「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.117(2020年12月1日公開)
- デザイン・アート関連
- 専門学校トライデント
情熱と信念を持って<br />必死になって挑戦する<br />エネルギーとマインドを備えた<br />アーティストをめざし続けたい。
-
デザイナー/アーティスト
MITSUME さん
- 出身コース
- トライデント デザイン専門学校
我流で絵を描いていたため、基礎から学び直せるカリキュラムに魅力を感じて入学
・・・アートに興味を持ったきっかけを教えてください。
小2のとき描いた絵が、コンクールで特別な賞をとりました。勉強もスポーツも得意ではなかったので、絵で存在感を示せることがうれしく、かなり早い時期から、将来は絵の仕事で身を立てたいと、夢見るようになりました。
・・・トライデントを選んだ理由は何ですか。
中高時代は、好きなものを、好きなように描きたいと思い、美術部には所属しませんでした。完全な我流だったわけで、そのままで通用するのか、多少の不安を抱いていました。そこで、さまざまなデザイン系専門学校のカリキュラム内容を調べてみると、トライデントでは、1年次は、デッサンやパソコンスキルなど、デザインの基礎を総合的に習得できるカリキュラムになっていることがわかりました。基礎を一から学び直したいと考えている私に、最適なカリキュラムだと感じました。何よりも、他にないキャラクターデザイン専攻に魅力を感じて入学することにしました。
充実した学習環境をフル活用して、3週間かける課題も、自主的に1週間で終わらせる
・・・印象に残っている授業は何ですか。
1年次の授業は、初めて基礎に触れる私にとって、すべてが新鮮で、やりがいが感じられる授業ばかりでした。そのため、たとえば3週間かけて1つの課題に取り組む授業でも、翌週まで待てずに、自宅で先取りして作業を続け、最初の週のうちに課題を終わらせていました。当然、2~3週目の授業ではやることがなくなるのですが、先生方も融通を利かせて、より発展的な内容に独自に取り組むように促してくださいました。
当時はまだ、自宅にパソコンがない学生も少なくありませんでしたし、私自身も入学するまで全く触ったことのないものでした。トライデントには、多くのハイスペックなパソコンが完備されてたので、私は、授業がない日も通い、そうした学習環境をフルに活用していました。
卒業制作の多様な経験が、自分の個性やアドバンテージに気づく契機に
・・・卒業制作で取り組んだことを教えてください。
2年生のとき、「Maya」という3DCG制作ソフトに出合いました。難解で複雑なソフトなのですが、大好きなゲーム「ファイナルファンタジー」がこのソフトでつくられていると知り、のめり込みました。
卒業制作では、「Maya」で、さまざまなキャラクターがダンスを踊るムービーを制作しました。3D の世界は、絵コンテをつくり、それに合わせて音を決め、ライティングやカメラワークなども駆使して仕上げていきます。いわば総合的なアートです。そうした多様な作業を経験したことが、その後の方向性を決める契機にもなりました。とはいえ、3Dをさらに追求する方向に進んだわけではありません。もっと瞬発的な発想によって、強烈なインパクトを与えるような分野で勝負したいという思いが沸き上がってきたのです。実際、現在の仕事では、3Dソフトを使うことはほとんどありませんが、卒業制作で多様な経験をしたからこそ、自分の個性やアドバンテージに気づくことができたと感じています。
才能やセンスを高めるためには、自発的な行動が不可欠になる
・・・トライデントの学びは、才能やセンスを磨く上で役立ちましたか。
アートの世界をめざしている学生が、「自分には才能やセンスがない」と嘆いている姿を目にすることがあります。けれども本来、才能やセンスは誰にでも備わっており、それが見えていないだけです。ただし、授業で先生に言われた通りの学びに終始していたのでは、自分の才能やセンスに気づくことはできません。自発的に行動を起こして、初めて、自分は何ができるのか、何に向いているのか、体感できるのです。私は、トライデント時代の学びにおいて、興味を持ったことに果敢に飛び込むようにしていました。その行動を通して、最初は真っ白だったキャンバスに、自分なりの才能やセンスが少しずつ焙り出されていった気がします。今後も、情熱と信念を持って、さまざまなことに挑戦するエネルギーとマインドを備えたアーティストをめざし続けたいと考えています。
マンガやアニメのキャラクターの絵が、自分の圧倒的な武器になる!
・・・卒業後のご経歴を紹介してください。
ゲーム会社を志望し、最終面接まで残った大手のゲーム会社もあったのですが採用されませんでした。面接会場に、金髪、短パンで行くような学生で(笑)、世間を舐めていたというか、尖りすぎていました。卒業時点では、就職先未定の状態でしたが、心配した先生から紹介いただいたデザイン事務所に入社しました。けれども、仕事の内容がDTPという紙媒体のデザインで、私に合わず、半年で辞めました。
その後、フリーのアーティストをめざすことにしましたが、しばらくは試行錯誤の日々でした。路上で絵を売ったり、デザインフェスタに出展したりしている人は、たくさんいましたが、同じようなことをしていたのでは目立てません。そこで、クラブでライブペイントのパフォーマンスを始めることにしました。当時、アンダーグラウンドからメジャーデビューを果たすムーブメントが起こっていました。その流れに乗って、私の知名度も上がり、テレビ朝日ミュージックにスカウトされました。
大きな転機になったのが、2007年、テレビ朝日ミュージック所属のアーティストとして、パリ国際テキスタイル見本市「Premiere Vision, Indigo展」に参加したことです。次のトレンドが決まるといわれる見本市ですから、私のような無名の日本人イラストレーターの絵が売れるのは、難しいと覚悟していました。ところが私の絵は、スペインの文房具メーカーがすべて購入してくれたのです。まだクールジャパンという言葉はない時代でしたが、私の描くマンガやアニメのキャラクター的なデザインは、海外で高く評価されるという手応えが得られた瞬間でした。圧倒的な武器になると確信し、腕を磨くとともに、海外への発信にも力を入れています。
固定観念から逸脱すると叩かれるが、それで萎縮してはいけない
・・・最後に、トライデントの後輩へのメッセージをお願いします。
基本的には、自分の好きなことをやればいいし、そこからすべてが始まります。私の場合は、キャラクターを描きたいというのが、ひとつの幹みたいなもので、そこから枝葉が出て、いろんなことができるようになっていった感じです。強調しておきたいのは、その幹は、自分なりの幹でないと戦えないということです。よくありがちな幹では、伐採されて終わりです。この幹は切らずに残しておきたいと思われるような、異形であることが大切です。ただし、日本では、アートとはこういうものという固定観念が強く、そこから逸脱したことをやろうとすると、叩かれてしまうこともありえます。それを怖がらず、萎縮することなく、むしろ他者からの非難を、エネルギーに変えていける、たくましさが重要になるでしょう。
-
MITSUME (MITSUME )
岐阜県生まれ。本名「高橋寛幸」。岐阜県立岐南工業高等学校機械科を卒業し、トライデントデザイン専門学校キャラクターデザイン専攻に入学。同校を卒業後、フリーのアーティストへ転身し、メジャーデビューを果たす。その後、パリ国際テキスタイル見本市で、自身が描くキャラクター的なデザインが高い評価を得る手ごたえを感じ、活躍の場を海外にも広げる。現在独立し、「MITSUME」として世界に向けて活躍中。トライデント専門学校のパンフレットの表紙も手掛けている。<br />オフィシャルサイト:https://www.mitsume.co/<br />TW:https://twitter.com/3eyes_takahashi<br />instagram :https://www.instagram.com/3eyestakahashi/
同じコースのOB・OG
同じ業界のOB・OG