-OB・OGが語る河合塾- Vol.141

鈴木圭さん 医療法人社団悠翔会 ケアタウン小平クリニック 院長

私と河合塾-OB・OGが語る河合塾- 医師・医療・福祉 河合塾KALS

人生は何度でもやり直せる!
53歳で医学部入学 在宅医療の世界へ

鈴木圭さん

医療法人社団悠翔会 ケアタウン小平クリニック 院長

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挑戦するなら、なるべく高い山に登りたい

なぜ人生の半ばで、医師の道に進もうと思ったのですか。

前職はNHKのドラマ番組のプロデューサーでしたが、大河ドラマ『龍馬伝』という大きな仕事をやり切って、燃え尽きてしまったのかもしれません。50歳のときに、エイヤっと退職を決めてしまいました。
ただ、辞めてからのことはあまり深く考えてはいませんでした。実際、退職後2年ほどは農業に手を出したり、留学したりとフラフラしていました。そうこうするうち、医師をめざそうと思うようになったのです。NHK時代にも一度、医師への転職を考えたことがありましたが、そのときは無理だと自分で決めつけていました。しかし、無職になってはじめて本気でこれからの人生を考えたとき、何か挑戦しがいのあることをしたいと思いました。ならばなるべく高い山に登ろう──そう考え、改めて医師をめざす決意を固めたのです。
ちょうどそのタイミングで、新宿の紀伊國屋書店に置いてあった河合塾KALSのパンフレットが目に飛び込んできたのです。学士編入という道があることは知っていたので、KALSにお世話になれば可能かもしれないと考え、体験授業に参加することにしました。

写真左:NHKプロデューサー時代のロケの様子。写真右:土曜ドラマスペシャル『とんび』がモンテカルロ国際テレビ祭で最優秀作品賞を受賞した際の一枚。社会にインパクトを与える作品を数多く生み出し、NHKの番組制作の歴史を支えてきた。

余計なものに手を出さず、必要なものに集中した

河合塾KALSでの学習について教えてください。

生命科学を担当する井出 冬章(いで ふゆあき)先生との出会いが、医学部合格の最大の要因です。本当にわかりやすくて面白く、腑に落ちる授業で、「これなら勉強を続けられるかもしれない」と感じ、まずは2年間やってみようと決めました。チューターとの面談で英語と生命科学の2科目で受験できる大学があることを知り、英語は自分なりに勉強していたため、生命科学1科目は井出先生の力を借りれば何とかなるだろうと考えました。
井出先生の授業は、毎回「ここだけ覚えればいい」と重要なポイントを提示してくださるスタイルでした。ほかの参考書や問題集に手を出す人もいましたが、私は余計なものには手を出さず、井出先生の言う通り河合塾のテキストと、先生が勧めてくださった参考書だけに取り組みました。10月にKALSに通い始めてから半年間で、旭川医科大学医学部医学科の編入一次試験に合格できたのは、本当にKALSと井出先生のおかげだと思っています。

医学部学士編入をめざし、52歳で河合塾KALSに入塾し、受験勉強に励んだ当時のテキストとノート。KALSの生命科学は医学部入学後に学ぶ「基礎医学」に直結するカリキュラムであり、法学部卒の鈴木さんにとって、受験勉強だけでなく医学生としての基礎力にもつながったという。

わからないことは素直に頭を垂れ、学生生活を楽しんだ

医学生時代にはどんなことに力を入れたのですか。

53歳で入学したわけですから、同級生はみな自分の息子くらいの年齢です。ただ幸いなことに、前職は若い俳優さんやスタッフとの付き合いが多く、「優秀な人は年齢に関係ない」という環境に慣れていたため、若い同級生に教えを乞うことにまったく抵抗がありませんでした。「ごめん、ここわからないんだけど、教えて」と素直に聞くことができたのです。

転職を考える上で、これは非常に重要なポイントなのではないかと思っています。前職のプライドや知識をひけらかすことなく、素直に頭を垂れたり、一緒に何かを楽しんだりする姿勢が意外と大事なことでした。まったく知らない世界に飛び込んだことも功を奏し、年齢が違っても同じ地平に立つことができたのだと思います。
入学当初は勉強だけで精一杯でしたが、次第にペースがつかめてくると、学生生活をもう少し楽しみたいと思うようになりました。そこで、将棋部を創設して初代部長を務めたり、学園祭実行委員になったりと、キャンパスライフもそれなりに謳歌しました。

「コツコツ積み上げることが向いているタイプだ」と語る鈴木さん。進学した旭川医科大学では同級生とともに学生生活を楽しみながらも、次に控える医師国家試験に向け、互いに励まし支え合い、努力を続けた。

年齢がハンデではなく、むしろアドバンテージになると思った

専門とする診療科はどのように決めたのですか。

診療科は大きく内科系と外科系に分かれますが、外科は一人前になるまでに手術現場での経験を重ねる必要があり、十年ほどかかると言われます。私は最初から外科を選択肢から外しました。
36歳のときに、妻を胃がんで亡くしました。在宅診療を受けていたのですが、医師や看護師の方々による素晴らしいケアを間近で見ていたことが、医学部を卒業する頃には緩和ケアの道に進もうという決意につながりました。そこなら自分のこれまでの経験や人生で培ったものが生かせると考えたのです。
というのも、人生の最期を迎える方に対しては、痛みを和らげる薬などの医学的ケアはもちろん重要ですが、より大切なのは患者さんとの対話やご家族を支えることです。そうした場面では年齢がハンデになるどころか、むしろアドバンテージになると私は考えました。

結果的にいちばん良い活躍の場にたどり着いた

現在のお仕事の様子と、将来の抱負などについてお聞かせください。

担当患者の問診の様子。研修医修了後は東北大学病院のホスピス病棟で、緩和ケア医としての知見を深めた。鈴木さんは「生涯勉強」「生涯現役」を志し、患者やご家族、地域や社会のためにできることに全力で取り組む。その生き様は多くの人々を勇気づけている。

現在は、訪問診療、在宅緩和ケアを専門とする診療所の院長をしています。緩和ケアには正解がありません。患者さんは一人ひとり異なり、それぞれに合わせた対応が求められるからです。患者さんとご家族の間に立って調整することも多く、日々勉強しながら、楽しく働いていますが、結果的に自分にとっていちばん良い場をいただけたと感じています。

社会人経験を経て医師になったという経歴を生かし、これからは社会への発信にも力を入れていきたいと考えています。その一環として、『暮らしの保健室』という取り組みも始めました。地域の方々と医療・福祉の専門家が一緒にお茶を飲みながら医療や福祉についておしゃべりする会で、こうした輪が徐々に広がっていけばと願っています。


やりたいことを見つけたら、年齢を気にせず挑戦すればいい

キャリアに悩む社会人に何かアドバイスをいただけますか。

キャリアや進路はそんなに簡単に決められるものではなく、覚悟が最初からあるわけでもないと思います。特に医師のように社会的意義の大きな仕事であればあるほど、ある程度経験を積んでから気づくことが多いのではないでしょうか。「57歳で医者になって、何年働けるんだ、すぐ引退じゃないか…」などと言われることもありますが、大切なのは自分がどう生きたいかだと私は思います。
当然、体力と気力は必要です。また、自分の強みを見極めておくことも重要でしょう。しかし、それらが整っていれば年齢は関係ない──私を見ろ(笑)と言いたいですね。その意味で河合塾KALSのように、再チャレンジをサポートしてくれる存在は大きいです。キャリアに悩んだらそれを好機と捉え、進路をもう1度見直せばいいし、何度でもやり直せばいいのです。

鈴木 圭(Kei Suzuki)

東京都出身。東京大学法学部卒業後、NHKに入局し、ドキュメンタリーやドラマ制作に従事。代表作の大河ドラマ「龍馬伝」メインプロデューサーを務めたのち50歳で退職。2014年に河合塾KALS新宿校へ入塾、旭川医科大学学士編入を果たし、53歳で医学生に。2020年に医師国家試験合格後は在宅診療医を志し、現在は医療法人社団悠翔会ケアタウン小平クリニック院長を務める。緩和ケアを通し患者や家族に寄り添いながら、『暮らしの保健室』をはじめとした地域貢献活動にも精力的に取り組んでいる。

出身コース

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