「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.137 (2024年08月公開)
- 医師・医療関連
- 大学受験科
河合塾の講師との出会いが<br />医学部への道を開き<br />ドクターヘリ乗務を経て<br />外傷外科の新たな道を探求!
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日本医科大学千葉北総病院
救命救急センター 助教安松 比呂志さん
- 出身コース
- 大学受験科
この人についていきたいと思える講師陣
・・・河合塾に通うことにした経緯と河合塾での思い出を教えてください。
家庭の事情で、バイトをしながら自宅浪人を2年間続けましたが、さすがに3年目には父親から「金は出すから、とにかく大学に受かってくれ」と急き立てられ、医学部以外も受験することを条件に河合塾に通うことにしました。
英語と化学は独力でも何とかなっていましたが、数学と物理が本当にひどい偏差値で、入塾時は、医学部進学をめざすクラスで最下位の成績でした。ところが、数学と物理で「この人についていきたい」と思える講師に出会い、それぞれの教科の本質的な考え方を教わったことで、成績が急上昇。秋にはコーストップの成績になっていました。
英語と化学の講師も同様で、この4人の講師との出会いには本当に感謝しています。後半は4教科ともすべて予習し、授業前に講師に確認してもらうようにしていました。「全部できているから授業に出なくてもいい」と言われても授業に出て、授業が復習になっていました。
自律することの大切さを学んだ7年間の寮生活
・・・大学ではどのような活動に力を入れたのですか。
金沢大学医学部時代の最大の思い出は、何といっても寮生活です。一言でいえば「昭和の寮」で、上下関係の厳しさや不可解な規律がそのまま残っており、100名ほどいた新入生の寮生も、1年後には半数になるほどでした。しかし、一人暮らしは経済的に困難でしたので、この寮で生きていくなら寮生活を楽しむしかない、と覚悟したことで、だんだん寮生活を楽しめるようになりました。
完全な自治寮で、寮長・副寮長の下に執行部があり、寮の方針を決めると、寮生がグループに分かれて討議して、全員の了承を得て運営していました。こうして自律的な生活を送れたことで、ある意味大人として自立していく一助になった気もしています。濃密な時間を過ごした仲間たちとは、いまでも連絡を取り合っています。寮生活のせいばかりではありませんが、勉学がおろそかになって留年し、結局7年間かけて医学部を卒業しました。
心臓外科への道がつながらず、救命救急へ
・・・医師になってから現在までのお仕事について教えてください。
当初は心臓外科医をめざしており、心臓外科の教授に挨拶に行き、初期研修も関連病院に行くことに決まっていましたが、留年ですべて流れてしまいました。さすがに2年続けて同じところにお願いできず、学生時代からなじみのあった民医連(全国民主医療機関連合会)の病院で初期研修をすることにしました。
その折に、さる高名な心臓外科医の執刀を見学する機会を得たことで、3年目からはその先生の下で心臓血管外科の修行をすることに決めましたが、その直前で自身の白血病が発覚。よほど心臓外科に縁がないのだと痛感しました。
半年間の治療を経て、最初の病院に戻って一般外科の修練をはじめ、専門医を取れるくらいのスキルを身につけました。病院に復帰してからは、救急担当になることが多かったのですが、もっと本格的に救命救急を学びたいと医師7年目に現在の病院に移ることにしました。
ドクターヘリ勤務を経てAcute Care Surgeryの研鑽へ
・・・現在のお仕事と今後の抱負を教えてください。
ドクターヘリの存在も知らずに来たのですが、上司に同じ金沢大学出身でドクターヘリのシステムを立ち上げた先生がいて、救命救急センターでフライトドクターとして働くことになりました。外科医として執刀する傍ら、年間100回ほどヘリに乗って現場に駆けつける日々を過ごし、移籍後11年目の一昨年、1000フライトを達成しました。
現在は、若いフライトドクターや救命救急センターでの外科手術の指導など、後進の育成に関わることが多くなり、自分で執刀するのはほとんどが超重症の患者さんとなっています。
医療の現場では、体を大きく傷つけることの少ない血管内治療や腹腔鏡手術などが選ばれることが多くなっていますが、外傷の場合にはかえって回復に時間がかかり、体への負担が高くなることもあるため、外科医としては「手術をすることでリスクを下げる」「メスで物事を解決する」ことを上司から常々言われています。また、まだ日本語にはなっていませんが、外傷外科、救急外科、外科的集中治療の3つを外科の一領域と捉えるAcute Care Surgeryの分野で研鑽を積んでいきたいと思っています。
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▲北総病院のドクターヘリ(協力:朝日航洋株式会社)
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▲ドクターヘリの運航管理室(協力:朝日航洋株式会社)
わからなくなったら原点に帰ることが大切
・・・医学部をめざす後輩へのメッセージをいただけますか。
医学の世界もそうですが、基礎が重要なのは変わらないと思います。わからなくなったら原点に帰るということを心がけてください。医療の世界も年々何かと厳しくなってきてはいますが、それでも夢を持って頑張ってもらえたらうれしいです。
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安松 比呂志(Hiroshi Yasumatsu)
千葉県出身。河合塾池袋校医進コースに通い、金沢大学医学部医学科に合格。全国民主医療機関連合会の病院勤務などを経て、現在、日本医科大学千葉北総病院の救命救急センターにて救急医兼外科医として勤務。救急医としてドクターヘリへの搭乗回数は1000回以上を超え、ヘリ内での応急処置から重症の外傷患者の手術も行うなど、救急救命医療の最前線で長年活躍している。近年は救急救命センターの助教として、外科手術の指導など後進の育成も行う。
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