「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.138 竹原裕子さん

私と河合塾 医師・医療関連 大学受験科

ライフイベントを経験した女性でも
楽しく外科を続けられる環境を実現したい

竹原裕子さん

岡山済生会総合病院 外科医長

watakawa-mv-vol138.jpg

医師ではなく「お医者さん」になりたかった

医師をめざすようになった背景を教えてください。

母子家庭でしたが、母が薬剤師として働いていたこともあり、学校生活も習いごとも不自由なく経験させてもらいました。母から国家資格のある仕事に就いてほしいと聞かされていたこと、人の役に立つという意味で医師はわかりやすい仕事であること、近所の小児科のおじいちゃん先生によく診てもらっていて、人と接する働き方に憧れていたことから、小学3年生の頃から医師志望でした。

高校のとき先生から「君は医師というより、お医者さんをめざすのだろうな」と言われたことがあります。アカデミックな響きのある「医師」ではなく、親しみやすくて相談しやすいイメージのある「お医者さん」を自分はめざしているのだと、その先生の言葉を聞いて腑に落ちたところがありました。

信頼できるチューターの存在が大きな安心感に

河合塾での印象的なエピソードなどがあれば教えてください。

第一志望は岡山大学医学部でしたが、現役合格は叶わなかったことから、近隣の3つの予備校に見学にいった上で、すべての授業が対面授業だった河合塾を選びました。コミュニケーションがない授業は辛いと思ったからです。

今でも時折思い出すような必要事項の覚え方を教えてくださった地理の先生、福岡校と往復しながら教えてくださった英文法の先生、論文を読むときに役立つような英文の読み方を教えてくださった英文読解の先生など5人の先生は、今でも強く記憶に残っています。学力を上げていただいただけでなく、生き様というか価値観の面でも大きな影響を受けたように思います。

実は、中学生の頃から担任の先生には、面接には向かないタイプだと言われ続けていました。きちっとしていない性格に加えて、人見知りゆえについ身構えてしゃべりすぎる傾向があるからです。ですから河合塾のチューターから「面接のない大学を志望した方がいい」とアドバイスされたとき、私のことをちゃんと見てくれていたのだと信頼することができました。第一志望に合格できたのは、岡山大学医学部入試で面接がなかった最後の年だったからかもしれません(笑)。

小児科志望から消化器外科志望に転向

大学ではどのような医学生だったのですか。

大学の授業が興味深く、授業とアルバイトを両立しながら楽しく過ごしていました。入学当初は小児科志望でしたが、小児科は子どもを診ているようで、実はその向こうの親を見る側面があり、それを一生の仕事にするのは私には難しいと考え断念しました。ちょうど岡山大学が生体肺移植や生体肝移植に積極的に取り組んでいた時期で、何度も移植手術を見学させてもらったことと、食道がんの患者さんを担当させていただいた経験から、以後は外科医以外考えませんでした。

選択肢は広い方がいいとの大学の先生のアドバイスで、初期研修は岡山大学病院で行いました。当時の内科には下部消化管内視鏡のスーパースターのような女性の先生がおり、自分はスーパースターにはなれないにしても、大腸がんや肛門疾患など下部消化管外科で女性の医師へのニーズが高まるのではないかと考え、専門に決めました。

女性医師のサポートや職場環境の改善にも注力

その後のキャリアを簡単にご紹介ください。

研修医の指導に力を入れる。スキルだけでなく、医師のやりがいを伝えることも重要視している

臨床医としてのスキルを高めると同時に、女性医師支援の仕事にも早くから携わってきました。ターニングポイントは、岡山大学医学部の内科が中心となって岡山県内の女性医師を支援するMUSCAT(マスカット)プロジェクトの立ち上げの時期に入会したことでした。そこで知り合った女性の先生に刺激を受け、リーダー的な立場で岡山大学病院の研修医を増やす活動を行ったことが現在にもつながっています。

その後、岩国医療センターや岡山大学病院の高度救命救急センターなどを経て、夫のアメリカ留学に帯同して第一子を出産、帰国して第二子を出産しました。こうした経験を通じて女性医師のライフワークバランス改善や、子育て・復帰支援の重要性などに気づくことになります。

現在は、基本的には臨床医として働きながら、臨床研究に取り組んだり、学生の実習や初期研修医の教育を担当しています。また、女性医師が働きやすい環境作り、女性医師を増やす活動などにも励んでいます。

外科医に興味を持つ若者を増やしたい

今後の抱負を教えて下さい。

外科医を増やす活動に力を入れていきたいです。現在は岡山大学医学部の1〜2年次に外科への興味を喚起する機会を設けたいと考えています。さらに、女性外科医が働きやすい環境をダイバーシティ&インクルージョンの観点から研究論文として発表し、学術的にも重要なことを示していきたいです。ただ、私の後の世代にこうした活動を引き継ぐ人材が育っておらず、持続可能なサポートを続けられる体制の構築が一番の課題です。

「Pay it forward(ペイフォワード)」という好きな言葉があります。日本語では「恩送り」と訳され、自分が受けた恩をくれた人に返すのではなく、別の人に送ろうという考え方です。これまで多くの方に助けられてきた分、次は私が若い世代に還元していく気持ちはずっと大切にしています。

非常にやりがいのある仕事ですから、若い人で医師に興味があるなら、ぜひ医師を、できれば外科医をめざしてほしいと願っています。

東京で行われた学会に息子さんと参加。人とのつながりを大切にしながら、さまざまな課題解決に精力的に取り組んでいる。

竹原 裕子(Yuko Takehara)

岡山県出身。河合塾福山校の大学受験科に通い、岡山大学医学部医学科に合格。同大学院医歯薬学総合研究科博士(医学)課程修了。現在は岡山済生会総合病院外科医長を務め、大腸がんを中心とした手術や抗がん剤治療のほか、年間約100件の緊急手術をこなす。初期臨床研修プログラムの副責任者として研修医の教育にも従事。さらに女性外科医の育成に力を入れ、「ライフイベントを経験した女性でも楽しく外科をつづけられる」環境づくりに取り組んでいる。

出身コース

logo-kawaijuku.png

大学受験科

最適化された志望大学別コースで、第一志望に再チャレンジする高卒生を夢の実現へと導きます。

大学受験科