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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.132 (2023年3月1日公開)

  • 教育・研究者
  • 大学受験科
一般社団法人まちとこ 代表理事 芳岡孝将さん

心の拠り所であり<br />現在の仕事につながる<br />原点を発見できた<br />河合塾の2年間!

  • 一般社団法人まちとこ
    代表理事

    芳岡 孝将さん

    出身コース
    大学受験科

自分が進むべき道を真剣に考え抜いた2年間だった

・・・河合塾ではどのような学びがありましたか。

北海道大学に進学することしか考えておらず、北大受験に強いと評判だった河合塾札幌校で浪人生活を始めましたが、思うように成績が伸びず、二浪することになってしまいました。浪人中は受験勉強の傍らで、多くの本を読みました。グラミン銀行のマイクロクレジットの仕組みが知られるようになり、日本でも社会起業家が登場し始めた頃だったこともあり、資本主義社会が大きく変わり始める時期なのではないかと思うようになりました。その大きな変化の中で自分に何ができるのかを考えたところ、自分の役割は、新しい時代をつくっていく若者をサポートすることではないかと思い至り、教育に携わる決心をしました。河合塾の2年間での思索の日々が、現在の仕事につながる道を拓いてくれたと思っています。

教員人生に突入する前に社会のことを広く学ぼうとした

・・・大学時代はどのような活動に力を入れたのですか。

教員養成大学に進みましたが、教師になればその先ずっと教師を続けることになります。であれば、教師になる前に、自分が教える子どもたちが暮らしている社会のことをもっとよく知っておくことが必要だと考えました。そこで札幌の繁華街であるススキノの飲食店で深夜のキッチンのアルバイトを始めました。ススキノは高校生のアルバイト先でもあり、非行の末に行き着く場所でもあります。ここで働く人たちの気持ちや、考え方、人間関係のあり方などを、ブラックな部分も含めていろいろ学ぶことができました。

世界のどこに行っても生活できる自信を持つことができた

・・・海外協力隊の一員としてモザンビークで理科の先生をしたそうですね。

芳岡孝将さん

モザンビーク共和国の中学校で理科の実験を指導する

世界の最貧国と言われている国の教育や子どもたちを、自分の目で見て、肌で感じたうえで、教師になっても決して遅くはないと思っていました。そのため教員採用試験は受けずに、青年海外協力隊に応募しました。アフリカのモザンビークでの理数科の教員に採用され、2010年1月に渡航しました。
2年間のモザンビークでの教員生活を通して学んだことは、人間はそんなに変わらないということです。もちろん、生活水準や文化は違いますが、人と一緒に楽しむことだったり、感情を共有することだったりは、日本人と変わりません。ですから、世界のどこに行っても生きていける自信がつきました。

被災地の子どもたちのサポートに全力を尽くす

・・・帰国後の活動について教えてください。

芳岡孝将さん

宮城県の女川向学館。通学する中学生の振り返りシートにコメント記入

海外にいる間に東日本大震災が起きたため、帰国後すぐに協力隊の仲間3人と被災地を回りました。そこで出会ったのが「NPOカタリバ」の活動でした。被災した子どもたちの教育サポートを行っており、代表の方の本気度に触れたことで、この活動に参加したいと思うようになりました。
結局、教員採用試験は受けないまま、カタリバのメンバーとなり、岩手県の大槌町や宮城県の女川町で子どもたちの教育に携わるようになりました。熊本地震のときは、カタリバのメンバー3人で熊本に入り、被災した子どもたちの教育サポートの仕組みを2年間かけてつくったこともあります。
カタリバの活動は緊急支援的な側面があり、いずれは地域にその活動を受け渡していくことになります。ところが女川町の事業にはなかなか引き受け手が現れなかったため、自分で非営利の「一般社団法人まちとこ」を立ち上げました。カタリバから女川町の教育支援事業「女川向学館」を譲渡してもらい、現在も地域の学校や教育委員会と連携しながら、子どもたちの教育サポートを続けています。

女川から日本の教育のあり方を変えていきたい

・・・今後の抱負について聞かせてください。

コミュニティスクールは全国にありますが、本当の意味でコミュニティと学校が連携して子どもたちを支えていくような仕組みを持ったところはあまり多くないと思います。教育は子どもたちによりよい社会をつくっていってもらうための手段なのですから、ここ女川からみんながワクワクするような教育のあり方を発信していくつもりです。そのことを通じて日本の教育を変えていきたいと本気で思っています。
学校の教師ではなくても、自分が活躍できる教育の場所を見つけることができたのは、やはり河合塾時代のおかげです。浪人生にとって心の拠り所になってくれたことが、ポジティブに考える基礎をつくってくれたと思っているからです。

  • 芳岡孝将さん

    宮城県の女川向学館で、地域の中学生に勉強を教える

  • 芳岡孝将さん
Profile

芳岡孝将さん

芳岡 孝将(Takanobu Yoshioka)

1984年北海道生まれ。札幌北陵高等学校卒業後、河合塾札幌校の大学受験科に通い、北海道教育大学に合格。卒業後、青年海外協力隊の中学校の理数科の教員としてモザンビーク共和国で2年間活躍する。東日本大震災を機に、宮城県女川町で教育サポートを行う。

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