-OB・OGが語る河合塾- Vol.140
荒谷太一さん 全日本空輸株式会社
娘が修学旅行で搭乗する機体を操縦することが、ささやかな夢です
荒谷太一さん
全日本空輸株式会社 ボーイング777 副操縦士
どうしても早稲田大学で野球がしたかった
河合塾に通うようになった経緯を教えてください。
小1からずっと野球少年で、高校時代の夢は早稲田大学で野球をすることでした。高3の夏に西東京大会で敗退してからは頭を切り替え、早稲田合格をめざして受験勉強に集中しましたが、力は及びませんでした。
幸い母が別の予備校で働いていており、そこの講師などを通じて様々な情報を得ることができ、総合的に判断した結果、河合塾立川校に通うことにしました。
“早稲田大学野球部”入部が目的で、学部はどこでもいいというのが正直なところだったため、文理選択もあいまいなまま、ひたすら問題を解いていた現役時代でした。そんな失敗を繰り返さないために、河合塾に入塾するときには私立文系と決め、何十年も受験生を教えてきたプロの講師の言うことはすべて受け入れようと決意しました。
成績は爆上がりし、仲間にも恵まれた
河合塾での日々はいかがでしたか。
まず現代文は、講師が言葉の力の重要性を強調していたため、普段何気なく使っている言葉の本来の意味をしっかり理解するという基本的な勉強からスタートしました。日本史は、自分で年表を作り政治的・文化的な出来事などを書き込んでいく勉強法を講師から教わり、素直に従いました。おかげで国語と日本史の成績は大きく向上しました。英語は、もともとある程度の成績はありましたが、文法の基礎を丁寧に解説する講義や、文法構造に沿って文章を切り分けていく講義を受け、文章の理解力がかなり上がりました。また、生徒に合わせて個別に課題を出してくださる講師がおり、一年間継続して通い、課題は欠かさず提出するようにしていました。
河合塾では仲間にも恵まれました。自分と同じような目標を持っている人たちと共にいると、スタミナが切れそうなときでも「あいつがやっているのだから」と頑張れましたし、わからない問題もお互いに教え合うことができました。ライバル意識を感じたことはなく、切磋琢磨し合う仲間という意識で過ごしました。こうした積み重ねが実を結び、第一志望であった早稲田大学スポーツ科学部に合格を果たすことができました。
「ハンカチ王子」と一緒に大学日本一に輝いた
どのような大学生活でしたか。
念願の野球部に入部し、高校時代と同様にピッチャーとしてやっていこうと考えていました。しかし、同期には甲子園で「ハンカチ王子」と呼ばれ、一大ブームを巻き起こした斎藤佑樹選手がいました。さらに、斎藤選手を含め、4年後のドラフトで1位指名を受けてプロ入りするピッチャーが3人もいたため、自分には到底敵わないと感じ、外野手に専念することにしました。
早稲田の野球部には寮もありますが、入寮は強制ではないため、自宅から大学に通っていました。学業も人並みに力を入れつつ、やはり野球にどっぷり浸かった4年間でした。最後に神宮球場で大学日本一に輝けたことは学生時代の一番の思い出です。

先輩の一言でパイロットをめざすことに
将来、どんな進路に進もうと考えていたのですか。
当初は、スポーツトレーナーをめざしており、そのためにスポーツ科学部スポーツ医科学科に進学しました。ところが大学2年のとき、同じポジションだった野球部の先輩が「パイロットになりたい」と言うのを聞いて、驚きました。しかも先輩は「誰でもなれる」と言うのです。
それまでパイロットという職業が頭に浮かんだことは一度もありませんでしたし、第一自分がなれるとも思っていませんでした。しかし、先輩の言葉が気になり、いろいろと調べていくうちに、次第にパイロットになりたいという気持ちが芽生えてきました。野球一筋で、これまで自分の住んでいる地域からほとんど出たことがなかった自分にとって、パイロットになれば国内外のさまざまな場所に行けるということに大きな魅力を感じたのかもしれません。先輩のお姉さんが客室乗務員だったこともあり、先輩がそのお姉さんの知り合いの機長に会いにいく際、私も同行させてもらったりしながら、パイロットになるという選択肢が現実的なものになっていきました。
3年間の訓練期間を終えてANAのパイロットに
大学卒業後のキャリアについて教えてください。

ANAの自社養成パイロットに応募し合格しました。入社直後は航空貨物の営業に配属され、入社2年目の6月から本格的な訓練が始まりました。最初の3ヶ月は航空力学や気象学、航空機の構造、電気など、自分には知識がまったくない、ほぼ理系分野の勉強でした。それでも、試験に落ちればその時点でパイロットへの道が絶たれてしまうため、必死に勉強しました。河合塾時代以上に勉強したかもしれません(笑)。
その後、カリフォルニアで操縦訓練に入りました。訓練中に進捗がなければ脱落となりますし、操縦の試験をクリアできなければやはり不合格です。そうした不安と戦いながら約3年間の訓練を終え、最初はボーイング767の副操縦士として国内線を飛んでいました。2019年からはボーイング777の副操縦士として欧米路線主体の国際線乗務をメインに、国内外の空を飛んでいます。現在は、機長に昇格する訓練に励んでいます。
基礎を繰り返すことの重要性を河合塾で教わった
河合塾の1年間が役立っていると感じることはありますか。
実は、パイロットがこんなにも勉強し続けなければならない職業だとは思っていませんでした。法令から社内規定、操縦技術などについて年2回の試験をクリアし続けなければライセンスを維持することができません。改めて、基礎をコツコツと積み重ね、それを継続する姿勢を身につけられたのは、河合塾のおかげだと感謝しています。
現在の旅客機は多くが自動操縦ですが、その間も飛行状況の確認や、航空管制官との交信、燃料のチェックなど、多くの業務をこなしています。なかでも最も気をつけているのが航空機の揺れによってお客様に怪我をさせてしまうことです。そのため、雨雲の動きや気流の状態には常に目を光らせており、高度変更や管制連絡など常に早め早めの行動を心がけています
将来の抱負としては、まずは安全性、定時性、快適性のバランスを取りながら、自分が理想とするフライトをお客様に提供できる機長をめざしています。そしてささやかな願いとしては、娘が修学旅行などで飛行機を利用する際、その飛行機の操縦を自分が担当したいと思っています。


荒谷 太一(Taichi Aratani)
広島県出身。都立国立高校卒業後、河合塾の大学受験科に通い、早稲田大学スポーツ科学部に合格。在学中は野球部に所属し、2010年のリーグ戦で優勝を果たす。2011年に自社養成パイロットとして全日本空輸株式会社に入社。1年間の他職種配属および約3年間にわたる学科訓練、飛行訓練等を経て、ボーイング767の副操縦士に就き、国内線乗務を始める。2019年からはボーイング777で国際線を中心に乗務。2026年現在は機長昇格に向けた訓練に励んでいる。
出身コース
大学受験科
最適化された志望大学別コースで、第一志望に再チャレンジする高卒生を夢の実現へと導きます。