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カンボジア教育支援活動現地支援報告(2002年1/5~1/9)

2002年「1月報告」

今回は、講師、職員、大検クラス生、大学生たちと訪れました。訪れた初日は土曜日で、翌日日曜日、翌々日月曜日と2連休のため、生徒の大半は家に帰っていました。

1月5日(土)

1月5日(土)

14:00、支援先(プレイベン州リング村)の学校「日本-カンボジア友好学園」に到着。10時に首都プノンペンを出たから、4時間でついたわけだ。なかなか順調に行くことができたのは、毎週リング村の学校からプノンペンへ遊び(?)に出ているという酒井先生や森山先生(「友好学園」で日本語を教えています)がいっしょにいてくれたからだろうか。

さて学校はというと、午前中は全生徒がいたようだが、翌日日曜日と翌々日月曜日(ナショナルデー)の2日間は休日ということで、学校泊(学校のセキュリティーのために生徒が交替で宿泊している)の生徒が数人いただけ。到着した時間は太陽がギラギラで暑い。カンボジアの田舎の空気をみんなで楽しみながら一休み。

夕方、プノンペンから持ってきた食材で夕食の準備にとりかかる。M先生の音頭で作り始めたのは「ちらし寿司」。友好学園の教頭先生にも手伝っていただき(大学時代は自炊をしていらっしゃったとかで包丁さばきはうまいし、テキパキしているし、きれい好きであった)、彩りよいご飯ができた。なんといってもバナナの葉っぱのお皿が、よりおいしそうに見せてくれた。暗くなり始めたのでバッテリーで電気をつけ、そして校長先生をお招きし、ようやくご飯の時間。満足していただけたようだ。

☆ 夕食:ちらし寿司

1月6日(日)

1月6日(日)

学校近辺の散策。まず近くにある小学校へ。数ヶ月前までは青空教室もあったとか。校舎は古く、所々板(壁)がはずれている。教室内には黒板が置かれているだけであとは何もなく、机や椅子も古く壊れている。隣には校舎が建っていたであろう跡だけが残っていた。

基本的に学校は寺院の敷地内にある。子どもの僧侶が数人いて水を汲んでいた。井戸から汲み上げるのだが、シーソーみたいに板の上に乗って汲みだしていた。手で汲み上げるより楽なのだそうだが、挑戦してみるとなかなか難しい。

お昼をプサー(市場)で取った後、生徒の家へ向かう。10分もバイクで走った頃からか、道がデコボコになり始め、ジェットコースターに乗っている気分になる。いいかげんバイクに乗っているのが辛くなりだしたころ、生徒の家に到着。突然の訪問にもかかわらず、お母さん、おじいさんたちが快く迎えてくれた。大きな家で広い池もあり、にわとりやあひるなどが数十羽飼われていた(にわとりやあひるの家もある)。ご飯を用意してくれるというので(にわとりを1羽つかまえていた)準備ができるまでの間、歩いて5分のところにある別の生徒チビットの家にいく。残念ながらチビットは滞在していなく、プノンペンのお姉さんのところに行ったという。お姉さんはプノンペンで働き、彼や家族の生活費を稼いでいる。生徒たちは家族の様々な協力がなければ勉強などできる環境ではないのだ。今までに幾人かの生徒が、学校をやめていった。その理由は家での働き手が足りないからだという。

☆ 朝食:パン

☆ 昼食:昨晩の残りでチャーハンを作ったとのこと。

☆ 夕食:「五平餅」

1月7日(月)

後発組が合流。昼食後、ベトナム国境までバイクツアー。

先発組は、生徒が学校へ戻ってきたのでいっしょに遊んだり、昼寝をしたり、ゆったりと過ごす。

夕食が終わるといよいよ明日の交流のための準備。我々が2~3人ずつに分かれて授業を行う。9年生のクラスに行く人たちは「歌」を教えるようだ。大きな紙(日本から持参)に楽譜と歌詞を書いている。8年生のクラスでは「踊り」をするようだ。7年生のクラスでは「かるた作り」をする。文房具を少し運んできたので幸い色鉛筆や色ペンなどがある。絵を書くことを楽しんでもらえたらと思う。その他に二人三脚や大なわとびもする予定である。

☆ 昼食:もち

☆ 夕食:すきやき、なすのイタリア風炒め

1月8日(火)

朝、生徒の声で起こされる。が、時間はまだ4時で外は真っ暗。

今回は、交流をさせてもらうために、日本語授業の時間を分けてもらった。1時間目は朝7時から。9年生のクラスから歌の練習をする声とともに、河合塾の理事長が贈ったシンセサイザーの音も聞こえてきた。2時間目は7、8、9年生のクラスで交流があった。外へ出て二人三脚をする7年生、教室で踊りの練習をする8年生、歌声が聞こえる9年生の教室。

7年生のクラスでの「かるた作り」も行った。日本語が書かれてある札の絵を書くことから始めたのだが、そこにたどり着くまでに時間がかかった。「ひ」の札に「ひこうき」の文字を書いていたのだが、日本語ではわからないようだったのでクメール語(辞書をみながら)で意味を伝える。わかったようだが、いざ、絵を書こうとすると書けない。なんとなく知っているだけで、見たこともましてや乗ったこともない物体を書くことなどできないのである。「ひこうき」の日本語選択は失敗であった。彼女と相談して「ひげ」にした。

この夜は校長先生宅でカンボジア料理をいただく。外にテーブルと椅子をおき、みんなで食事。我々も「とり鍋」をもってうかがった。まず客である私たちと学校の代表であるコン・ボーンさん、校長先生、教頭先生が食卓についた。次に、学校に寝泊まりしている生徒の中の上級生や周りで共同生活をしている生徒たち、次に下級生たち、次にごはんを作ってくれた人たちと順に入れ替わりながらのご飯である。最初に食卓についた私たちが出されたものを全部食べてしまうと後の人たちが食べられなくなる。おいしいあまり平らげてはいけないのである。

みんなが食べ終わると、生徒の中の一人が歌い出した。別の生徒は踊りだした。出会えたうれしさを体で表現してくれる彼らは本当に楽しそうであった。女の子たちはそういう事はしていけないのか、恥ずかしいのか、いっしょに歌ったり踊ったりはしない。周りで楽しそうに笑いながら見ている。

☆ 朝食:おかゆ、ラーメン

☆ 昼食:カレーライス

☆ 夕食:校長先生宅でカンボジア料理+とり鍋(日本組が料理)

1月9日(水)

8年生の授業の様子

朝、全生徒が集まる中、代表であるコン・ボーンさんから我々にお礼の言葉をいただく。暑い中、生徒たちもその話しに聞き入る。その後昨日8年生の授業で踊った「アブラハム」を我々も参加し全生徒で踊った。その後、昨夜歌を歌ってくれた生徒がマイクを握り歌い出した。コン・ボーンさん、校長先生が中心になりみんなが踊りだした。はじめ遠巻きに見ていた女子生徒も次第に輪の中に入り踊りだした。

生徒との交流はわずか1日だったが、また、忘れられないものとなった。

  • リング村での宿泊先は学校の職員室であった。本当に先生方にはご迷惑をおかけしました。ありがとうございました。
  • ※※
    生物の授業で使う「人体モデル」が必要だということです。学校や病院などでしか使ってないと思われますが、寄贈してもよいものがあればご一報ください。よろしくお願いします。
  • 私と河合塾
  • [連載]「河合塾にフォーカス