このページの本文へ移動 | メニューへ移動

未来のマナビフェス2019 実施報告vol.2授業改善を軸にした学校づくり 〜PDCAサイクルから探究する組織へ〜

登壇者:石井英真(京都大学)

石井英真(いしい・てるまさ)
石井英真 先生(京都大学)

「教育方法学」を専門とし、「学力」をキーワードに横断的に研究を進めてきた、石井英真先生による本セッション。「専門医であると同時に、町医者でありたい」と現場に足を運び続ける石井先生は、「学校は万能ではない。けれども、まだまだポテンシャルを秘めた存在だ」と語る。その試金石となるものこそ、授業にほかならない。「真正の学習」を実現しうる授業と、そのような授業をめざす教師たちが学び合う場を中心として展開される学校づくりの可能性を示すことが、本セッションの目的である。

「点」での授業改善から、「面」での授業改善へ -カリキュラム・マネジメントへの着目

セッションの冒頭、スクリーンには「学校を改革するとはどういうことか?『よい学校』とはどのような学校か?」という問いが映し出された。参加者によるスモール・ディスカッションのあと、石井先生は「こうした問いを考えることは、学校改革のゴールを考えることであり、こうした問いについて(いま参加者が行ったように)語り合える学校こそ、よい学校なのではないか」と指摘する。

石井先生によれば、訪問した学校で授業を見て回ると、教師の学びと子どもの学びが驚くほど相似形であることがわかるという。逆にいえば、授業改善・学校改善は一体的なものだということである。

子どもの学びと教師の学びを両輪で改善していくことを通して、学校全体の改革をめざすうえで重要になってくるのが、「面」の意識だという。石井先生は、いわゆる「エースで4番」の教師ばかりを集めても「よい学校」になるとは限らない。逆に、普通の先生が生き生きと成長するような空気感がある学校、すなわち教員を育てる場、新しいものの価値を創造できる場があるかがポイントであるという。つまり、個々の教員の資質・能力を育成するといった「点」の改革ではなく、学校という「場」の力、あるいは、学校組織全体としての力を意識して、「面」の改革を進めていくことが求められるのである。

しかし、昨今のアクティブ・ラーニングの実践にしても、教師の個人レベルでの授業改善にとどまってしまってはいないだろうか。また、その実践は、「何のために」という視点を欠いた、手法主義に陥ってしまってはいないだろうか。こうした傾向を是正し、学校全体として「面」の改革を進めるうえで必要となるのが、マネジメントという発想である。新しい学習指導要領では、「何ができるようになるか」「何を学ぶか」「どのように学ぶか」が一体的に示されており、その関連でカリキュラム・マネジメントの重要性が強調されている。

2016年12月21日の中央教育審議会答申(注)では、カリキュラム・マネジメントの3つの側面として、1.教科横断的な視点、2.PDCAサイクルの確立、3.リソースの活用が挙げられている。石井先生によれば、カリキュラム・マネジメントを意識することは、目標・指導・評価の一貫性を問い、目標実現に向けて学校や教師集団がチームとして協働的・組織的に実践とその改善に取り組むことにつながる。すなわち、カリキュラム・マネジメントの推進によって、「点」ではなく「面」での授業改善を促進することが重要なのだ。

協働的・組織的な教師集団による改善をめざして

カリキュラム・マネジメントとは一種の(地方)分権改革であり、学校現場の多種多様な状況において、教育を現場の専門家・教員裁量に任せようという意図がある。カリキュラム・マネジメントが進みうる方向性として、「学習成果をより包括的に数値化し、行政の掲げる達成目標に向けて、PDCAサイクルを効率的に遂行していくこと」となりがちであるが、それでは職場のつながりを崩し、働く力を奪ってしまう。むしろ、「専門家である教員が行う判断を尊重し、自律的な学校運営ができ、コミュニケーションがしっかりした学校づくり」が大事になってくる。

そのために重要なのは、教師たちが「ねらい(目標)」の先に「ねがい(目的)」を見据え、「子どもにどうなってほしいか」という姿をイメージすること、そうしたイメージを追究し続けていくことである。すなわちカリキュラム・マネジメントにおいてポイントとなるのは次の3つ、「目標達成のためにPDCAサイクルを遂行していくことにとどまらず、価値を探究していくようなコミュニティをどう作っていくか」ということ、「ヴィジョンを子どもの姿のイメージで共有する」こと、そして「現場のエンパワーメント」である。「働き方改革」が大切といわれるが、「働きがい改革」も重要となる。子どもたちの将来を見通して遠くを見ていく、そういうことが大事である、と石井先生はいう。

「真正の学習」と学力の分類

そうしてヴィジョンの探究を軸に学校のコミュニティを形成しながら、どのような授業と学びをめざすのかを考える際に考慮すべきは、新学習指導要領のポイントでもある「資質・能力」を踏まえた生徒の育成である。資質・能力は「コンピテンシー」とも言われ、自分の頭で考えることのできる、自立した一人前の人を育てることが大切であるという。

石井先生は、1つの考え方として「真正の学習(authentic learning)」の必要性があるという。真正の学習とは、これまでの学校での学習の文脈があまりに不自然であったことを批判して、現実世界での文脈とのつながりが見える学びの必要性を訴える考え方である。

日本の学校は教科学習と教科外活動を通じて全人教育を行っているという強みがある。自分で考えるための軸を教科学習によって培い、生徒会、文化祭、体育祭などの教科外活動の中で、失敗も経験しながら自分で責任を引き受けてやり切る経験もできる。このこと自体は、価値があろう。

だが、教科学習で生徒が自分で判断できるような力を育ててきたか、社会に関心を持つような生徒たちを育ててきたか、顧みる必要もあるということである。

例えば、バスケットボールの比喩であれば、以下のように説明される。ドリブルやシュートの練習(ドリル)がうまいからといってバスケットの試合で上手にプレイできるとは限らない。ゲームで活躍できるかどうかは、刻々と変化する試合の流れ(本物の状況)の中でチャンスをものにできるかどうかにかかっており、そうした感覚や能力は実際にゲームする中で可視化され、育てられていく。

ところが、従来の学校において、子どもたちはドリルばかりしていて、ゲーム(学校外や将来の生活で出会う本物の活動)がどのようなものか知らずに学校を去ることになってしまっている、と。

真正の学習につなげていくには、学力の評価をどのように行うか、ということがあり、本セッションでは、図の問題が例題としてあげられた。(1)は「知っている・できる」を試す問題、(2)は「わかる」を試す問題、(3)は「使える」を試す総合問題である。学力は概ね、これらの「知っている・できる」、「わかる」、「使える」、の3層に分かれると考えられる、という。

だが、学習活動は「知っているからわかる」「わかっているから使いこなせる」とは限らない。使いこなす活動を通じて知識の定着が起こることもあるように、実際の学習はジグザグである。そして、使えるレベルの学力を長期的に育てるために、単元末や複数単元で総括するような見せ場を作っていくような工夫も、また必要であると石井先生は指摘する。いわば、学力を3層で捉えて豊かな学習活動を創造し、それを通して、生きて働く「知識と考える力と態度」を一体的に育てていくことが大切であるという。

「教科する」授業をめざすために

何を測っているのでしょう?(石井英真先生提供)
何を測っているのでしょう?(石井英真先生ご提供)

こうした意味で、真正の学習では、どのような教材と出会わせるのかがきわめて重要になってくる。そして、教師と生徒の関係も重要である。教員は自身が教材研究を行った結果を生徒に伝えるだけになっていないだろうか、そのことが社会の複雑さをそぎ落とし、生徒に社会の複雑さを経験させていないことにつながっていないだろうか。

一番「美味しい」のは、教師が教材研究を行ったプロセスの部分である。教師と生徒の縦の関係や生徒同士の横の関係だけでなく、教師の教材研究を生徒が辿りなおし、同じ「学び手」として教材を見るという斜めの関係も必要ではないか、と石井先生は語る。

例えば、議論が分かれているような課題であれば、子どもたちにそれを徹底的に考えさせるのだ。子どもたちが思わず頭を突き合わせ議論に熱中してしまうような、主体的・対話的で深い学びが成立しているとき、子どもたちの視線の先にあるのはほかでもない、学びの対象である教材であろう。

教材を中心にすえて、教科の本質、最も噛み応えのある部分を子どもたちに保証することをめざした「教科する」授業に、深い学びがあるのではないか。―学びの本質に迫る提起によって、本セッションは締めくくられた。



※本文中の所属・役職などは開催当時のもの

※このページは日本教育研究イノベーションセンター(JCERI)によって制作されました。

  • 私と河合塾
  • [連載]「河合塾にフォーカス