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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.100 (2018年3月30日公開)

  • 医師・医療関連
  • 小学グリーンコース
  • 高校グリーンコース
  • ドルトンスクール
国立がん研究センター がん登録センター長 医師 東 尚弘さん

受験だけにとらわれず<br />学問の面白さを伝えようという<br />雰囲気が感じられました。<br />

  • 国立がん研究センター 
    がん登録センター長 医師

    東 尚弘さん

    出身コース
    小学グリーンコース
    高校グリーンコース
    ドルトンスクール

問題に多様な角度からアプローチする力が鍛えられた

・・・河合塾に通った時期を教えてください。

 河合塾との最初の出会いは、小学校4年生のときに通ったドルトンスクールです。まだ覚えていますが、電池にどの2つの線をつなぐと電球が灯るかを実際にやってみて、そこから箱の中に隠されている配線を当てる実験です。最初のうちは簡単な問題ばかりで、当たり前のような配線でしたが、徐々に難しくなっていき、最後の問題はどうしても解けず、文字通り箱をあけて、中を見た時「あ、そうか」と感動したのを覚えています。自分が思いつかなかった考え方に出会い、「なるほど」と思った時の感動は、この時が覚えている最初でした。
 5年生の夏休み頃からは、中学受験のために千種校の小学グリーンコースに入りました。とはいえ、塾は週1回、当時、音に聞こえた東京・大阪の受験事情と異なり勉強に追い立てられる雰囲気はなく、楽しみながら勉強していました。父の転勤で関西に引っ越すことになったのですが、大阪教育大学附属池田中学校に合格し、入学しました。
 高校へはそのまま進学、高校3年生では大阪校の高校グリーンコースに通いました。最も印象に残っているのが数学の授業です。同じ問題でもさまざまな解法が示され、その中には、私がまったく思いつかない、意表を突くような解法も含まれていました。受験勉強自体は決して楽なものではありませんでしたが、小学生時代の感動を思い出してか、この発見があった瞬間は楽しかったです。特に当時意識したわけではなかったですが、後に出会うK会にしても、河合塾のどこかに、勉強の原動力にこのような「感動」を与えることが大事、という意識があるのかもしれないと思います。

祖母の急死が医学部志望の決め手に

・・・医学部をめざしたきっかけは何ですか。

 親戚に医師がいたこともあって、もともと医学部は選択肢の1つでした。決め手になったのは、高校2年生の3月に、祖母が心筋梗塞で急死したことです。胸が痛いと訴える祖母を病院に連れて行ったのが私で、その時には痛みが治まっていたのでタクシーで受診したのですが、院内で心肺停止し、そのまま息を引き取りました。「救急車で連れて行かなかったのが悪かったではないか」と自分を責め「大切な人を守るためには自分に知識がないといけない」、そんな思いがつのったです。
 東京大学理科三類に入学しましたが、医学部に進むまでの2年間は、医学に関係ない分野ばかり勉強していました。とくに興味を持ったのが法学で、国際法のゼミも受講しました。法学も何気ない日常の出来事についても理論を整理して万人が納得できるようにしていきます。そこでも「なるほど、そう考えるのか」という感動があったと思います。

ベストの医療を届けることを目標に、ヘルスサービスの専門家として活動

・・・これまでのご経歴を紹介してください。

東 尚弘先生

 医学部志望の動機が患者を助けることにあったので、臨床医になることを疑いもしませんでした。卒業後すぐに、厳しい臨床研修で有名だった聖路加国際病院で研修、その時に黎明期のEBM(evidence based medicine)に出会いました。EBMは直訳すると「科学的根拠に基づく医療」ですが、一言付け加えるならば、人を対象とした「根拠」を重視します。体内のしくみは複雑で、「理論的にこうなるはずだ」と思われるものが通用しないことも少なくありません。一例をあげると、心臓病の人に、心臓を強く打たせる薬を投与するのがいいと考えがちかもしれませんが、実は薬や使い方によっては死亡率が上昇したり、逆に心臓の動きを弱める薬を使った方が寿命は伸びる、といったことがあります。新しい考え方であるEBMに興味を持ち、この分野の先進国である米カリフォルニア大学に留学しました。ところが、ちょっとした誤解から、私が入ったのはヘルスサービス研究のプログラムでした(笑)。ヘルスサービス研究とは、どうすれば最善の医療を患者に届けることができるかを様々な手法を使って研究する社会医学の一分野です。その背景には、米国の医学は世界一であり、日本を含む世界中から数多くの医師が米国に留学するにもかかわらず、米国人の平均寿命が短いことは有名です。ベストな医学があっても、それが国民に届いていない。その問題意識は米国では広く共有されてこのような分野が発展しました。祖母が亡くなった際に、社会的要因も多分にあると感じていたことからも、そのまま学びを進めることにしてヘルスサービスの博士課程を修了しました。帰国後も、ヘルスサービスの専門家としての活動を続け、現在は、国立がん研究センターがん登録センター長として、最善の医療を患者・国民に届けることを最終目標に、正確ながんの統計情報の収集・検証や、専門家が議論する場へのデータの提供などの業務・研究に携わっています。

河合塾は「学問」の楽しさを大切にしていると思う

・・・河合塾で学んだことが、その後につながっていることはありますか。

河合塾には、受験予備校でありながら、受験だけにとらわれず、学問の楽しさを伝えようという教育本来の姿を忘れないところがあると思います。私個人については、小学生時代の体験や、高校時代の感動が刻まれているので、今でも新しい考え方に触れるのが楽しいです。医療も制度・政策は様々な考え方をする人を相手にする仕事です。異なる考え方に出会ったときに排除するのではなく、「なるほど」と思って受け入れた上で考えるということが大切ですが、自分の中で新しい意見にあまり抵抗がないのは、もしかしたら河合塾のおかげだったりするかもしれません。
さらに、長女が中学に入学したときに、塾を探していてK会の「学問を楽しもう」というフレーズをホームページで見つけました。現在、彼女は数学の授業を受けていますが、楽しそうに通っています。子どもですから、素朴すぎる面倒な質問をすることもあるでしょうが、K会の先生は、どんな疑問でも、一緒に考えてくださるそうです。これは非常に重要なことです。学問とは、そんなちょっとした疑問から始まり、感動で進歩するものだからです。娘にとって学びのおもしろさに目覚める貴重な機会になっていると感じています。

Profile

東 尚弘(Takahiro Higashi)

東 尚弘(Takahiro Higashi)

1972年岡山県生まれ。大阪教育大学附属高校池田校舎在学中、高校グリーンコースに通う。卒業後、1991年東京大学理科三類に入学。1997年卒業後、聖路加国際病院内科研修。2000年渡米、カリフォルニア大学でヘルスサービス博士の学位を取得。帰国後、京都大学助手。その後、東京大学医学系研究科公衆衛生学准教授に就任。2013年から国立がん研究センターがん対策情報センターでがん医療をよくするための研究とがん対策実務の有機的な融合をめざし尽力している。

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