピュータは仕事を通して学ぼうと思い、入学後すぐに学内の学術情報メディアセンターでアルバイトを始めました。ネットワークから画像処理、メディアアートまで、さまざまな業務に携わり、実践的なプログラミングスキルが身につきました。医学系の研究用の画像解析プログラムを書く経験もできました。

・・大学院で東京大学に移った理由は何でしょうか。

卒業研究は、量子光学研究室に所属し、レーザーを使って量子の特性を検出する研究に取り組みました。そのまま京都大学大学院の物理学第一教室に進んだのですが、私の研究は、実験装置をセットアップするだけで2年かかりますから、何の成果も生み出せないままに修士課程を修了することになりかねません。このままこの研究を続けてやりがいが感じられるのか、そもそも物理学を学ぼうと考えたきっかけはCG用の物理シミュレーションがやりたかったからではないのかと思い直し、半年後に東京大学大学院情報理工学系研究科コンピュータ科学専攻に転じ、物理モデルを研究することにしました。

世界最先端のミドルウェア開発に携わる仕事にやりがいを感じて

・・シリコンスタジオ株式会社に入社されたのはどのような思いからでしょうか。

東京大学大学院ではCGの研究室に所属していましたから、その知識・技術を生かすには、日本では選択肢が限られています。ゲームまたは映画関連の企業ということになりますが、私は汎用的なシステムを作りたいのであって、特定のゲームや映像作品に関わるプログラムを作りたい、というわけではありませんでした。特に自分のソースコードが特定のゲームのためにしか生かされないことは不本意でした。できるだけさまざまなものに応用できるようなソフトウェアを開発したい、そこに自分の存在価値を見出したいという思いが強くなり、ミドルウェア製品を作っているシリコンスタジオに入社することにしました。

・・入社後のご経歴を紹介してください。

さまざまな光学ミドルウェア開発に携わっています。その1つが「YEBIS(エビス)」というカメラレンズの光学シミュレーション機能を備えた製品です。たとえば、ピント調整によるボケや、レンズフレアと呼ばれる光が暗場所へ漏れる現象など、カメラのレンズで起こるさまざまな現象を、光学的に正確に映像に再現できるので、無機的なCG映像に、質感、臨場感などの命を吹き込むことができます。「ドラゴンボールゼノバース」「Bloodborne」などの人気ゲームにも採用していただいています。

また、次世代レンダリングエンジン「Mizuchi(ミズチ)」の開発にも立ち上げから携わりました。「Mizuchi」は映像の表現力を飛躍的に高められるもので、既存のゲームエンジンに取り込むことで、より実写に近い映像を低コストで生み出すことができます。これを使った動画をWEB上で発表した際は、最初の3日間で約27万回もの再生を記録するなど、世界的に注目していただけました。「この分野では弊社が世界の最先端を走っている」という自負があり、プロジェクトのキーパーソン的な役割を担えていることに、やりがいを感じています。

  • 画像提供:シリコンスタジオ株式会社

    画像提供:シリコンスタジオ株式会社

  • 画像提供:シリコンスタジオ株式会社

幼児期の教育は、その子どもの一生に関わる大切なもの

・・現在の仕事にドルトンスクールで学んだことが役立っていると感じられることはありますか。

ドルトンスクールの学びは、何か1つの能力に特化して、それだけを高めるものではありません。コンピュータのほか、「アート」の感性、「ラボ」の論理、フィールドワークなど、多彩な体験を通して、総合的な能力を高められたことが、現在の仕事のベースになっています。

また、素晴らしい友人に恵まれたことも貴重な財産になっています。現在でも、ドルトンスクール時代の仲間数名と、フェイスブックで連絡を取り合っています。それぞれの業界の第一線で活躍し、早くも頭角をあらわしている友人も多く、刺激を受けています。

・・最後に、ドルトンスクールの後輩たち、およびその保護者へのメッセージをお願いします。

幼児期の教育、とくに3歳までの教育は一生に関わる大切なものだというのが、私の持論です。保護者の中には、いずれ難関大学に入学してほしいと思っていても、そのための勉強は、中学受験、高校受験からで十分に間に合うと考えているケースも多いかもしれません。けれども、それでは手遅れになってしまう可能性もあります。たとえば、小学校5~6年生で、どう頑張って教えても、速度の概念が分からない子どもがいるという話もあります。これは先天的な能力の問題ではなく、幼児期の教育によって大きな差がついているのだと私は思います。ドルトンスクールで、たくさんのフィールドワークを経験するとともに、「ラボ」で論理的な考え方を身につけていれば、抽象的な概念も頭と体の両方で理解できるようになるはずです。子どもを大きく成長させるためには、幼児期の教育に十分に投資することが中学、高校、そして大学受験、ひいては人生に大きな価値を生むと私は確信しています。

Profile

今井 星(Sei Imai)

今井 星(Sei Imai)

1985年東京都生まれ。1987年ドルトンスクール東京校プレイグループ(2才児コース)に入園。幼稚部(現:ファーストプログラム)卒業後も1993年まで週二回の小学生コースに在籍。1991年国立学園小学校入学、1997年筑波大学附属中学校入学。2005年早稲田大学理工学部入学後、再度の受験により2006年4月京都大学理学部入学。同学部卒業後、2010年4月京都大学大学院理学系研究科物理学第一教室入学、同年10月東京大学大学院情報理工学系研究科入学。国立台湾大学留学を経て、2013年3月同研究科卒業。2013年4月シリコンスタジオ株式会社に入社。技術本部応用技術部にて、リアルタイムレンダリングエンジン「Mizuchi(ミズチ)」の開発等を手掛ける。

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