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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.88 (2015年9月15日公開)

  • 会社員(金融・商社)
  • 大学受験科
三菱UFJモルガン・スタンレー証券株式会社 本店金融・公共法人第一部 第一課 課長代理 平山 智基さん

大学入学後も、社会人になってからも<br />高みをめざして学びを継続する姿勢が<br />河合塾で養われました

  • 三菱UFJモルガン・スタンレー証券株式会社 本店金融・公共法人第一部 第一課
    課長代理

    平山 智基さん

    出身コース
    大学受験科

英語の長文を感性ではなく論理的に読解する力が身についた

──河合塾に通うようになったきっかけからお聞かせください。

生後10カ月からスイミングスクールに通い、水泳の英才教育を受け、ジュニアオリンピックにも出場しました。栃木県立大田原高校に入学後も、インターハイ(全国高校総合体育大会)をめざして練習を続けました。その分、勉強はおろそかになってしまい、高校1年次の成績は、約280名の生徒の中で、下から数えて20番目ぐらいと低迷していました。心配した母から河合塾の冬期講習を勧められ、5日間参加したのが河合塾との最初の出会いです。

冬期講習では、英語の授業に感動しました。それまでの私は、英語の長文を感性だけで読もうとしていました。それでは得点は伸びません。河合塾の授業では、長文の構造が理論的に解説されます。この読解方法を身につければ、必ず得点力がアップするはずだと確信し、その後の夏期講習、冬期講習にも参加しました。

実際、高校2年次以降は、上位3分の1に入るぐらいに成績は上昇したのですが、残念ながら、高校卒業時に受験した大学はすべて不合格でした。これは、基礎が固まっていないままに、難関大学で出題されるような応用問題ばかりを解く勉強をしていたことが原因だったと思っています。

とはいえ、河合塾の指導は信頼していましたから、高校卒業後、池袋校の大学受験科の「ハイレベル私立大文系コース」で学ぶことにしました。

──印象に残っている授業はありますか。

英語の授業は、きわめて論理的で、読解力を高めることができました。志望校の中に、かなり長めの英作文を出題する大学があったので相談に行くと、添削指導もしてくださいました。

現代文の講師から「目標とする大学があるから、予備校に通っているはずだ。安易に妥協して受験校のランクを下げてはいけない」と、気合を入れられたこともよく覚えています。その言葉によって、最後まで高い目標に向かって頑張ろうというモチベーションを維持することができました。また、生徒の目線に立った授業も印象に残っています。質問に行くと、私がきちんと理解できるまで、粘り強く丁寧に教えてくださったことに感謝しています。

──大学受験科に入ってから、成績は順調に伸びたのですか。

とくに英語は、高校時代は模試の偏差値は40前後だったのですが、1年間で60近くにまでアップしました。それ以上に伸びたのが日本史で、偏差値70近くになった模試もありました。

──日本史はどのような授業だったのですか。

それまでの私は、時代ごとに重要用語を覚える勉強方法をとっていました。河合塾の授業では、政治、経済、文化など、分野ごとに取り上げ、黒板いっぱいを使って、重要な出来事が記述されていきます。頭の中で分野ごとの流れがすっきりと整理され、理解が深まりました。

寮生活で仲間たちと将来の夢を語り合ったことがいい思い出に

──そのほか、河合塾時代の思い出を聞かせてください。

チューターの方々には本当にお世話になりました。模試の合否判定が芳しくなく、悩んでいたとき、「絶対に大丈夫だから」と、励ましていただき、勇気をもらいました。私たち受験生の背中を押してくれる、ありがたい存在でした。

1年間、河合塾の寮で過ごしたことも、いい思い出になっています。10代の一時期、同じ目標に向かって、ときには悩みを共有し、ときには語り明かした日々は、何ものにも代えがたい貴重な経験だったと思います。周囲が必死に勉強している姿に感化されて、頑張ろうという意欲を維持することもできました。現在でも、結婚式に招待し合う仲間がたくさんいます。ともすれば受験勉強で視野が狭くなりがちな時期に、仲間と将来の夢について語ることができたのも有意義でした。宇宙工学を研究したいといっていた友人は、三菱重工のロケット部門に勤務していますし、ミュージシャン志望だった友人は、女子十二楽坊の曲を作り、私の結婚式で歌を披露してくれました。それぞれの夢を実現した仲間たちを誇りに思っています。

3つの資格を取得するとともに、接客業のアルバイトも体験

──大学生活で力を入れたことは何ですか。

高校を卒業して1年後、専修大学法学部に入学しました。第一志望ではなかったのですが、悲観していても仕方がありません。大学に入学して学びが終わるわけではなく、入学後も勉強を継続することで、ステップアップを図ろうと、気持ちを切り換えました。そこで、ダブルスクールで資格学校にも通い、簿記2級、宅建、ファイナンシャルプランナー(AFP)の3つの資格を取得しました。

その学校の講師だった不動産会社の社長から、「ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けないのと同じように、人も人と接することでしか成長できない。社会人になったときに備えて、学生時代に接客業のアルバイトを経験した方がいい」とアドバイスされました。帝国ホテルでの配膳や、ニッポンレンタカーの受付・ガソリン販売などのアルバイトを経験しました。ニッポンレンタカーでは、アルバイトにも関わらず、トップクラスのガソリン販売実績をあげて、破格のアルバイト料金を得ていました。それらの経験によって、お客様とコミュニケーションを図って、セールスすることのおもしろさに目覚めていきました。

──水泳も続けていたのですか。

体育会の水泳部に所属しました。インカレ(日本学生選手権)の標準タイムはクリアできなかったのですが、関東学生選手権のリレー種目で決勝に進出しました。また、3・4年次には主将を務めました。当時は2部で、1部昇格をめざして頑張っていました。けれども、部員は大学で練習するメンバーと、所属するクラブチームで練習するメンバーが混在していました。それでは一体感が醸成されず、チームとして強くなれません。それを改善するために、クラブチームのコーチを説得して回り、原則として練習は大学で行うスタイルに変えました。すぐに結果に直結したわけではありませんが、数年後に1部昇格を果たしています。

厳しい状況の業界だからこそ、学べることも多い

──証券会社を志望した理由を教えてください。

私は、仕事も学びの場だと考えていました。就職活動をしていた時期は、サブプライムローン問題が原因で、大手証券会社の「ベアー・スターンズ」が救済買収され、入社したときにリーマンショックに見舞われるなど、当時の証券業界は逆風にさらされていました。けれども、厳しい時代だからこそ、学べることも多いのではないかと考えたのです。

──これまで携わった主な業務を紹介してください。

最初は広島支店に配属され、資産運用課で、個人や中小企業向けのリテール営業を担当しました。個人宅や、ビル内のすべての会社を回り、「1日10枚以上の名刺をもらってくるように」との指示をこなそうとするのですが、リーマンショック後の厳しさは、想定していた以上でした。3年半後、現在の本店金融・公共法人第一部に移り、学校法人、財団法人、宗教法人、独立行政法人、官公庁などを対象とした債権営業に携わっています。これまでに2回、社長表彰を受けていますが、大学時代の接客のアルバイトで身につけたコミュニケーション力が役立っている気がします。

また、社会人になってからも、自分なりの学びを継続しており、現在は税務関連の勉強をしています。

受験生時代よりも、大学入学後以降の方が勉強したという自信がある

──河合塾で学んだことが現在に生きていると感じていらっしゃることはありますか。

大学入学後も、社会人になってからも、常に高みをめざして勉強を続ける姿勢は、河合塾で養われたものだと確信しています。私は、受験生時代よりも、大学入学後以降の方が勉強したという自信があります。その気持ちさえ失わなければ、持続的な成長が可能だと考えています。

また、先ほど申し上げたように、寮生活の仲間の存在も大きな財産になっています。しかも、寮には、多様な学部の志望者がいました。理系学部に進学した友人もたくさんできました。皆、それぞれの業界で活躍しており、ときどき集まって、異業種の話を聞いて刺激を受けています。

──最後に、後輩たちへのメッセージをお願いします。

難関の大学ほど、優秀な学生が集まっています。自分の力を高めるには、優れた友人との出会いが不可欠ですから、より難関の大学をめざして頑張ってほしいと思います。けれども、偏差値だけがすべてではありません。とくに文系の受験生は大学の名前だけで志望校を決めている面があるような気がします。自分が将来、どんな職業に就きたいのか、しっかり考えたうえで、実際にキャンパスに足を運んで、学ぶ内容も十分に調べて、本当に自分に適した大学であるのか、見きわめることが大切になるでしょう。10代の皆さんにとって、意外にそれは難しいことかもしれませんが、そんなときは、チューターに相談してみるのも有効だと思います。

Profile

平山 智基(Tomonori Hirayama)

平山 智基(Tomonori Hirayama)

栃木県生まれ。栃木県立大田原高校卒業後、河合塾池袋校大学受験科に1年在籍。2005年、専修大学法学部に入学。2009年三菱UFJモルガン・スタンレー証券株式会社に入社。広島支店の資産運用課でリテール営業を行った後、本店金融・公共法人第一部に配属となり、債権営業に携わる。

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