「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.89 (2015年11月公開)
- スポーツ関連
- 専門学校トライデント
トレーナーになりたいという明確な目標のもと、貪欲に知識・技術を吸収する日々を過ごし、「プロスポーツチーム・トレーナー」の夢を実現。
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湘南ベルマーレフットサルクラブ
トレーナー府川 俊一朗さん
- 出身コース
- トライデントスポーツ医療看護専門学校
お世話になったトレーナーの姿に憧れの気持ちを抱いて
・・トライデントスポーツ医療看護専門学校に入学したきっかけからお聞かせください。
東邦高校でサッカー部に所属していました。ポジションはゴールキーパーです。けれども、身長がそれほど高いわけでもなく、最後までレギュラーにはなれず、選手としては限界を感じていました。とはいえ、将来、何らかの形でスポーツに関わる仕事がしたいという思いは抱いていました。当時の東邦高校には、専属のトレーナーはいなかったのですが、全国大会に出場する際は、外部のトレーナーに帯同していただき、お世話になっていました。そのトレーナーがテーピングや治療をする姿に憧れの気持ちが生まれたのです。『週刊少年マガジン』に連載されていた『Jドリーム』(塀内夏子著)を愛読しており、その漫画に登場する小林トレーナーが治療する際に眼鏡がピカッと光るのも、かっこいいと感じていました(笑)。
そこで、トレーナーを養成する大学の体育学部や、専門学校などをいろいろと調べました。腰を痛めて毎日通っていた整骨院の先生からは、柔道整復師をめざす方法もあると勧められましたが、私としては、一般的な治療に携わるのではなく、もう少しスポーツに関わりの深い仕事がしたいという思いがありました。そんなとき、サッカー部の後輩のお父さんで、名古屋グランパスのスタッフをされている方から、サッカー日本代表のトレーナーの三木裕昭先生が、トライデントスポーツ医療看護専門学校で講師を務めていることを聞きました。サッカー部出身の私にとって、最適なトレーナー技術を教わることができるのではないかという期待感が生まれ、入学することにしました。
第一線で活躍するカリスマ的な講師による刺激的な授業
・・入学した学科は何ですか。
プロフェッショナルトレーナー学科のアスレティックトレーナー専攻です。ただし、卒業後、はり・きゅう学科に再入学しましたから、トータルで6年間、トライデントスポーツ医療看護専門学校に通ったことになります。
・・トライデントスポーツ医療看護専門学校時代の思い出を教えてください。
高校までサッカー一筋で、正直なところ、勉強はおろそかになっていました。けれども、トライデントスポーツ医療看護専門学校では真剣に勉強し、貪欲に知識・技術を吸収していきました。将来、トレーナーとして生計を立てたいという明確な目標があったからです。問題は、やる気は十分にもかかわらず、それまでほとんど勉強していないので、効率的な勉強のやり方が分からなかったことです(笑)。人より時間がかかってもいいからと割り切って、ひたすら努力を続けました。そして、現場で実践して、疑問に感じたことを、テキストに立ち返って見直すという勉強を積み重ねました。頭よりも体で覚えた感じです(笑)。
・・印象に残っている先生はいますか。
在学当時、先ほどの三木先生のほか、大リーグ・デトロイトタイガースの元トレーナーで、野茂英雄選手も担当された早川和浩先生など、第一線で活躍されている、いわばカリスマ的な先生に教わることができました。私が目標としているスポーツ現場で豊富な経験を持つ先生方ばかりだったのです。そうした先生方の実体験を踏まえた話はとても刺激的でした。自分も将来、同じような世界に進みたいという思いがさらに強くなりました。
・・在学中から、現場でトレーナー活動を経験されているのですね。
2年次から、母校の東邦高校サッカー部に学生トレーナーとしてトレーナー活動しました。3年次からは、名古屋グランパスの下部組織「ユースアカデミー」で、週1回、トレーナーのアシスタント業務に携わりました。現日本代表の吉田麻也選手などが所属していたアカデミーです。現場のトレーナーから実践的な指導を受けることができ、とても勉強になりました。
医療系の資格取得の必要性を感じて、はり・きゅう学科に再入学
・・アスレティックトレーナー専攻を卒業後、はり・きゅう学科に再入学した理由は何ですか。
現場でトレーナー活動をする中で、より高度な治療をするためには、医療系の資格も取得する必要があると感じたからです。ちょうどその頃、トライデントスポーツ医療看護専門学校に、はり・きゅう学科が新設されることを知り、1期生として入学しました。
・・はり・きゅう学科時代の思い出もお聞かせください。
はり・きゅう学科にも、現場経験豊富な先生が多く、実践的なテクニックを教えていただきました。また、アスレティックトレーナー専攻でも、解剖学、栄養学、トレーニング理論、アスレティックリハビリテーションなど、人体の仕組みや健康に関する知識を学ぶ講義があり、はり・きゅう学科のカリキュラムと重複する部分もあったのですが、はり・きゅう学科は国家試験に対応しているため、より細かな知識まで教わりました。それによって、技術、知識両面で引き出しが増えた気がします。卒業時には希望通り、はり師・きゅう師の資格も取得しました。
一方で、現場のトレーナー活動も続けていました。授業が終わった後、整骨院でアルバイトしていたほか、週末は東邦高校でトレーナーを務めました。
・・そのほか、トライデントスポーツ医療看護専門学校に通ってよかったと感じていることはありますか。
担任の先生には本当にお世話になりました。面談でさまざまな相談に応じて、ときには「改めて足元を見直すように」と、叱咤激励してくださいました。私のことを最も理解してくださっていたのが担任の先生であり、校内で「頑張っているな」と声をかけていただいたことに感謝しています。単に専門の知識・技術を教わるだけの場ではなく、人間教育を受けられたと感じています。
コミュニケーションを図り、信頼関係を築くことが大切
・・卒業後の経歴を紹介してください。
はり・きゅう学科卒業と同時に、フットサルチームの名古屋オーシャンズと、プロのトレーナー契約を結びました。新卒でいきなりプロスポーツのチームと契約するのはめずらしいケースだと思いますが、三木先生からの紹介があったことと、学生時代から現場でトレーナー経験を積んでいたことが評価されたのだと考えています。
6年目に、湘南ベルマーレフットサルクラブのチーフトレーナーであり、現在勤務している「あじさいちりょう院・整骨院」の代表から勧誘され、湘南ベルマーレのフットサルチームに移籍。遠征などにも帯同しつつ、空いた時間は同院で治療を行っています。
・・現在の仕事の中で心がけていることはありますか。
常に現状に満足せず、技術面でも人間としても向上心を持ち続けることですね。それから、信頼関係を築かなければいい仕事はできませんから、コミュニケーションを大切にしています。プロスポーツの世界は結果がすべてであり、選手によっては、本当は痛みがあるのに、大事な試合の前だからと、それを隠そうとするケースも見られます。それによって大きなケガにつながる可能性もあります。日頃からコミュニケーションを図って、相手をよく知ることで、それを未然に防ぐこともできると考えています。
海外のスポーツ現場でチャレンジすることが今後の目標
・・今後の目標を教えてください。
海外のスポーツ現場でチャレンジしてみたいという思いがあります。実は、名古屋オーシャンズで一緒に働いていた外国人の理学療法士の紹介で、約1ヶ月間、ポルトガルの「SLベンフィカ」という地域総合型スポーツクラブでトレーナー留学したことがあります。「SLベンフィカ」が所有するクリニックや、フットサル、ホッケー、バスケットボールなどの選手を担当しました。名古屋オーシャンズにブラジル人選手が多かったことから、独学で覚えたポルトガル語も役立ちました。この経験を通して、自分のキャパシティが広がったことを実感し、もっと海外で仕事をしてみたいという意欲が生まれたのです。
・・これまでの経歴の中で、トライデントスポーツ医療看護専門学校で学んだことが役立っていると感じていることはありますか。
トライデントスポーツ医療看護専門学校は、学生がやる気を見せれば、それにきちんと応えてくれる学校です。現場を経験したいという私を「まだ早い」と押さえつけるのではなく、先生が自身のトレーナー活動の場に連れて行ってくださいました。東邦高校や名古屋グランパスの下部組織でトレーナーになるときも、背中を押してもらえました。学生時代から現場に触れることで、自分に不足しているものが分かり、何をもっと勉強しなければならないのか、次の学びが明確になったことが大きかったと思います。
・・最後に、後輩たちへのメッセージをお願いします。
私にとってのトライデントスポーツ医療看護専門学校の6年間は、何も考えずに突っ走った日々でした。それは、入学前からスポーツ関連のトレーナーになりたいという目標が明確だったからで、ぶれずに頑張り抜くことができました。皆さんにもぜひ、自分の将来像を具体的に描いて、それを実現するための学びを持続させてほしいと願っています。
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府川 俊一朗(Shunichiro Fukawa)
1982年愛知県生まれ。東邦高等学校卒業後、2002年河合塾学園トライデント健康科学専門学校スポーツ科学学科(現トライデントスポーツ医療看護専門学校プロフェッショナルトレーナー学科)のアスレティックトレーナー専攻に入学。3年間同専攻に在籍ののち、2004年同校はり・きゅう学科に再入学。2007年に卒業後、Fリーグ名古屋オーシャンズとプロのトレーナーとして契約。5年後、2012年湘南ベルマーレのフットサルチームに移籍。フルタイムでチーム帯同しつつ、空いた時間は「あじさいちりょう院・整骨院」で治療を行っている。現在に至る。
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